富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「老いても、神よ、捨てないでください。」 詩篇71篇9-24節

2022-01-21 22:28:00 | キリスト教

  ↑「老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください。」 詩篇71篇9節  

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕節第5主日 2022年1月23日(日)   午後5時~5時50分

年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を

成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆく。」(エフェソ4・16)

                           礼 拝 順 序

                                                             司会 斎藤 美保姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 441(信仰をもて)

交読詩編   71(主よ、御もとに身を寄せます)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) 詩篇71篇9-24節(旧p.904)

説  教 「老いても、神よ、捨てないでください。」辺見宗邦牧師

祈 祷                                                            

讃美歌(21) 449(千歳の岩よ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オンラインで礼拝に参加できます。設定担当は、斎藤美保姉です。

申し込み先:Eメール munekuni-hemmi@vesta.ocn.ne.jp

                                                 次週礼拝 1月30日(日) 午後5時―5時50分

                                                    聖書  コリントの信徒への手紙一、3章10~17節

                                                   説教題 「あなたがたは聖霊の宿る神殿です。」

                                                  讃美歌(21) 4 451 27 交読詩編 51:12-21節 

本日の聖書

71:1主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく、2恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。
3常に身を避けるための住まい、岩となり、わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。
4わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から、悪事を働く者、不法を働く者の手から、わたしを逃れさせてください。
5主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み、6母の胎にあるときから、あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から、わたしを取り上げてくださいました。わたしは常にあなたを賛美します。
7多くの人はわたしに驚きます。あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。8わたしの口は賛美に満ち、絶えることなくあなたの輝きをたたえます。
9老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
10敵がわたしのことを話し合い、わたしの命をうかがう者が共に謀り、11言っています。「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」と。
12神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください。
13わたしの魂に敵対する者が恥に落とされ、滅ぼされますように。わたしが災いに遭うことを求める者が、嘲りと辱めに包まれますように。14わたしは常に待ち望み、繰り返し、あなたを賛美します。
15わたしの口は恵みの御業を、御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできません。
16しかし主よ、わたしの主よ、わたしは力を奮い起こして進みいで、ひたすら恵みの御業を唱えましょう。
17神よ、わたしの若いときから、あなた御自身が常に教えてくださるので、今に至るまでわたしは、驚くべき御業を語り伝えて来ました。
18わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください。
19神よ、恵みの御業は高い天に広がっています。あなたはすぐれた御業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。
20あなたは多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられましたが、再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から、再び引き上げてくださるでしょう。
21ひるがえって、わたしを力づけ、すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。
22わたしもまた、わたしの神よ、琴に合わせてあなたのまことに感謝をささげます。イスラエルの聖なる方よ、わたしは竪琴に合わせてほめ歌をうたいます。
23わたしの唇は喜びの声をあげ、あなたが贖ってくださったこの魂は、あなたにほめ歌をうたいます。
24わたしの舌は絶えることなく、恵みの御業を歌います。わたしが災いに遭うことを望む者が、どうか、恥と辱めに落とされますように。

本日の説教

 この詩篇は「救いを求める祈り」の歌に属しますが、全体通じて神への強い信頼がみなぎっています。主よ、御もとに身を寄せます」ということばが最初にあります。そして、「とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください」と悪い者からの救いを求める願いが続きます。

悪い者とは、「神に逆らう者、悪事を働く者、不法を働く者」たちです。彼らの「手から、わたしを逃れさせてください」と詩人は神に救いを求めます。

「主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み、母の胎にあるときから、あなたに依りすがって来ました」と、主こそが詩人の希望であり、若いときから信頼する方であることを述べます。

「あなたは母の腹から、わたしを取り上げてくださいました」と母の腹からの誕生も神の御意志によることを告げ、主こそが信頼と希望の源であるを述べ、「わたしは常にあなたを賛美します」と生涯を御手によって支えて護ってくださる神をほめたたえます。

この詩人は人並みに苦しみや悲しみや試練に遭ったと思います。しかし、彼のことばには神への賛美が溢れています。

 このような詩人に、「多くの人は驚きます」と言います。正しい者の苦しみに人々は驚き、しかし、救いだされる神の恵みに驚くと言います。詩人は、「あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。わたしの口は賛美に満ち、絶えることなくあなたの輝きをたたえます」。

 生涯を振り返って見てきた詩人は、年老いた者の一人として語り出します。「老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください」と、老齢の弱さを告白しつつ、神が見放すことのないように祈り求めます。なぜなら、「敵がわたしのことを話し合い、わたしの命をうかがう者が共に謀り、『神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない』と」言っているからです。

 詩人は、「神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください。わたしの魂に敵対する者が恥に落とされ、滅ぼされますように。わたしが災いに遭うことを求める者が、嘲りと辱めに包まれますように」と祈ります。詩人にとって最後的に問題となるのは、生命を脅かす敵からの救出というよりはむしろ、自分が老いた日々を送る中で、今神から捨てられ投げ出されないかという心の憂いです。詩人の信仰生活がかかっている神との信頼関係が揺り動かされないように。それが今の苦難の中で改めて真価を現わすように詩人は願っています。

 再び詩人は、その全生活がどれほど賛美で占められているかを描くことによって、主にある信頼を表白します。 「わたしは常に待ち望み、繰り返し、あなたを賛美します。わたしの口は恵みの御業を、御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできません。しかし主よ、わたしの主よ、わたしは力を奮い起こして進みいで、ひたすら恵みの御業を唱えましょう。」

年老いた詩人の願いが、再び語られます。「神よ、わたしの若いときから、あなた御自身が常に教えてくださるので、今に至るまでわたしは、驚くべき御業を語り伝えて来ました。わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください」と願っています。そして、「神よ、恵みの御業は高い天に広がっています。あなたはすぐれた御業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう」と賛美しています。「恵みの御業」とは、ヘブライ語では「あなたの義(ツェディク)」です。「義」には、恵み・救い・憐れみなどの意味を含みます。(新約では、神が人間に求めるふさわしい生きたであり、パウロの手紙では、人間が義とされるとは、神の前で正しい者とされることであり、救われることを意味します。)

詩人は、神がこれまで、「多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられましたが、再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から、再び引き上げてくださるでしょう」と歌います。「ひるがえって、わたしを力づけ、すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう」とは、これまでの苦しみと悩みに遭遇した人生とは反対に、わたしを力づけ、わたしをもっと高く引き上げるでしょう(文字どおり訳すと、「あなたはわたしの大きさを増されます」)。主イエスは地の深い淵、黄泉から、高く引き上げられて、あらゆる名にまさる名を与えられました。「すぐれて大いなるもの」されることは、「名誉を増す、偉大さを増す」と訳すことも可能でしょう。詩人は神が力づけてくださることを確信し、神殿の礼拝で、琴に合わせて神に感謝し、竪琴に合わせて、「イスラエルの聖なる方」に讃美することを誓って、この詩を閉じます。

詩人は、「あなたは母の腹から、わたしを取り上げてくださいました」と自分が世に生まれる時も、神のご支配があったことを告白しています。神は、神の目的がああって、あなたの父母を通して、あなたを世に送られたのです。それは、神の愛に生きるためです。それを知らせてくださるために、父なる神は御子を世に送られました。御子イエス・キリストの救いにあずかることによって、私たちが世に生まれたのは、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛し、神と人に愛されるためです。

こうして愛を学んだものの、やがて年老いて行きます。だれもが迎えなければならない人生の終末です。若く壮健な時に、自分の健康に自信があり、自分の役職や実績、能力を示せる間は、多くの人が自分に関心を向け、ふり向いてくれました。しかし、体が衰え、地位も権力も財も失った時に、この世の中で自分をふり向いてくれる人は極端に少なくなります。 だから、今日の詩人のことばのように、「私が年老いた時、私を見離さないでください。私が力衰えた時、私を見捨てないでください」という祈りがあるのです。

詩人は、「主は、ひるがえって、わたしを力づけ、すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう」と信仰の告白をしています。神は高齢者の人生の苦労にも振り向いて力づけて下さる方であり、主の義を与えて、死の恐怖からも解放し、永遠の命を与えて、主の御国に迎えてくださる方です。主はこう言われます。「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなた方を持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い持ち運び、かつ救う」(イザヤ46:4)。神は、目的をもってわたしたちを世に生みだしてくださったがゆえに、最後まで責任を負ってくださるお方です。神御自身が「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブライ13:5)と言われています。「死から復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです」(ローマ8:34b)。このような全能の神である父・子・聖霊のひとりの主を賛美しましょう。 

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