ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

精神看護 2020.7 斎藤環氏による読書会『開かれた対話と未来』その2 医学書院

2020-08-23 09:51:35 | エッセイ オープンダイアローグ
 精神科看護分野の専門誌『精神看護』7月号は、齋藤環氏のオープンダイアローグについての読書会の報告第2回が掲載されている。取り上げた書物は、齋藤氏監訳、ヤーコ・セイックラとトム・アーンキル著『開かれた対話と未来』(医学書院)である。(第1回の掲載された5月号についても、このブログで紹介している。)
 それとは別に、今号の特集は「新型コロナでどうなりましたか?」であり、時宜を得た大切なテーマである。
 冒頭は「精神科訪問看護ステーションの場合」、訪問看護ステーションみのり・統括所長の小瀬古伸幸氏の報告、次に「カウンセラーという職業の場合」、原宿カウンセリングセンターの信田さよ子氏から、続いて「社会福祉の現場」、「特別養護老人ホーム」、「就労継続支援B型」と並ぶ。
 3回連載の「大牟田市がインスパイアする[ケア×暮らし×人間]の2回目は「哲学者・國分功一郎さんとの対話から」、ポニポニ(大牟田市未来共創センター理事、九州大学非常勤講師もお務めの山内泰氏による報告である。國分功一郎氏の現時点での主著と言っていいと思うが『中動態の世界』は、オープンダイアローグとか当事者研究とは相性がいいというか、理論的な基礎付けに役立つ書物と言えるだろう。これも実は、医学書院からの出版、編集者の良き仕事があるというべきである。
 さて、斎藤環氏によるオープンダイアローグの読書会「専門職はオープンダイアローグにどうかかわったらいいか」、連載第2回は、「会場からの質問+リフレクティングを経験して」。
 前半は、前号で報告のあった斎藤氏の講義を踏まえ、4人一組の小グループに分かれて感想を語り合ったあと、各グループからの質問に斎藤氏が答えた内容である。
 数字を振った項目ごとに追いながら、ここは、と目についたところを抜粋してみる。

1.統合失調症の急性期への概念を変える必要がある

 統合失調症の重症患者は、ふつうの言葉が通じないと一般の人びとは思い込んでいるかもしれないが、そんなことはないのだという。

「オープンダイアローグは、「相当に重症の統合失調症の人でも話が通じる」ということを実証したんですよね。むしろ話が通じるのが普通なんですよ。」(359ページ)

「統合失調症の人の暴力というのは、統合失調症の症状と思われてきましたけれども、それは違うと思います。統合失調症の人の「危機的状況に対する対処行動」でしかないのです。」(359ページ)

 突然、むやみに暴力を振るいだすのではないか、という恐れみたいなものは、一般の人びとは共有しているのかもしれない。ふつうに言葉は通じるものだ、ということである。また、通じない前提で接することがまさに通じない事態を生みだし暴力を生じさせる原因でもあるということだろう。

2.虐待ケースでもオープンダイアローグは可能か?

 これは、もちろん可能だということで、ここでは、医療分野のみでなく、福祉分野での活用も期待されることが述べられる。

「筑波大学付属病院…森田展彰准教授が虐待を専門にしているのですが、彼はオープンダイアローグを虐待ケースへ丁寧に導入し、終結まで持ち込めたとのことです。虐待ケースには間違いなく有効だと森田さん自身が感じており、児童相談所などでも実践しているそうですので、ぜひそういった方向で広がってほしいなと私は思っています。」(360ページ)

3.「アセスメント」や「計画」…形式にどう添わせるか?
4.「診療報酬」や「採算」について

 このあたりでは、事前にあまりがちがちに計画を構築するのでなく、とにかくやってみる、始めてから、流れの中で、(流れをうまくつかんで)対処していくことが勧められている。また、齋藤氏は就労支援の場においても、オープンダイアローグを活用しているという。(いうまでもなく、齋藤氏は、ひきこもり支援の専門家である。)

「…まずは、日常的にやっている現場のミーティングを、オープンダイアローグに切り替えてみてはどうでしょうと言いたいのです。/例えば、私は今、就労支援のミーティングをオープンダイアローグで行っているんですが、好評をいただいて、それまで以上に支援がスムーズになっています。」(361ページ)

5.「相手の意見を否定せず」、こちらの意見を伝えるには?

「バフチンは…、すごく自分を否定する他者の例を出しているわけです。つまり本人が、自分のことをダメな奴と否定している場合も、それを否定してはいけない、と。」(361ページ)

 バフチンは、20世紀初頭のロシアの哲学者、文学研究者で、ドストエフスキーを論じて、「ポリフォニー」論を展開した人であるが、オープンダイアローグにおいては、ポリフォニーの概念が重要なキーワードになっている。(ここでは、これ以上詳しくは触れない。ただし、ポリフォニーなどと小難しい概念を持ち出す、と思われる向きもあるかもしれないが、説明を読んでみれば、そうかなるほど、と納得させられるような道筋である。)
 自分のことを否定して語っている場合にも、それをむやみに中断せず、聴き取り、語らせ続けなければならない。
 一通り、聴いたあとに、正面から忠告するなどはしない、リフレクティングの方法を用いて、自分の見方を伝える。

「もし、私が自分の意見を本人に伝える場合は、おそらくじかに言うのではなくてリフレクティングを使うと思います。」(361ページ)

6.開始時、オープンダイアローグを説明すべきか?

 ここで、「説明すべきか?」との会場からの問いに、斎藤氏は端的に「しません」と断言している。スタッフから冷静な説明をして納得してもらってからではなくて、とにかく聴くことから始めてしまう、そういうプロセスを経た後で、はじめて納得感みたいなものが醸成されるということなのだろう。冒頭から一方的な宣告としての説明を始めても聞き入れてもらえない、お説教される、強制されると思われてブロックされるのが落ちということなのだろう。

7.七つの原則について

 七つの原則とは何かについては、ここでは省略する。前号第1回の紹介に列記した書物などを参照してほしい。

「…クライアントさん自身、ちゃんと話を聴いてもらった経験がない人があまりにも多い。だからちゃんと話を聴いてもらっただけですごく感謝されるわけです。」(363ページ)

8.デイケア等で実践する時

 デイケア等で実践する場合、注意すべきは、今回は誰の件で話し合うという焦点を定めることが必要なのだという。スタッフ以外の参加者全員が対象となって、順番に焦点がずれていくということでは効果が出ないのだと。

「忘れないでほしいのは、オープンダイアローグにはフォーカス(焦点)があるということ。つまり主役がいるんです。主役を立てないで、ただ、全員で漫然と対話してもあまり意味がないと私は考えています。今日は誰を中心に話すかを必ず決めて、やっていただきたいと思います。」(364ページ)

「みんなでワイワイやるのがオープンダイアローグではない。ファーカスすべきクライアントと、彼を中心としたクライアントチームがあって、治療チームがあって、チームとの間で対話を行うのがオープンダイアローグなんです。」(364ページ)

9.何が有効だったのか、理由を掘り下げる

「私たちが気をつけていたのは、とにかく「ネガティブなことは言わない」という点です。臨床場面では、つい反論や反証をやりがちなんですが、意識的に徹底してそれを避けた。」(364ページ)

 一般に会話をしていると、正しいことを言いたくなる欲求、誤りを正したくなる欲求というのは抑えがたいものがあると思う。特に相談を受ける立場にいると思うと、なおさら、世間一般の常識の側に立ってお説教したくなりがちである。そういうことは、徹底して避けることが必要らしい。
 言葉に寄り添うというか、話しているストーリーに徹底的に寄り添うこと。
 下記の引用は、相当に重要なことを述べているかもしれない。

「結果的にわれわれがしてきたのは、「そんなことあるわけがない」と反論するわけでもなく、「そうですよねぇ」と同調するわけでもなく、ただ、「私はそういう経験をしたことがないからよくわかりません」と言い、「どういう経験か知りたいので、もっと教えてくれませんか」と繰り返し聞いたことです。
 そのように聞いていくと本人は、みんながわかるような言葉を自分で一生懸命に工夫しながら説明するわけですが、おそらく、わかってもらうように説明するという過程のなかに、ちょっとこれは自分でもおかしいなとか、気づくきっかけがあったのかもしれません。人から言われて気づかされるのではなくて、自分から矛盾や不整合に気づいて修正していくと、結果的に正常化が起こってくるということかなとは思いました。」(365ページ)

 妄想の背景には、怒りや悲しみなどの強い感情があるのだという。バリアが取り除かれて、その強い感情が語られ始めると、変化が起きてくる。

「妄想というと、強固に構築された理屈みたいに聞こえますが、妄想の背景にあるのは、怒りや悲しみなどの強い「感情」なんですね。だから感情の部分に隙間ができると、妄想の内容もだんだん変わってくる。こういうこともこのケースから学んだことです。」(365ページ)

10.ファシリテーターの「場を導く」役割とは

 ここでも、なかなか重要なことが語られているが、引用は省く。直接当たっていただくことにしたい。

11.精神科医療にどうすれば広まるか?

 オープンダイアローグについて、「一過性のブームにしないために」という小見出しのもとに、下記のように述べられている。

「彼(アーンキル)は、どの地域でも応用できるような普遍的な方法論はない、地域ごとの文化やコンテクストに則した実践法を、各自治体で工夫していくしかないと言うのです。」(367ページ)

 もちろん、これは各地域でゼロベースから組み立てなさいと言っているわけではなくて、オープンダイアローグについて、ひととおり学んで大枠は把握したうえで実践していく中で、具体的な細部は積み上げられ形成されていくということである。頭から、これが正解だ、これが正しい道筋だというものがあるわけではない。個別の語りを聞き取っていく中で、それぞれにしかるべき物語が紡ぎだされてくる。一方、個人の語りが全く個人的なものだということでもなくて、地域ごとの文化、コンテキストに規定され、集約されていく方向性というのはあるのだろう。もちろん、これは国によって、言語によって違うし、同じ国のなかでも地域ごとに少しづつ違ってくるようなものでもあるのだろう。方法論は、その都度その都度、実践のなかで紡ぎだされ、成長していく。
 地域において、狭い意味での医療現場に限定しない取り組みの広がりも望まれる。

「児童相談所、教育、それから就労支援など、ミーティングが普段からなされているような現場にオープンダイアローグを導入して、成果が上がれば、1つのエビデンスとして、医療現場でも実践しやすくなるのかなと考えています。これについては今、共同研究を進めているところであります。」(367ページ)

 地域のなかでオープンダイアローグを活かしていくということ、医療現場に限らない福祉現場においても、活用していけるということである。

 後半は、また4人一組に分かれ、会話担当2人、リフレクティング担当2人でリフレクティングのロールプレイを行い、また質疑を行った記録、「リフレクティングを経験したからこそ生まれた疑問たち」である。

1.リフレクションについて説明すべきか?

 必ずしも、リフレクションとは何か、とか、今からリフレクティングを始めますとか宣言する必要はない、ということのようである。

「(リフレクティングは)…私が今まで実践してきたなかでは、当事者の方は意外なほど抵抗なく受け入れてくれてきた、ということが言えます。」((368ページ)

 また、リフレクティングは、途中何度も行ってよいのだという。最後にまとめて、というと、弊害もありうるのだと。

「ところがオープンダイアローグの実践では、どうしてもこれ(リフレクティング)を最後の10分間とかでやりがちです。これはほんとうは良くないとアーンキルから指摘を受けたことがあります。なぜかというと、リフレクティングがまるで専門家が結論を出すための場面のようになってしまうからです。これでは対等性は保てませんよね。」(369ページ)

2.沈黙が重要視される理由
3.相手が何を言っているのか分からない時

「ただ、リフレクティングにおいてはマナーが1つあって、できるだけネガティブなことを言わないこと。つまり、目の前で相手が聞いているわけですから、「さっぱりわかりません。もっとわかるようにしゃべればいいのに」とか、そういう言い方ではないほうがよい。」(370ページ)

 そういう言い方では、価値評価して、断罪しているように聞こえるということだろう。

「代替案を出すとか、わからなさを改善するためにためにはどうしたらいいか、みたいなことを提案してみるのも1つの方法でしょう。あるいはわからないなりに想像を広げて「実はこういうことを言いたかったんじゃないかと思った」と言うことは、わからなくてもできますよね。断片をつなぎ合わせて「こういうことをおっしゃっていたのかなと、私は思いました」というのもありだし、その広がったものに対して、相手がさらに広げて答えるのもありです。」(370ページ)
 
 説教には決してならないように気を配りつつ、会話の継続に気を使う。

「かみ合わなくていいんですよ、かみ合う必要はなくて、いかに違うか、いかにわからなかったかを際立たせていく、これもけっこう大事なテーマなんです。」(370ページ)

 あと二つの項目は以下のとおりであるが、引用は省略する。

4.「受け止められた感じ」を生成するには
5.話し下手。話すことに「怖さ」がある
 
 以上、項目名だけとしたところもあるが、特にここは、と思ったところを引用させていただいた。
 必ずしも、狭く限定された医療現場だけでなく、福祉分野において広く活用の可能性が示されたところと思う。オープンダイアローグの可能性の広がりを改めて認識させられたところである。
 次号、3回目は「会場で即興オープンダイアローグ」ということで、これもまた楽しみである。

※前号第1回の紹介
精神看護 2020.5 斎藤環氏による読書会『開かれた対話と未来』 医学書院



最新の画像もっと見る

コメントを投稿