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「イエスの洗礼」 ルカによる福音書3章15~22節

2023-01-04 21:56:03 | キリスト教

 この記事は、1019年1月の説教です。内容があまり整理されていません。ただ、地図や写真等が多いので、参考にしてくだい。

   説 教

 福音書記者ルカは、イエスの先駆者ヨハネの活動を記すにあたって、当時の歴史的状況の中に、ヨハネ登場の年代を記します。

 「皇帝アウグストゥスの後継者・皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとがトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファと大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降(くだ)った。」(ルカ3・1)

 次の【 】は、説教では、省略する。

【ローマ皇帝ティベリウスは、初代皇帝アウグストゥス(治世:B.C.27~A.D.14)の後を継いだ2代目の皇帝で、その治世は、A.D.14~37年でした。その治世の<第十五年目>は、紀元27~28年になります。ポンティオ・ピラトは、サマリアを含めて<ユダヤの総督>だったのは、A.D.26~36年でした。

ヘロデ大王が紀元前4年に死んだあと、皇帝アウグストゥスはヘロデ大王の王国を四つに分割し、三人の息子たちとヘロデの妹による4分割統治にしました。

      

  ① アルケラオ(ヘロデ大王と妻マルタケとの子)は王の称号は与えられず、民族指導者として、ユダヤ、イドマヤとサマリヤを統治しました。アルケラオは他の兄弟たちより悪評が高かったので、紀元6年に、在位10年にしてガリア[ローマの属州:フランス南西部]に追放され、ユダヤはローマ皇帝の直轄領となり、総督がローマから派遣されていました。

  ② ヘロデ・アンティパス(イエス誕生当時のヘロデ大王とサマリヤ人の妻マルタケとの子)は,B.C.4~A.D.39年までガリラヤとペレヤ(ヨルダンの東岸地方)の領主でした。

  ③ フィリポはアンティパスの義兄弟(ヘロデ大王と妻マリアンメ二世との子)で、レバノン地方の<イトラヤ>と、ダマスコ南方の<トラコン(トラコニティス)>の領主となり」、紀元34年に死去しています。

  ④ヘロデ大王の妹だったサロメ1世は、地中海に面したヤブネなどを含む地域と、エリコの北のヨルダン川西岸のごく狭い土地(現ヨルダン領)を相続しました。サロメ1世の娘がアリストブロスと結婚したベレニケ(ヘロデ大王の姪)です。その息子が、使徒言行録12章に出てくるヘロデ・アグリッパ1世です。ヘロデ・アグリッパ1世は王の称号を皇帝ティベリウスから与えられました。ダマスコ北西のシリア州<アビレネ>は、リサニア(ヘロデの家系とは関係ない人)が継承しました。

      

      ヘロデ大王の王国の領地の四分割統治

  アンナス紀元6年から紀元15年まで大祭司であったが、民はアンナスを死ぬまで真の高位祭司としました。彼の後を継いだ義理の息子カイアファは紀元18年から36年まで大祭司でした。アンナスの影響が大きかったので、二人の名が挙げられています。ヨハネによる福音書でも、イエスはその裁判の場で、アンナスとカイアファの前に現れています。(ヨハネ18:12~28) 】

 アンナスとカイアファが大祭司だったとき、神の言葉が荒れ野にいたザカリア(ルカ1:59)の子ヨハネにのぞみました。ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しをさせるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えていました。

 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」(イザヤ書40:3~5)      

  ヨハネの宣教は荒れ野の中で用意され、イザヤ書の預言は成就されます。ヨハネは、イエスの先駆者として、異邦人を含めた全人類のキリストによる救いを預言します。洗礼を授けてもらおうと出て来た群衆に<蝮(まむし)の子等よ>とヨハネは呼びかけます。神の選民の資格を失った神の敵対者だという弾劾(だんがい)のことばを、イスラエル全体に向けて語ります。そして<悔い改めにふさわしい実を結べ>とせまり、ユダヤ民族の血縁を誇るなと告げます。

  <斧は既に木の根元に置かれている>(イザヤ書10:33~34)。悔い改めるのは今だ、と語ります。群衆は、<では、わたしたちはどうすればよいのですか>と尋ねました。ヨハネは、生活につながる具体的な改心の実を結べと語り、改心の具体化は、自分の周囲の人との関係を愛と公正によって律することだと、社会正義を要求しました。

 民衆は皆、ヨハネをメシアではないかと思いますが、ヨハネは民衆に向かって、「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と言いました。

 ヨハネの<水の洗礼>は、霊によってもたらされる洗礼への準備段階としての罪からの改心の洗礼です。<聖霊による洗礼>とは救いをもたらすイエスによる洗礼です。ヨハネの洗礼は、エッセネ派が行う繰り返しなされる清めの洗礼や、改宗者の洗礼とは違っていました。<聖霊と火>による洗礼は、ヨエル書3:1「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ」の成就としての神の霊の降臨と、主の御名を呼ぶ者が救われる洗礼です。脱穀で麦をふるい分ける表現は神の裁きの表し、殻を消えない火で焼くという表現は、神の決定的な刑罰を表しています。ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせ、イエスによる福音の準備をしました。

  ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込めました。こうしてヘロデは、それまでの悪事に、ヨハネを投獄するもう一つの悪事を加えました。

【(マタイ14章3節で<フィリポの妻ヘロディア>とありますが、この記述は、ヘロデ大王のもう一人の息子で、エルサレム私的生活をしていたヘロデ・ポエトスという人物の名と取り違えて伝承された誤記とされています。[現代聖書注解マタイによる福音書p.292・日基出版局発行]、EKK新約聖書注解Ⅰ/2マタイによる福音書p.501」】

 ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、自分の兄弟の妻であったヘロディアを奪って妻とした不法結婚(十戒の10番目の戒め、レビ記18:16、20:21)や、また自分の行ったあらゆる悪事のことで、ヨハネに責められたので、ヨハネを死海近くの要塞マケルスの牢に投獄しました。

  ルカ福音書では、7:18~35で、再びヨハネのことが記され、彼の偉大さがイエスによって語られます。9章9節で、ヘロデは「ヨハネなら、わたしが首をはねた」と語っています。マタイとマルコはヨハネの投獄と死とを、さらにくわしく報告しています(マタイ14:3~12、マルコ6:17~29)。

  民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来ました。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえました。主イエスは御自分の目で、聖霊が自分に降るのを見、聖霊を受けました。イエスは御自分の耳で神が自分に語られる声をお聴きになりました。イエスはこの時、神の子として神から全権を委任されている自覚が与えられ、励まし力づける聖霊が注がれました。その権威によって「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)と主イエスはガリラヤで伝道を始められたのです。

  神の子であられる主イエスはただ一人、悔い改める必要のない、罪のない方であられます。その主イエスがどうして洗礼を受けるのでしょうか。マタイによる福音書では、ヨハネが、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに」と言って、主イエスに洗礼を受けることを思いとどまらせようとしています。イエスが受けた洗礼は、この世に対して救い主が公に現れたことを宣言したものであり、イエスは民衆の罪を負って十字架に架かったように、ここでも民衆の罪を一身に負って、ヨハネの洗礼を受けられたものと思われます。

 旧約時代の最後の預言者と言われるマラキ以後、400年以上も預言者は現れませんでしたが、ここに「預言者以上の(預言)者(ルカ7:26)」とイエが評価した洗礼のヨハネが現れ、ヨハネが「来るべき方」といったメシア・イエスが現れたのです。イザヤが待ち望んだ新たな時代が始まったのです。

     

  イエスの洗礼の場所とされている伝統的な場所は、エリコの東約15キロのヨルダン川の東岸の場所(ヨルダン王国)、カシール・アル・ヤフド(Qasr al Yahud)です。は、紀元2000年に、ユネスコ世界文化遺産に指定されました。上の地図の死海のすぐ上の部分です。

   復活されたイエスは、弟子たちに「あなたたちは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」(マタイ28:19)と命じています。洗礼は、イエス・キリストに結ばれるために受けるのです。(ローマ6:3)イエス様の死にあずかるために洗礼を受け、キリストが死者の中から復活されたように、私たちも新しい命に生きるためです。

  私たちは、洗礼によって神様の愛する独り子であるイエス様と一つに結び合わされます。そのことによって私たちは神様の子とされるのです。神の子とされた私たちは、イエス様と同じように、神様の御心に適うことを何よりも第一とする者にされるのです。それは神を愛し、人を愛し、神に仕え、人に仕える道です。そして、まことの神の御子であるイエス様に似た者に変えられ続けていくのです。「主イエスを仰ぎ望んで喜びを得る」こと、キリストと共にいることが唯一の願いとなるのです。

 「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。」(詩篇27・4)

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