お昼です。あんまり腹は減っていません。
昨日インスタント味噌ラーメンを2袋買って来ています。
これを食べて見ます。
小葱は昨日摘んで来て刻んで冷蔵庫に冷やしておきました。
*
外はまだ曇り空をしています。雨が降っていませんから、午後からは畑にも行けそうです。
お昼です。あんまり腹は減っていません。
昨日インスタント味噌ラーメンを2袋買って来ています。
これを食べて見ます。
小葱は昨日摘んで来て刻んで冷蔵庫に冷やしておきました。
*
外はまだ曇り空をしています。雨が降っていませんから、午後からは畑にも行けそうです。
死がそこにゐて美しき桜かな
釈 応帰
*
桜が美しく咲いていてくれているのですが、わたしはなかなかそれを美しく見れないのです。わたしが驕っているからです。病を病んで死を身近にしないと、せっかくの桜が無駄に散ってしまいます。傲慢をへし折られないと、この世が見えて来ないのです。この世の美しさが見えて来ないのです。
でも、大丈夫、わたしは病んで死にます。これは間違いのないことです。美しい桜を美しく見ることができる仕組みになっています。
南無阿弥陀仏を称うれば、難陀(なんだ)、跋難(ばつなん)、大龍等、無量の龍神、尊敬(そんぎょう)し、よるひるつねにまもるなり。
現世(げんぜ)利益(りやく)和讃より
*
現世でわたしがこれまでに受けて来た利益はたくさんあります。たくさんたくさんあります。数限りなくあります。「現世利益なんか、望んでいない」「おれは神仏に頼んだりはしない」などと豪語してもいいのですが、すでに十分過ぎるほど受けて来ているのです。現在完了しています。
わたしは夜も昼も守られています。守っているハタラキがあるからです。見えないけれどわたしに働きかけて来ています。
*
龍神さまも見えないハタラキを担っておられます。しかも無量の、推し量ることも出来ないくらい厖大なハタラキを働かせてくださっています。
*
何故か? 此処は阿弥陀仏の世界だからです。仏界だからです。わたしが称えていなくとも、阿弥陀様が阿弥陀様の方から、わたしにハタライテ、念仏してくださっています。安心していていいのです。
*
難陀も跋難も龍神様のお名前でしょう。八大龍王さまのお一人なんでしょう。
*
生きている間も阿弥陀仏の世界。死んでいっても阿弥陀仏の世界。此処は真如界です。
*
阿弥陀のアミタは「永遠の命」「わたしが推し量ることなど出来ないほどの光輝く豊かな安らぎ世界」の謂いです。此処にわたしがいます。生きたり死んだりしながら永遠の命を生きています。
「半夜」 良寛
首(こうべ)を回(めぐ)らせば、五十有余年
人間(じんかん)の是非は一夢の中
山房五月、黄梅の雨
半夜 蕭々(しょうしょう) 虚窓に(そそ)ぐ
*
「そそぐ」の漢字は氵篇に「麗」。探し当てきれませんでした。
「山房」とは、五合庵のことでしょうか?
「黄梅」とは、やや熟れてきた梅の実のことでしょうか?
「人間(じんかん)」は人間界のことだろうか?
「五十有余年」とあるから、このとき、作者良寛禅師は50台の頃か?
「半夜」とは? 夕暮れ方から朝方までの時間帯だろうか? まだ明けきれない夜明け前のことだろうか? 夢を見ておられる夜の、眠りの浅さだろうか?だろうか? ???
「虚窓」とは? 誰もいない家に開け放たれた木窓のことだろうか? 風が抜けて行く涼しい木窓のことだろうか?
*
夜に入って雨になった。五月の雨はなまぬるい。雨に濡れた梅の実が半分熟れて来る。住処にしている五合庵に一人でいると、回顧の情が押し寄せる。五十有余年生きて来たが、で、どうだったのか? 半夜、蕭々と降る雨が木窓にそそいでいるきりだ。この人間界に起こるできごとの是非を問うても詮無いことだ。夢幻に過ぎない。
*
人間界の五十有余年は一夢の中、是非のつけようもないではないか。是非をつけるのはよそう。五月、青い梅の実が黄色く熟れた。これでいい。
夕方、裏の畑の、伸び盛りの黄緑色の蕗を摘みました。包丁で、根元を切って、葉っぱを捨てて。容れ物いっぱいになりました。
*
夕食が終わって、お爺さんは夜なべ仕事をしました。
*
摘んで来た蕗の筋剥きをしました。筋を剥きつつ、ポキンポキンと7~8cmの長さに切りました。
*
春の山菜はアクが強いので、指先が灰褐色になりました。特有な匂いの春がぷんと匂います。
*
家内がこれをさっそく茹でて、ビニール袋に入れて冷蔵庫に保存しました。
*
2軒分はたっぷりあります。我が家だけでは食べきれません。*
朝になって、家内が半分をお隣さんにお分けしました。お隣さんも蕗がお好きなようで、よかったです。
欲が深いんだよねえ、このお爺さんは。
*
あれもしてもらい、これもしてもらったのに、それでも、不満げな顔をして過ごしているよ。
*
生きている間ずっとずっとずっと、してもらってばかりだったのに、まだ要求している。
*
79年も生かしてもらったというのに、こんどはよく死なせてくださいと申請している。なんと欲深い。
*
スカートをふくらませた踊り子草が、垣根に咲いて楽しく美しく踊って見せている。
それだけのサービスをして貰っているのに!
*
麦畑の上空、雲井の宮から、雲雀が鳴いて、「ここは楽園です、お楽しみあれ」と言って聞かせている。
それだけの特上のサービスをして貰っているというのに!
*
不届き者のお爺さんは、顔の曇りを消せない。
春菊が花を着けました。
秋冬ずっと鍋物料理にして食べました。
今度は花をめでます。
サービス満点な春菊さんです。ありがとう❗
今日から日本国中、休日祝日のゴールデンウイークに入る。楽しみ計画満載だろう。
*
でも、お爺さんのわたしは失職後はずっとゴールデンイヤーを享受している。
*
だから、人様のゴールデンウイークは、特別視するには当たらない。
*
一年中がずっとゴールデンなんだから、お爺さんとはいいご身分だ。
*
一年中がずっとゴールデンだと、一年は、しかし、実に平べったい。
*
結局は、ぐうたらぐうたらして過ごすことになる。
*
ゴールデンがゴールデンにならない恐れが大になる。
*
世間様のゴールデンウイーク初日目の今日4月27日は曇り。小雨がち。
*
せっかくだから、お慈悲を垂れて、お楽しみのみなさんにお日様が顔を出してくださいますように!
芍薬の花が咲きました。
写真を撮りました。
一年でもっとも幸福なとき、春を迎えている顔、ふふふ、もっとも幸福な顔をしています。
苗物やさんに行ったらもう薩摩芋の蔓が売られていました。早過ぎます。
買い手がすぐについたと見えて、お爺さんが辿り着いたときにはもう、完売になっていました。
10本で400円、450円の値札がついていました。種類によって値段が異なるようです。
販売店の方によると、薩摩芋は植え付けてから5ヶ月で収穫期を迎えるのだそうです。4月末に植えたら、ですから、9月末には収穫をしていいことになります。
わたしは5月に入ってから苗を買うことにします。秋らしくなった10月の初旬に収穫をしたいのです。
雨になりました。畑に出ていたら、雨になりました。たいしたことはなかろうと高を括って、そのまま作業を続けていましたら、雨は止まず、やや大粒になりました。結局は上着やズボン、下着に至るまで濡れてしまいました。作業を中止して、家の中に入り、着ているものをみな着替えました。すっかりしました。
*
畑には、西の畑に西瓜苗2株、裏の畑にメロン苗2株、菓子瓜苗2株を植え付けました。西瓜もメロンも菓子瓜もみな甘いので鳥獣の被害に遭います。防衛策を講じなければなりません。
*
牛蒡・ほうれん草・人参・胡麻の種蒔きは順延です。慌てることはありません。種蒔きの好条件が整うのを待ちます。
南無阿弥陀仏を称うれば、閻魔法王 尊敬(そんぎょう)す。五道の冥官みなともに、夜昼常に守るなり。
「浄土和讃中の現世利益和讃」より
*
嬉しいことが書いてあるから、嬉しがる。
*
わたしにもこの条項が適用されるかどうか?
*
条件は「南無阿弥陀仏を称える」こと。だったら、適用されるはずだが、それでもほんとうにそれだけでいいかどうか不安にもなる。
*
迷路の旅路の裁判官である<閻魔法王様>とその役所に勤務する<五道の冥官様>がみなともに、<わたしを守ってくださる>と約束されている。
約束をしていて下さっているのは阿弥陀如来である。
*
<五道>とは? 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道の5世界のことか。<冥官>とは冥土の裁判官諸氏のことか。
*
閻魔法王様と五道の冥官様方がみなみな、夜も昼もわたしの無事を祈って、仏道修行を守っていてくださっているというのだ。尊んで敬って、大切にしてくださっている、というのだ。このわたしを、だ。(仏教はこれほどにも寛大な宗教だ)
*
仏道修行とは? 浄土真宗では念仏を称えることである。ここに集約されている。南無阿弥陀仏の<南無>は<帰命する>ことだ。絶対帰順することだ。お任せしてしまうことだ。お任せして大安心に得ることだ。阿弥陀様の世界を生きていることをよろこぶことだ。
*
閻魔法王様は恐い方である。嘘をつく我が舌先をペンチで抜いてしまう断罪を強行される方である。(と習ってきた)その閻魔様がこれだけのお慈悲を差し延べていて下さる、というのである。いささか驚いてしまう。
*
このお爺さんは念仏を称えたり称えなかったりする。真面目者ではない。不埒者である。横着者である。傲慢者である。では、そういう反対者を没にされるか。否定して無視されるか。無視はされないだろうと、お爺さんは思っている。どこまでも不埒者である。
アスパラガスが朝ごとにニョキニョキ、ニョキと発芽している。みるみる伸びる。成長が早い。
家内がこれを摘む。ポキンポキンと音が立つ。アスパラガス摘みを家内は楽しんでいるようだ。
(楽しんでいる家内を見ているのも楽しい)
摘んだアスパラガスは、茹でられて、夕食のテーブルに列ぶ。マヨネーズで和えて食べる。新鮮でおいしい。
おはようございます。今日はもう4月26日になっています。金曜日です。曇っています。現在の気温は15℃。最高気温は、予報では、22℃になっています。終日、曇りマークになっています。畑仕事をするのはベスト条件です。
*
1,西の畑に行って、畝を作って、そこに牛蒡の種蒔きをします。
2,牡丹が咲き終わったので、鉢植えの牡丹を、庭に移し替えます。お礼の礼肥をあげておきます。
3,植えている野菜苗に農薬を散布します。茄子や胡瓜、トウモロコシの生育が不調です。
4,裏の畑に回って、胡麻の種の種蒔きをします。30年ぶりくらいです、胡麻を育てるのは。(育つかどうか心配です)
*
これだけの作業が一日でできるかどうか。なにしろ、のろまなんです、このよろよろお爺さんのすることは。今日できなければ明日に延ばします。義務ではありません。遊びですから。
遊びは楽しいから、楽しんでいます。この高齢になってから、土遊びに興じることが出来るのは、まっことまっこと有り難いことです。
「時に憩う」 良寛
薪を担うて 翠岑を下る
翠岑 路は平らかならず
時に憩う 長松の下
静かに聞く 春禽の声
*
翠岑(すいしん): 新緑の春の山々。青々とした峰。
春禽(しゅんきん):春の小鳥。鳴いているのは鴬だろうか。鴬以外にもたくさんの小鳥たちが鳴いているかもしれぬ。
*
良寛様は禅者である。五合庵に住んでおられる。畳一間と狭い炊事場と土間しかない狭い家である。禅者は乞食者である。近隣を回って法を説いて、食べ物を人に乞うて暮らしている。今日は薪を山に拾いに行かれたようだ。
拾った薪を背中に担いで春の山道を降りて来られた。山道は上りが当て下りがあって、平らかではないので、(お年もお年なので)(痩せ細って枯木然としておられたので)、へとへとになられたようだ。背負っている薪を、大きな松の木の根元に下ろして、しばらく休憩に及ばれた。汗を拭いていると、春風の向こうから静かに、春の小鳥の鳴き声が聞こえて来た。禅者良寛様の素朴な無欲な暮らしぶりが見えて来る。
*
今日は大好きな良寛様の漢詩を読んでみました。
*
無欲な禅者には、小鳥の声を聞くことが春の楽しみになるらしい。良寛様は国上山の中腹の五合庵に14年住まわれて、74歳で他界された。仏道を歩まれながら、手鞠突き、隠れん坊、和歌、漢詩、書にもすぐれておられた。