「同感」3月18日
書評欄の『なつかしい一冊』コーナーで、小説家米澤穂信氏が、『「ポケットに名言を」寺山修司著(角川文庫)』をあげられていました。米澤氏は、『~言葉は忘れたことがない。「性格を持たないとき、人はたしかに方法を身につけなければならない」。アルベール・カミュ「手帖」より。私はこの言葉を、天才でないなら技を磨かねばならないと解釈した。書くべき内面がないならば、せめて上手くなれ。その技は、もしかしたら、ひょっとしたら、何かの「性格」に届くかもしれないと思った』と書かれていました。
米澤氏の解釈が正しいのか否か、私には判断がつきません。ただ、私も米澤氏と同じことを考えたことがあると思い出したのです。私が教員になると決まったとき、母や姉は驚くと同時にとても心配していました。教員には向かない、と考えていたからです。その理由は、子供が好きではないし、そもそも人の面倒を見るのが大嫌いだというものでした。
私自身もそう思っていました。私は単に、大学受験でいくつかの学部を受けたものの受かったのが教員養成系の学部だけで、浪人が嫌だからそこに進学し、そのまま流れで教員採用試験を受け、都の採用試験に受かり、S区から面接の通知が来て、そこなら自宅から通えるという理由で、就職先に決めたというだけの「デモシカ教員」だったのです。
実際に教員になってみると、やはり向いていないのです。当時は教員大量採用時代で、私の初任校には、私以外に3人の新規採用教員がいましたが、彼らに比べて私の指導力のなさ、担任した学級のまとまりの悪さは、はっきりと自覚できるほどの差がありました。
私は、良い教員になりたいという積極的な思いではなく、せっかくなった教員という職を失いたくないという思いから、自分の教員としての技能を高めなくてはならないと思うようになりました。他の職を探すのは面倒くさいし、就職してすぐやめるのもみっともないし、そもそも自分にどんな能力があるかも分からないという状況の中で、生まれつき努力や頑張りが嫌いな怠け者の私でしたが、「努力」をすることにしたのです。
私を鍛えてくれたのは、このブログでも何回も登場している「社会科勉強会」であり、目賀田八郎先生であり、区や都の社会科研究会でした。意欲や使命感のある先輩たちについて行くのは大変でしたが、名伯楽に育てられ駄馬も何とかギリギリ一人前になりました。
4月から教員になる若い人たちの中には、希望だけでなく不安を抱えている人も少なくないと思います。自分は教員に向いているのかと悩んでいる人もいるかもしれません。教員としての才能がなければないでいい、技能を磨けばよいのです。その努力を続ければ、10年後にはそれなりの形のなっているものです。