見出し画像

あみの3ブログ

熊川城@福井県三方上中郡若狭町熊川 令和四年(2022)5月7日

お城検索は→こちら

熊川城は、近江と若狭の国境熊川に位置し、城主沼田光兼の娘麝香(じゃこう)が細川初代幽斎を支え、細川忠興・ガラシャへと続く細川家のルーツとなりました。
沼田氏は将軍足利尊氏によって補任され熊川城を築き、幕府直属の武士として奉公しました。永禄8年(1565)には三好・松永の軍勢が将軍義輝を襲い、光兼の長男光長が戦死しています。光兼の娘である麝香は、細川藤孝(幽斎)に嫁ぎ、その繋がりから光長の弟清延は細川家の家臣となっています。
 その後、丹羽秀長が若狭を支配するようになると熊川城は廃城になりました。、、、熊川城パンフ(若狭熊川宿まちづくり特別委員会作成)より抜粋

場所は福井県三方上中郡若狭町熊川
舞鶴若狭自動車「若狭上中IC」下車、県道22号線を高島市方向に向け右折。
国道27号線交差点を直進し「プラント2」が建つ交差点で県道218号線に入り直進。
県道218号線から「新道緑地公園角」交差点で左折、国道303号線に入るとすぐに「熊川小学校交差点」の分岐が見えます。



この分岐で右側の旧道(若狭熊川鯖街道)に入ると、熊川宿の古い町並みとなります。



登城口はこの街道沿いにある「白石神社」となります。



駐車場は神社手前、熊川郵便局隣の無料駐車場が利用できます。



白石神社鳥居をくぐり本殿に向かいます。


突当りの左手に階段があります。
両脇の石垣も風情があります。



階段の先、社殿がある辺りがすでに城域となります。



ここで当日の行程を縄張り図で示します。
熊川城概要図、若狭熊川宿まちづくり特別委員会作成(ブログ管理者加筆)




熊川城の遺構
熊川城は「城山」と記録にあり、頂上(185m)の城の主郭から、順次郭が下降する主・中・下三段の連郭式山城です。主郭背後は、尾根を切る三本の深い堀で敵の侵入を遮断し、その南斜面には八条もの堅固な畝掘りを設けており、東側は小郭を連ね、先端を二本の堀切と左右への竪堀で守っています。さらに中郭には七段の平場を連ね、その先端に五条の畝掘りを設けています。また、小高い下郭は、今は白石神社境内となっています。総延長240m、最大幅100mを測る城郭です。、、、現地説明板より

城域は整備され、遊歩道や案内標識・説明板などが完備しています。また要所に展望台やデッキなどが設けられ、市民や観光客にも親しみやすくなっています。





張出郭と主郭へ至る遊歩道分岐




先ずは主郭を目指します。
途中にある
「五条の畝掘り」
尾根先端の下郭の両側面は、急峻で小高く要害堅固な構造であり、城の正面となる白石神社の背後には、五本並んだ畝掘りが築かれて難攻な構えとなっています。、、、現地説明板より






「中段郭」
中郭には七段の平場を連ね、その先端に五条の畝掘りを設けています。







中段郭から上段の主郭へ
虎口的な入り口




「主郭」
東側虎口方向より



主郭平坦面
現地説明板と奥に櫓台


デッキ下にも曲輪があるようですが、ルートは整備されていない。


展望デッキからの眺望
遠く谷間に河内川ダムの一部が見える



櫓台から主郭



櫓台



櫓台先端西方向尾根



「西尾根堀切」
堀切断面


主郭切岸



堀切2


堀切2の竪堀





竪堀の傾斜がきつく、掘るにも苦労したでしょうが、吸い込まれるように崖に落ちていきます。





馬の背尾根を連続して遮断する堀切



堀切の左右は竪堀へと繋がっている
東斜面竪堀


西斜面竪堀



この竪堀は恐ろしいです💦
馬の背尾根も恐ろしいです💦
尾根は狭く、堀切は深く、竪堀は急です。そして写真でも分かるように地肌が露出して草木や樹木が生えていない。
地表は「鹿沼土」(実際は軽石)のような丸みを帯びた荒い粒子形状の赤土でびっしりと覆われているため、トレッキングシューズでも容易に滑る。滑落するとつかまるものが無いので、そのまま竪堀を滑り台の如く谷底まで転落していきそうです。
絶対注意が必要です!!




西尾根はこの先「熊川トレイル」という遊歩道を歩き、約1㎞先の「お花見広場」さらに若狭駒ケ岳、「高島トレイル」へと続きます。
ここで引き返し先ほどの分岐まで戻り、張出郭へ向かいます。




「張出郭」
山城と山麓の居館を繋ぐ登り口に、中郭の東側下の抑えとして築かれた張出郭です。神社境内となっている下郭と共に館や街道側からの外的侵入に対する防衛点と考えられます。、、、現地説明板より



上段の遊歩道から俯瞰



ウッドデッキが設置されており憩いの場となっています。
ここでお昼のお弁当を戴きました。



張出郭からの眺望



眼下には陣屋跡(旧熊川小学校跡)が見下ろせます




陣屋跡(旧熊川小学校跡)





隣にある旧校舎を利用した資料館


縄張り図や御城印を求めることができます。



番外編【熊川宿】は→こちら



【熊川城】
《くまがわじょう》

名称(別名);
所在地;福井県三方上中郡若狭町熊川
城地種類;山城
標高/比高;185m/100m
築城年代;室町期
廃城年代;
築城者;沼田氏
主な改修者;
主な城主;沼田氏
文化財区分;
主な遺構;曲輪・櫓台・堀切・竪堀・土塁・虎口・畝状竪堀群
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;

コメント一覧

aminosan111
@hakusiyu hakusiyuさん、いつもコメントありがとうございます。大河「麒麟がくる」の影響でしょうか?
『滑るし捕まる草も枝もなく』ほんとその通りでしたよ。鹿沼土みたいな粒が山肌にびっしり積もっていて、ズルズル~って谷底に落ちていきそうになりましたよ。ここはロープが必要ですよね(>_<)
hakusiyu
こんにちは~
数年前登った時は何も整備されてなくて登るだけでも恐かった。
下草が無いので真夏でも平気だったが、滑るし捕まる草も枝もなくホントに大変だった。
以後、トラウマになってもう二度と登りたくないと思ってたが
こんなに整備されてるなら、久しぶりに行くべきかな?
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「城歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事