光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観て #3  東京オペラシティアートギャラリー

2021年08月28日 | アート 現代美術

カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観て」は、前記事をアップして7カ月以上、間が空きました。

ちなみに以前の記事は

カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観て  東京オペラシティアートギャラリー    2020/12/21

カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観て #2  東京オペラシティアートギャラリー 2021/01/17

時間がかかる理由は、”花に翻訳された本の図書館”という作品設定のため、内外の本と、その周

辺を調べるのに時間がかかっていたのです。 このままだと、いつアップできるのか分からない

ので、解説をかなり省略してアップすることにしました。 調べだすと、ついつい深入りしてし

まう困った癖があるのです。

 

それではカミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観ての続きです。 

”花に翻訳された本の図書館”の次の作品は

《チャタレイ夫人の恋人》 D・H・ローレンス

1928年(昭和3年)に発表され、当時の英国社会における身分制度を大胆に扱ったものの、猥褻文書と見なされ、内外で

激しい論議の的に。日本でも1950年(昭和25年)伊藤整による翻訳本の出版が発禁処分となり、最高裁まで争われた。 

この作品も私は読んでいません なので、小説の概要をウィキペディアから引用(少し要約)します。

”炭坑の村を領地に持つクリフォード准男爵の妻となったチャタレイ夫人だったが、夫は陸軍将校として第一次世界
大戦に出征、戦傷により下半
身不随となり、復員後は2人の間に性の関係が望めなくなる。
その後、夫人
は日々の生活に閉塞感を強めていった。
クリフォードは跡継ぎを作るため、チャタレイ夫人に男性と関係を持つよう勧める。その相手の条件とは、同じ社会
階級で、子供ができたらすぐに身を引くことができる人物
であることだった。 夫人は、自分はチャタレイ家を存続
させるためだけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が恋に落ち男女の仲になったのは、労働者階級出身で、妻に
裏切られ別れ、かつて陸軍中尉にまで上り詰
めたが上流中流階級の周りになじめず退役し、現在はチャタレイ家
の領地で森番をしている男、オリバー・メラーズ
だった。

メラーズとの秘密の逢瀬を重ね、人間性の開放に触れた夫人は、クリフォードとの離婚を望むようになり、姉のヒル
ダと共にヴェニスを旅行中、メラーズの子供を妊娠していることに気がつく。
一方領地では、戻ってきた
メラーズの妻が、メラーズとチャタレイ夫人が通じていることに感づき、世間に吹聴して
回っていた。 メラーズは森番を
解雇され、田舎の農場で働くようになる。
帰ってきた夫人はクリフォードと面談するが、クリフォードは離婚
を承知せず、夫人は邸を去ることになった。”

 

で、生け花作品ですが、 なんとなんと!
剝き出しのベッドスプリングに、枯れたような植物(アンスリウム)がのっている・・・

 

アンスリウムが綺麗に咲いた画像(例下の写真)を想像すると 、チャタレイ夫人とメラーズの、弾むような

愛の高揚を表しているのかも・・・



ところで、この小説を調べていて、驚いたことがあります。

作家のD・H・ローレンスは、小説以上に凄い不倫愛をしていた。!

以下、次の文献を参考にして、その概要を調べてみました。

D.H.ロレンスのドイツ体験
著者 倉持 三郎
雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学
発行年 1996 出版者 東京家政大学

フリーダ・ロレンスとオットー・グロース
著者 倉持 三郎
雑誌名 英語英文学研究
発行年 1998-09 出版者 東京家政大学文学部英語英文学科

◆1912年3月、ローレンス(26歳)は就職相談で大学の旧師ウィークリーを訪ね、彼の妻フリーダ と出会う。
ローレンスは.すでに3人の子供のいる31歳の恩師の妻に理想の女性を発見し,駆け落ちのような形でドイツ

向かうことになった.

◆フリーダの父は,ドイッの男爵であった。 そしてフリーダには姉と妹がいた。
姉エルゼは,心理学と経済学の教授!であるが、夫がいるのに、連続して二人の男と同棲し、ほかの男の子供さ
え生んだ.しかし、離婚はしていない。
妹も同様である。浮気な生活を送っているが離婚はしていない。
フリーダも同様で、駆け落ちの5年前、里帰りしたときに、エルゼとともに、オートー・グロースという精神医学
者でアナーキストに出合い、その思想を信奉し愛人となっている。エルゼが産んだ子はこのグロースの子である。
グロースは精神医学者フロイトの弟子といえたが、快楽の追求こそが唯一の価値と考え、貞操観念を否定していた。
しかし、麻薬中毒になっており、エルゼもフリーダも一緒にはならなかった。
この姉妹の生き方にロレンスは大変驚く.保守的で道徳的なイギリスの地方の女性とは全く違っていた。

◆ローレンスとフリーダが最初に会ったとき、フロイトのエディプスコンプレックスの話をしているが、二人に
とっては、精神的に共感するところがあったようだ。

◆フリーダが、ロレンスの死後出版した自叙伝『私ではなくて 風が……』の冒頭で、ロレンスに会う前に、一人
のフロイト派の学者(グロースのこと)と会ったことを述べている。

”私は、フロイトの著名な弟子と会ったばかりで、理論がまだ未消化のまま頭につまっていました。
この友人は、私のために多くのことをして
くれました。 私は、因習的な生活のなかで、夢遊病者のように暮らし
いました。この人が、私独自の意識を目覚めさせてくれたのです。
生まれ変わるということは冗談ではできません。それに、生まれ変わって、世間のほかの人たちとは違った、別の
本来の自己になること、
一それは、苦痛に満ちた過程なのです。
人々が、セックスについて語るとき、何のことを話しているのか分かりません。 セックスは、蛙のように、それ
だけでピョンピョン跳びはね
ているだけで、人生の他のこと、人間の成長、成熟とはまったく関係がないとでもい
うかのようです。人々がセックスと言うとき何のことか私
には分かりません。しかし、有り難いことに、セックスは、
私にとって
神秘です。
 いろいろな理論を生にあてはめても、ぜんぜん役に立ちません。セックスさえ自由ならば、世界はただちに天国に
変わるということを私は熱
狂的に信じました。”

 

以上、かいつまんで述べましたが、《チャタレイ夫人の恋人》は、ロレンスとフリーダの人生が濃厚に反映された小

だった。 

時代的にも女性の解放が謳われだした頃で、日本でいえば平塚らいてうの「青鞜」の発刊が1911年(明治44年)、白蓮

事件が1921年(大正10年)です。

さて、生け花作品に戻ると、ベッドのスプリングの意味・・・・フリーダの自叙伝に

”セックスは、蛙のように、それだけでピョンピョン跳びはねているだけで、人生の他のこと、人間の成長、成熟とは
まったく関係がない・・・”

スプリングが連想されたのもここかなと・・・さらに春の意味もあるしベッドの素材でもあるし・・・正解は作家本人

に聞かないとわかりませんが、意表を衝いたこの作品、悩ませてくれます。

 

 

次の作品は

《フライデーあるいは太平洋の冥界》 ミシェル・トウルニエ  1967年

18世紀の初めに書かれた、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』に対し
トゥルニエによって書かれた20世紀の『ロビンソン・クルーソー』がこの本。
南海の孤島で遭難したロビンソンは、島を開拓し、食料の備蓄に努めるが、野生人フライデーの登場によって
その秩序は一瞬のうちに崩壊する。 文明と野蛮を双子のように描いた哲学小説。

と、本のPRに書かれていますが、これも読んだことがありません。

キャプションに書かれている

”彼のセックスが二本の枝の分かれ目に開いている苔のついた小さな穴の中に入った。”

えー!となりますが、調べると、ロビンソンは、島でたった一人で暮らすなかで、やがて、性的な欲望を植物

に行うようになる。 原文のその箇所は

”雷で打ち倒された木の上に裸になって寝そべり、幹を両腕で抱きしめた。彼のセックスが二本の枝の分かれ目
に開いている苔のついた小さな穴の中に入った。彼は幸せな夢うつつの状態に陥った。・・・”

カミーユ・アンロは、生け花でそれを直接的に表現しています。

日本の生け花では見たことも聞いたこともない、性表現・・・現代アートでは飄々と越えてしまった。

 

以上までは、今年の1月に下書きしていたのですが、次の作品以降は手付かず状態だったのです。

 

《サランボオ》

キャプションを読むと、またまた、エロティックな文章。

深入りしそう、ヤバいと思って、生け花作品を直感的に見ての感想に代えることにます。

秀吉の兜のようなチャボトウジュロが強烈、中央部の真紅も強烈です。(これもチャボ

トウジュロ?)。 アジサイの花は萎れていますが、綺麗に咲いていたとして、女性の

乳首に、そっと指が触れたとき、破裂するような痺れる感覚を表しているのかな?と。

 

 

 

《説明としてのコンポジション》

ガートルード・スタイン(女性1874 - 1946)を知らなくて、ちょっと調べてしまった。 

米国の著作家、詩人、美術収集家で、マティス、ピカソが有名になる前からのパトロンだとか。

画家たちと、相互に影響しあってキュビズムなどモダン芸術を推し進めた。

生け花作品は、ケイトウとソーセージの串刺しのような真紅の連なりが面白いと思う。 

でも、薔薇が見当たりません。 一応、中央部の拡大写真を貼りました。

キャプションの言葉、”さあ、始めるために始めようではないか” は、新しいものへ

取り組むムーブメントを表現したものか?  

 

 

《オデュッセイア》

これもまた、読んでいませんが

メロスの作といわれる古代ギリシアの叙事詩で、トロヤ遠征に大功をたてた英雄オデュッセウスが苦心して

故郷イタカの島にもどる物語と,夫の留守中,求婚者をしりぞけ,20年間貞節を守ったその妻ペネロペの物語。

生け花作品は、左側の白い小さな花が”スターチス” オデュッセウスを海岸で助けた王女だろうか、紫の優雅な

花が”カラー”この花は妻ペネロペか。右側のぶどう、オリーブの木を怪獣のよう。オデュッセウスを苦しめた

怪物たちか。花生けは、船をイメージかな。 キャプションにある言葉は、どの場面なのかわかりませんが、

冥界に行ったときのことかな?

 

 

 

《石に泳ぐ魚》

柳美里のこの小説、またまた読んでいないのですが、名誉・プライバシー権と表現の自由をめぐる事件となった

ことは、今回調べて初めて知りました。

事件は、小説「石に泳ぐ魚」の登場人物のモデルとされた女性が、顔面の腫瘍などを執拗かつ苛烈に描写された

ことなど、プライバシー・名誉・名誉感情が侵害されたとして出版の差止と損害賠償を求めた事件です。

訴訟は最高裁で、柳側敗訴が確定した。(2002年9月)

キャプションの文
”猫の爪を切るのは怖い。 痛がっているのか、嫌がっているだけなのか、よくわからないからだ。”

これは小説のどこかで書かれているのでしょうが、私はカミーユ・アンロが、柳美里に投げかけた言葉のように

感じました。

生け花としては、リュウゼツランが魚のように見えます。しかし、歪んだ負の感情などで、痛くて、どろどろと

したものを感じます。

次回に続く


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 根付 東京国立博物館のコレ... | トップ | カミーユ・アンロ|蛇を踏む... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アート 現代美術」カテゴリの最新記事