富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「『平和の君』の誕生預言」 イザヤ書9章1-6節

2021-12-03 21:57:27 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕前第3主日  2021年12月5日(日)  午後5時~5時50分

年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を

成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆく。」(エフェソ4・16)

聖 句「御父が、その霊により力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住まわ

せ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3・16-17)

                           礼 拝 順 序

                                                              司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 235(久しく待ちにし)

交読詩編  147(ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌う・・)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) イザヤ書9章1-6節(旧p.1073) 

説  教   「『平和の君』の誕生預言」 辺見宗邦牧師

祈 祷                                                                     

讃美歌(21) 356(インマヌエルの主イェスこそ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オンラインで礼拝に参加できます。設定担当は、斎藤美保姉

です。申し込み先:Eメール munekuni-hemmi@vesta.ocn.ne.jp

                                                                     次週礼拝 12月12日(日)午後5時~5時50分 

                                                                     聖 書 イザヤ書42章1-13節

                                                                    説教題 「世界の希望―主の僕」

                                                                 讃美歌(21) 288 561 27 交読詩編 24     

本日の聖書 イザヤ書9章1-6節

9:1闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
2あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。
3彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように、折ってくださった。
4地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
6ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

本日の説教

 イザヤ(第一イザヤ)は、南ユダ王国の首都エルサレムで活動した預言者です。イザヤは、エルサレムの貴族階級に属する祭司であったと思われています。1章から39章までが、イザヤの予言です。イザヤが預言者として神から召命を受けたのは、ウジヤ王の死んだ年のことです(紀元前739年)。

イザヤは、エルサレムの神殿で神の啓示を受けて、預言者となりました。彼は聖なる神の顕現に接して、聖なる神こそ、全世界を究極的に支配しておられる王、万軍の主であることを知りました。この信仰が常にイザヤの預言活動の根底にありました。

 イザヤはエルサレムとその住民、そして特にエルサレムとユダ王国の政治に責任を負う王と支配階級に対して、悔い改めるべきこと、神の意志を行うべきこと、そして何よりも神の約束に対して確固たる信頼を寄せることを求めました。

イザヤの場合、エルサレムとユダの人々の不信仰のゆえに、彼らは徹底的に神の裁きを受けなければならないが、しかしそれにもかかわらず、神のエルサレムとその王に対する約束は変わらないという信仰が一貫として堅持されていることです。

 紀元前前922年に統一王国から分離独立した北王国は、初代の王ヤロブアム1世がエフライム族出身だったので、紀元前745年頃から、北王国をエフライム王国と呼ぶようになりました。エフライム族は、イスラエルの十二支族の中のヨセフ族から別れた二支族(マナセ族、エフライム族)の一つです。

 北王国エフライムは、前750年頃ヤラベアム二世(13代)のとき最盛期を迎えます。周辺帝国の衰退期に乗じてエフライムは、国土を拡張し、交易を盛んにして経済的基盤を確立しました。しかし、その繁栄は内に危機を抱えたものでした。アモスやホセアという預言者が、その危機について警告しました。危機は外側からも迫っていました。

 新アッスリア帝国のティグラト・ピレセル3世(11代)が王として即位すると、アッスリアは勢力を西へ伸ばし始めます。この動きに対抗しようと、シリアと北王国エフライムは同盟を結び、南王国ユダに対して同盟に加入するように武力をもって強要しました(前733年)。南王国のアハズ王(12代)はこれに対して、アッスリアに援軍を求めました(イザヤ書7:1以下)。アハズの要請に応じたティグラト・ピレセル3世は、734年に、速やかにシリア及びエフライムに大軍をひきいて怒涛のように攻め寄せました。そのため多くの町が蹂躙され、敵に支配されました。その悲惨な舞台となったのがガリラヤ地方のナフタリの地やゼブルンの地でした。多くの町や村が破壊されただけでなく、労働力になりそうな者たちは捕虜とされ、連れ去られました(イザヤ書8:1-4)。

 預言者イザヤは、8章22節のあと、この地に住む者たちに、神の救いの栄光が輝くことを預言しました。そして、9章に続きます。

             

 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(9:1)

 北王国がアッスリアによって蹂躙され、支配されたのは、歴史を導く主なる神に頼むことをしないで、シリアとの同盟によって危機を回避しようとする不信仰に対する、主なる神の審判に他なりませんでした。神のみを畏れよ、語る預言が8章5~22に記されています。

 ガリラヤの地は光のささない暗闇となり、「死の陰の地」になりました。だが、そのような地に住む者の上に光が輝いたと、預言者イザヤは預言したのです。生きる喜びも希望も失っている人々が、再び生きる喜びを取り戻す日が来ると預言したのです。

 「あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。」(9:2)

 イザヤは祭りを例にあげて喜びを語ります。刈り入れの時を祝う祭りのように、人々に大きな楽しみを神は与えるというのです。

 「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように、折ってくださった。」(9:3)

 ミディアン人とは、パレスチナの南の荒れ地に住む遊牧民です。「ミディアンの日」とは、昔、士師ギデオンがミディアン人を、北イスラエルのイズレエルの平野で、撃ち破った日のことです。そのように主なる神がアッシリアの軍隊を打ち破り、イスラエル人が負わされた軛や、肩を打つ杖や、虐げる者の鞭をへり折ってくださるとイザヤは預言しました。

 「地を踏み鳴らした兵士の靴、地にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」(9:4)

 戦場となった地を踏み鳴らしたアシリア兵の靴や、彼らの 激戦地で殺戮して血まみれになった軍服は、全てことごとく、神によって焼き尽くされた。戦争は根絶された、とイザヤは預言しました。

 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。」(9:5)

 イザヤは、この喜びが与えられる保証として、ひとりのみどりごの誕生による即位を預言します。「みどりごが生まれた。男の子が与えられた」というのは、過去形ではなく、予言的完了形というへブル語独特の表現で表しています。必ずそうなる、そういうことが起こるということを表す時に用いる表現法です。「生まれた」という表現は、詩篇2:5~7bでも用いられているように、「出生」ではなく、王の「即位」を意味することばとして用いられています。

 苦難は北王国の住民だけでなく、南王国の住民も味わいました。アハズ王が神に寄り頼まず、アッスリアに援軍を要請したことで、多額の献上金を要求される結果となり、事実上、アッスリアの属州となって支配されるようになったのです。

 イザヤは、南ユダの国で新しく即位する王ヒゼキヤの期待をこめて、この預言をしたと思われます。その王は、一面では、アッシリアに勝利し、その支配をはねのける軍事的メシア・救世主の姿でした。だがその期待とは裏腹に、ヒゼキヤはそのようなことは実行できませんでした。

 しかし、彼が、あげた四つの王の呼称は、やがて世に現われる世界の救い主の預言となるのです。

 「権威が彼の肩にある」とは、王が王衣を肩にまとったことからおこった言葉で、王が主権を掌握することを意味します。王の四つの呼称ですが、「不思議な助言者」とは人間の能力をはるかに越えた助言者・相談役を意味します。「力ある神」は超自然的能力をもつ神のような人格を備える者であり、「永遠の父」とは永遠の父のような慈愛をもって人民を治める者であり、「平和の君」は正しい政治によって、永久の平和と繁栄と幸福とを与える王であり、地上にメシア王国をもたらす王として、人々に言われるようになる、と預言しました。

 「ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」(9:6)

 来るべき救世主(メシア)はダビデ王の家系から出て、ダビデの王統を継ぐ者となる。「今もとこしえに」は、メシア王国は永遠に続くことを意味します。王国の政治は武力や権力によらず、公平と正義と恵みの業によって立てられ、支えられるとされ、メシア的支配の理想の姿が示されています。「万軍の主の熱意」とは、神が人間に注がれる熱愛のことで、そのダビデの王国はその神の熱愛によって実現する、とイザヤは神の霊を受けて預言しました。

 イザヤの預言は、およそ700年後の主イエスによって、実現しました。

 マタイ福音書の4章12~16節によると、イエスがガリラヤで伝道すると、それは、預言者イザヤを通して言われたいたことが実現するためであったと記されています。「ゼブルンの地とナフタリの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」とあります。イエスは「天の国は近づいた」と宣べ始められました。

 イザヤの預言には、武力による支配者としてのイスラエルのための王の出現を期待する預言でしたが、主イエスは限られた国の政治的支配者としてではなく、人類全体のために、わたしたちの最大の敵であるサタンの支配を撲滅し、罪からの解放者として、神の民に永遠の命を与える神の国を実現するために来られました。まさにイザヤが預言した「平和の君」なのです。

 

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