私の家は「お墓ビュー」です。
何年も前のお部屋内覧のときに
窓から外(お墓)を見ている私の様子に、
不動産屋さんは無言のままで
フォローもできずに不安そうでした。
ですが、一本大きな桜の木があり、
その桜の木によって
マイナスを緩和する以上の魅力が
私にとっては感じられて、
私はその「お墓ビュー」の部屋を
逆に気にいりました。
桜の時期はもちろんですが、
初夏から夏へのふっさふさの緑、
赤と茶の混じった紅葉、
完璧な枯れ木の「かれた」風景、
それぞれがとても素敵で、
自分のものではなくても
毎朝部屋から眺めている
自慢の美しい桜ちゃんだ。
今年2025年は3月24日が
東京の開花予想時期。
その1週間前という、
「植物にとってはありえないタイミング」で、
大きな枝が大胆に切りそろえられてしまった。
たぶん人間同士のトラブルによって。
そのお寺とマンションの間に細い道があり、
その道は、お寺の敷地のもので
お墓参りの参拝者専用ですが、
奥に数軒、家があり
袋地になっているので
その住民の方、数名だけが
通行したりします。
そこにそれ以外の外部の人が
一歩でも入らないように
チェーンやコーンが置かれて
お寺によって死守されています。
そのたたずまいや貼り紙などから
土地の境界への相当なこだわりが、
感じられます。
自分の桜も、
文句を言われないように
これみよがしに開花の前に
大きく切ってしまったよう。
不動産の権利を
「登記上」もめているなら
話は変わってくると思いますが、
そういう話ではなくて、
実生活で他の人がちょっとでも得するのを
必死に防いで、
そのために長年積み上げて
花を咲かせている自分の木を傷つけている。
私が、
借景を無料で楽しめなくなったのが、
悲しいというよりも、
ぱっくりとまだ白々しい桜ちゃんの切り口が
痛々しくて見ていられない。
人間がとっても愚かだと思った。
達観した、できた人間を装って
こんなそれらしい言葉を吐いて
悦に入っているのではないの。
本当に愚かさの犠牲になっている
痛々しい断面を前に、
本当にそう思ったんだ。
自分が幸せになるためではなく
他人が幸せにならないために
喧嘩している。
桜ちゃん、今年も咲いてね。
無言のまま咲こうとしている桜ちゃんを
私は応援している。
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