作家の鈴木光司さんは、
小学5年生の時に、転校生に一目惚れした。
直感的に「僕の妻だ」そう思った。
しかし想いは一方通行。
友達に根回しして、一緒に学級委員になれる様にしたが、画策がばれておかんむり。以前よりも僕を見る目は冷たくなった。
中学になっても、アタックは続く。
手紙を書いたりしたが、進展はない。
高校は別々。学園祭の時にそっと覗きに行ったらしたが、積極的な行動は控えた。
逆効果になってはいけないから。でも、1日たりともその存在を忘れたことはない。
地方史に、彼女が千葉大学に合格した事を見つけた。
僕は電報配達に仕事が決まった身分。
おめでとう。と素直に気持ちを伝えた。
少し距離が縮まった。
大学が夏休みの時に、ようやく初デートに漕ぎつける事ができた。
でも、光司くんとはずっとお友達でいたい。と返事が返ってくる。
僕は短期戦でなく、長期戦を狙うことにする。
僕は作家を目指し、大学部の文学部を狙うことになった。
やっとのことで、年に一度にデータを漕ぎつけるそんな数年が続く。
彼女は東京の大学院に進み、高校教師となる。
僕は作家修行をしながら、塾や家庭教師、その他のアルバイトに明け暮れる。
彼女の方が絶対的に優位な立場。
でも、決めていた。
女性はきっと26歳頃に結婚願望が強くなる。
その時にプロポーズする。
これは、すでに数年前から決めていたのだ。
やや強引にプロポーズした。
ただがむしゃらに「結婚しろ」「結婚しろ」と喚き立て続けた。今でいうストーカー。
功を奏して、僕は結婚できた。
小学5年生の時の、直感が正しかった。
結婚して13年、妻と結婚した事を1秒たらとも後悔したことはない。
うちの父親も、見合いをした母を一目惚れして、結婚を熱望した。
バスの中で待ち伏せしたり、
仲人さんに、さちこさんと結婚できんかったら、城の堀に身投げをすると脅して、母を妻にした。
障がい者と結婚して、苦労することばかりで
生活が落ち着いてきた頃から、そうここ10年くらい前から母は父と結婚したことを後悔していた。
他の人生もあったんではないかと。
周りが羨ましい。
父は自分をいないと暮らせない。
自由を謳歌している人達が羨ましい。と。
しかし、父の状態が悪くなってくる直前。
まだ自宅にいた頃。
父が、「俺の方が先にあっちにいくのは間違いない」「先に行って場所を取っておく。」
「手を振ってやるから、それを目標にして階段を登ってこいの」と母に言ったそうだ。
母も「又次生まれてきたら、お父さんと結婚するからな。」と答えたそうだ。
最後にそんな会話をする時間を持ててよかった。
娘としては、本当に安堵しました。
入院してから、急に気力が落ちてしまい、
2回の面会中には、会話もなりたたなかったそう。
そうなる前に、母に対する最大の感謝の言葉を父なりに言えたみたいで、よかった。
今度、生まれてきたら、お父さんの運転する車に乗って、色んなところに旅行に行くそうです。
お父さん、本当にそうしてあげてください。
又、見つけ出して結婚して、今度は人並みの楽な暮らしを2人でしてほしいです。