あり方と佇まいと表現力3 | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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フィギュアスケートの高橋大輔さんを無条件に応援しております。

全日本まであと2週間ちょっと。14日間の待期期間を考えるとそろそろ帰国されているはずですが、哉中ちゃんからの報告がないってことは今は静かに待て!っていうお達しが出てるんでしょうね。私もわんこみたい舌を出してハーハーしつつ、大人しく待ってまーす!

全てはきっとうまくいくと信じて!

 

 

今日は先日書いたPCSの改正案について考えたことをまとめます。

 

PCSの項目が5から3に減り、Transitions(つなぎ)とInterpretation of the Music(音楽表現)が削除対象になるという案が提出されましたが、

これらはフィギュアスケートにとってアーティスティックな表現の根幹ともいえる項目ですからね。

採用されたら選手は一気に技術優先に傾いてしまい、鑑賞する側からすれば魅力を失ってしまうことが危惧されます。

 

私もこれは無いだろうと考え、若干立腹モードで先の記事をアップしたのですが、5項目があったとてそもそもきちんと運用されていないのなら3つに統合しちゃっても構わないんじゃない?という気がしないでもなかったのです。

 

そしたら同様のコメントをいただいたので改めて考察してみることにしました。

 

まずルールですがガイドブックを見てもちっとも文面が頭に入ってきません。

というのも非常に抽象的な言葉が並んでいるのでど素人の私にはイメージできないのです。

難度の高いことをやってるのか、そうでないのか?はなんとなくわかります。

 

ではこれはいったい何を、どういう状態を指しているのか?その判断はジャッジ間の研修で共有されてますが、私のような一般人が理解するのは難しすぎます。

 

IN:音楽を理解し、融合した動き・表現がされているか。音楽の性質、感情の表現の有無。

 

音楽に融合するって言ったって音楽の方は編曲可能なんですからいくらでも本人に合わせてタイミングを図ることが出来ます。音楽に合わせるんじゃなくて、スケーターに合わせたリズムを調整するのは今や当たり前のセオリーです。

じゃあそれが音楽的かと言えば・・・・

 

スピンの回転が終わるまでサビの部分をなんども繰り返してリピートしたらそりゃ違う!!ってなりませんか?

 

そもそも今のルールでは短い演技時間に対してジャッジが見極めなくてはならない項目が多すぎるのでは?という疑問があります。

 

いや長年これでやってきたのですから今更ですが、いくら経験を積んだジャッジであったとしても人間の能力には限界があるはず。

 

また実況解説でも技名は言いますが、PCSの観点から詳細を説明しているのはあまり見かけませんね。

 

旧採点時代ですが五十嵐さんはステップの流れであったりスピードとか密度について言及してくれていました。今の方々はあたりさわりのない解説しかしませんが、それはジャッジの判断とあまり食い違ったことを言えないという配慮があるのかも。

 

本来ならルールと観客の橋渡しをしてくれるのが解説の務めのはずですけどね。でも我々が見ているのはジャッジが見定めようとしている項目のほんの一部でしかすぎず、たとえば「音楽に合わせて素晴らしい動きをしていますね。」ということは理解できても、それが10点満点のうち7.5できているのか8.0なのか?はまったくわからないわけで、説明しようがないと言われたらそれまでです。

 

たとえ素人が分からなくてもジャッジが理解でき、常に正しい採点がなされていれば競技としてはまったく問題ありません。

 

が、実はそうではないのが問題なのです。

 

 

成果報酬評価の公平的な分配を探る経済学の視点からフィギュアスケートの採点におけるジャッジのバイアスが存在するか否かを調べたなかなかユニークな論文を見つけたのでさっそく読んでみました。

 

「成果評価基準における正確性について―フィギュアスケートにおける主観的評価の検証」

https://www.jcer.or.jp/jcer_download_log.php?f=eyJwb3N0X2lkIjozMjQ3MywiZmlsZV9wb3N0X2lkIjoiMzI1MDUifQ==&post_id=32473&file_post_id=32505

 

今は年功序列ではなく成果報酬制度を設ける会社が増えてきました。しかしその場合労働者に満足感をもって受け入れてもらう対策が必要です。

 

業績向上に貢献した人にはそれなりに報いたいけど不公平感が募れば陰で支える大切な人材を失いかねません。不公平にならない分配方法をさぐるにあたり、どういう評価が望ましいかを探る一つの手がかりとしてフィギュアスケートの採点を例に考察してるんです。

 

詳しいことは論文をお読みいただければわかりますが、単なる数字に表れないもっと曖昧な評価がフィギュアスケートには存在します。それがPCSつまり演技構成点です。これを評価するのにジャッジにバイアスがかかっていないかを調べたそうです。

 

この論文ではバイアスを特定の状況で繰り返し起きるシステマティックなエラーと定義しています。

 

人種や国、出身地などいわば身内感情を伴うもの、これを内集団バイアスと言います。日本人だから日本の選手を贔屓する。自分が好きな選手を特別視するのも内集団バイアスです。

 

 

ほかにもジャッジには「期待」「順序」「難易度」という4つのバイアスが存在するとされています。

 

前回上位の選手がもちろん今回もいい演技をするだろうからと甘い採点になりがちなのが順序。

難しいことをしているように見えるというだけで実際は簡単なのに高得点をあたえてしまいがちなのが難易度バイアス

 

この論文はより数値的なデータを集めやすい「期待値」に的を絞っています。

2005年から2015年の世界選手権と3回の五輪の得点をもとに、あるスケーターが本来の滑走順より上位のグループ、たとえば7位以下の選手が最終グループで演技したと仮定して、得られる期待値がどう変化するかを調べてみたのです。

 

 

 

グループの最下位とひとつ前のグループ最上位、例えば6位と7位の選手、12位と13位の選手にはそれほど実力差はないはずです。が、それらの選手間の得点差が、同じグループで滑走した7位と8位、13位と14位の差に比べて大きかったらやはりそれは滑走グループによる違いと受け止めてもいいでしょう。

仮想の選手が一つ上位のグループで滑った場合に得られる得点の期待値を数式を用いて調べたところ、技術点では差異が見られなかったのに対し、演技構成点のみ10%以上得点があがり、期待バイアスがかかったことが判明しました。

 

フィギュアスケートは主観的な評価にバイアスがかかるシステマティックな問題を孕んでいるとデータで立証されてしまったわけです。

 

 

したがってそういうアバウトな採点項目を一掃し、すっきりとクリーンに分かり易くして、客観的な判断項目のみにしたらどうだろう?というのが今回の提案の趣旨だと推察できなくもありません。

 

が、技術点の向上に注力しすぎればフィギュアスケートの芸術的が表現は損なわれ、魅力を失うのもまた自明の理。

勝敗、あるいは成否をのみ望むならば誰が余計な体力なんぞ使うものですか。ただでさえ大変なのに。

自由度を増すことによりさらにユニークな表現が可能になるのを期待してコレオステップを導入したら、結局スケーターのお休みどころになってしまったのがそのひとつの例です。

 

 

たしかに人間にAIのような正確無比な判断はできない。バイアスを完全に排除するのは無理。

 

でも仕方ないじゃないの

 

人間だもの!

 

 

その上ファンなんぞ100%バイアスの塊ですからね。フィルターが何重にもかけられて目が曇りまくってます。

あばたもえくぼだし、推しにチラッとでもこっちを見てもらえたら即、昇天です。

 

そんな輩がジャッジに物申すなんて100年早いわ

 

 

です!

 

100%出来高払いの会社に勤めたい人はそうはいないでしょう?評価基準がたくさんあって、その中で自分の得意技を見つけられた方が働くにしても満足度が高いじゃないですか。簡易的な評価にするより大切なのは透明性ですね。

 

 

むしろテクニカルにほぼバイアスがかかってなかったのが驚きです。もっともこの方ほかにもジャッジが回転不足をどのくらいの精度で見分けられるのかの実験もなさってまして、正答率が7割以下だったのも判明したわけですけどね。

実験したのはあくまでも競技と同スピードでの映像判定ということで、テクニカルはちゃんとスロー再生でレビューかけてますので大丈夫だと思いたいです。そしてやっぱり競技経験者のほうが実地なしに比べて、そしてコーチ経験が長い程正確な判定ができていました。

 

例えば足が真っすぐなのかわずかに曲がっているのか?

 

こういう肉眼では曖昧だった判定ができるAIの開発研究も体操競技では進んでいます。これが導入されたらこれからのスケーターはより細かい動きに注意することになりそうです。

 

http://sports-performance.jp/paper/2118/2118.pdf

 

 

結局毎年ルールが改正されるのも各国のスケート連盟と選手が完全に納得できる公平な採点方法を見つけるためであるのは納得です。

しかし見られるスポーツであることも忘れないでほしいですね。

NHK杯の観客に私たちが思う以上に選手が感激していたのは驚きでした。スケーターは観られるのが一番うれしいはず。

 

 

ファンも様々。

うっとりしたければバレエを見るがいい。フィギュアスケートにそれは必要ないという極端な考えの方もいるでしょう。

私のようにスケート表現にのみ魅了されてもっともっと沢山の名プログラムを見たいと待ち望んでるものもいます。

 

 

しかしどちらにせよ、カリスマ性を持ち一歩抜きんでた力量あるスケーターの存在の前にはイチコロです。

 

結局どう転んでもアーティスティックスポーツの正しい採点は難しいとはいえ、スケーターはそこに拘らずニコライ・モロゾフが言うところの「お待ちかねの選手」を目指してもらいたいなと願います。何度でもリピートを止められなくなるような演技ができればそれはジャッジが下した曖昧な得点以上の価値があるんだと、そこは自信を持ってもらっていいと思うんです。

 

 

そのためにはやっぱりつなぎも音楽表現も欠かせません。

 

大ちゃんが言うにはフィギュアスケートの魅力ってあの広いリンクを独り占めして観客の視線を自分一身に集められるところだと。

そこで何を見せられるかが本当の勝負です。

 

哉中ちゃんも私たちの舞台で最高の演技が魅せられたらおのずと結果は付いてくるとおっしゃいましたね。

 

 

年々できなくなることは多くなっても、同時に出来ることも増えていく。

 

惑わされず信念をもってスケートに取り組んでくださればファンは必ず付いていく。

 

全ての人が納得できる公平な採点はできなくてもやる気を促し、息の長いスケーターになるためのルール改定であってほしいと私は願ってます。

 

 

 

 

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