ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

日本最南端の島の周囲を歩く

2024-04-24 23:21:58 | 沖縄県

2024年3月16日(土)

波照間島(沖縄県竹富町)は、周囲15km、人口500人に満たない有人島では日本最南端となる小さな島。集落は、島のまん中にあり、周りはさとうきび畑に囲まれている。

 

ニシ浜。フェリーターミナルから島を反時計周りに島一周道路を800mほど歩いたら到着。ちなみに翌日も天気が良かったし、沖縄でも最高クラスの海の色なので、2泊3日の滞在で初日と2日目と2回訪れた。

ニシ浜。「波照間ブルー」と呼ばれる海。背後に西表島が見える。シュノーケルした人の話では海ガメを見たとのこと。一人でシュノーケルはしないつもりで訪れたので、用具や水着を持参しなかったが、天気がいいし、暑いし、せめて水着だけでも持ってくれば良かったと少し後悔。水温はまだ少し冷たいうようだ。

ニシ浜から島一周道路に戻り、さらに反時計周りにサトウキビ畑を見ながら単調かつのどかな風景の中を歩いた。写真は、島一周道路から反れて底名池展望台というところへ通じる道。底名池展望台はGoogleマップを頼りに行ったが、結局、わからず辿りつかなかった。

ふたたび島一周道路に戻り、ひたすら歩く。たまにレンタサイクルに乗った観光客が通りすぎていく。波照間島はバスもタクシーもない。

サトウキビを収穫している。この島の周囲はサトウキビ畑が多く、島内に製糖工場もあり、波照間産の黒砂糖が共同売店で売ってあり、石垣島などで購入するより安い。

島一周道路から反れてペムチ浜に訪れたが、ニシ浜の「波照間ブルー」の海の色はではない。

島一周道路に戻って歩くとこのようにヤギを放牧してる牧場があるが、広い牧場に多くてせいぜい5匹程度。ヤギで生計をたてるには少なすぎるし、ペットかな?自分の家で食べるのか?

島一周道路からまた外れて2km程度歩いて日本最南端の碑に到着。

日本最南端の碑から海沿いの道路をさらに2km程度行くとサトウキビ畑の中にポツンと波照間空港ターミナルビル(写真左)。現在は飛行機は就航していない。ここからまた歩いて民宿に戻った。波照間に2泊するが初日で島を徒歩でのんびりと1周した。夜は満天の星空に南十字星が見れるということであるが、曇っていたせいか、期待はずれの星空だった。

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日本最南端の島の集落を歩く

2024-04-24 18:22:54 | 沖縄県

2024年3月16日(土)~3月18日(月)

波照間島(沖縄県竹富町)は、周囲15km、人口500人に満たない有人島では日本最南端となる小さな島。アクセスは特殊な場合を除き石垣島・西表島からの船のみ。

 

宿泊した民宿からの風景。右の建物は、幻の泡盛「泡波」の酒造会社。製造本数が少なく島外に出る機会が少ないため、酒造会社直営店は定価だが、島の共同売店は2~3割は高くなる。石垣島では倍以上の価格だった。那覇や東京ではかなり高額になる。島内でも早く売り切れるし、ミニボトル以外は1本しか購入できない限定販売。なんとか島内を巡りミニボトルを4本ゲットした。

他の沖縄の離島と同じ癒しの風景。しかし、ここに訪れるには石垣島から船で約80分であるが、外海に出た時に波が高いことが多く、欠航率が高い。就航しても揺れがひどく「ゲロ船」と呼ばれる。石垣島から日帰りができるが、余裕をもった計画を立てた。やはり船は揺れたが、かつて船釣りによく行って鍛えたので?思ったほどではなかった。

沖縄の離島の小学校でよく見かけるが、この小学校も同様に卒業生が卒業記念に塀に絵を描いている。

日本最南端の交番。日本地図で波照間が最南端ということをアピールしたいと思えるが、波照間島が小さすぎて、矢印や文字で示さないと単なる日本地図をデザインしただけに見えて笑える。

共同売店。島の特産品の黒砂糖や幻の泡盛「泡波」は、島外で購入するより安く手に入る。この売店で泡波は売り切れだった。

人気のカフェ。余裕があったので多分1時間近く待った。

かき氷「黒糖スペシャル」を注文。なんと500円。日光でかき氷を食べたが、その3/1以下で量も味も大満足。

 

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日本最西端かつ最南端の市の中心部を歩く

2024-04-24 00:19:50 | 沖縄県

2024年3月15日(金)・ 3月19日(火)

石垣市は、八重山諸島の政治・経済・文化・交通の中心となる石垣島の全域となる。沖縄本島より、台湾が近く、日本最西端であり、かつ日本最南端の市である。その中心部を歩いた。

 

石垣空港に着陸前に機内から撮影。与那国島からの飛行機はプロペラ機であり、着陸するためプロペラの後方よりタイヤが出てきた。晴れていたのでリーフがメッチャきれい。

中心部であり島内で最も交通量が多い「730交差点」からの風景。1978年7月30日に車が右側から左側通行となり、島内主要地点にアクセスする出発地点となるこの交差点に「730記念碑」がある。

730交差点から東側に1km程度歩いたら、マンタのモニュメントがあった。

マンタのモニュメント横の歩道。椰子の街路樹の中を高校生が通学。

沖縄には何度も訪れているが、赤い瓦と漆喰の白が映える沖縄特有の家屋を見るとついつい写真を撮ってしまう。

離島ターミナルにある石垣が生んだボクシング界のスーパースター具志堅用高像。本当に強くて、試合を見るのが楽しみだった。以前、訪れた時はここに像はなかったが、ここから少し離れたところにある具志堅用高記念館に行った。

中心部のアーケード商店街。与那国に3泊してから訪れたので、都会で何でもあるという感じがする。

730交差点の西側の通り。石垣島は以前2回訪れたことがあり、今回は波照間島の中継地として訪れただけ。波照間島に訪れる前日は、中心部の東側をお歩きさん、そして波照間から戻ってから中心部の西側をお歩きさん。

中心部の西側周辺をいろいろ歩いた。

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日本最西端の島の東半分を歩く

2024-04-15 00:26:21 | 沖縄県

2024年3月13日(水)

与那国島は、一般人が行くことができるところでは日本最西端の地となる。島は東西に横長の形をしていて、集落があるのは西部と中部。そのため東部はバス路線がない。

 

島の東半分はバスがないため、島中央南部の比川集落から、島中央北部の祖納集落までの東半分を歩いた。東側の海岸線に出るまでは単調な森や牧場があり景色は良くないが、道路沿いにやたら蝶が多かったので、撮影しながら歩いたので退屈しなかった。が、なかなか静止してくれないので撮影は難しかった。写真はネットで調べたところジャコウアゲハ八重山亜種。

イシガケチョウ。この蝶は今回、初めて見たが、本州でも紀伊半島以南、九州、四国でもいるとのこと。長く静止してくれたので撮りやすかった。近年温暖化により分布を拡げている。

ミナミキチョウ。奄美大島以南に生息するキチョウで、本土で生息するキチョウはキタキチョウと言って、外見はにているが生態がことなるそうな。

調べてもわからない。もしかして新種発見か?まさかぁ・・・ 

写真にうまく撮れないが、種類も数もたくさの蝶を見ながら森を抜けようやく海が見えるところに出て、展望台から立神岩(左下)を撮影。

立神岩展望台付近から反対方向を撮影。遠くに東崎灯台が見える。

ひたすら歩く。歩いている人はいない。レンタカーかバイクをたまに見かける。森と違って遮るものがなく暑い。タオルを帽子で固定し、顔をガードしたつもりだったがかなり焼けた。

東崎灯台付近にいる与那国馬。日本在来馬で離島のため外来馬との交配が少なく、血統がよく保たれてきた。小型で茶色の毛で人なつこいので観光用で乗馬できる。与那国馬は島内に牧場がたくさんあり、バスが通るところでも道路の真ん中を歩いてる。なので、馬が集落に入らないようするため集落近くの道路にテキサスゲートと言われる格子状の溝をつけている。

ティンダバナという祖納集落のシンボルの岩山が見えた。民宿まであと少し。

祖納集落に入る手前にある墓地。沖縄特有の大きな墓地がまるで遺跡みたい。この日は,最低でも15kmは歩いた。

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日本最西端の島の人気ドラマのロケセットがある集落を歩く

2024-04-12 21:52:32 | 沖縄県

2024年3月13日(水)~  3月14日(木)

与那国町比川は、一般人が行くことができるところでは日本最西端の地となる与那国島にある集落。「Drコトー診療所」のロケで使われた診療所のセットがそのまま残っている。

 

集落内の各家庭が出資して運営する比川共同売店。比川集落の唯一のバス停がある。

比川集落の風景。島にある3つの集落の中で最小で人口約100人。島内には食堂が少なく営業してない場合が多いので、特に八重山そばを食べたかったので、宿泊している祖納集落からバスの時間、店が営業してるかどうか調べて比川集落を訪れた。

バス停降りたところの食堂で与那国に来て2日目で初めてまともに食べた。食堂の女将さんは、実家を改装して食堂されている。八重山そば定食を頼んだら、メインの八重山そばの他に、与那国独自のアザミ麺汁(左上)、ジーマーミー(右上)、もずく、パパイアの炒め物などの郷土料理、おまけにアイスコーヒーをサービスしていただき、満腹&満足。

食堂の裏にいけば海。Drコトー診療所の下にあるビーチ。♪銀の龍の背に乗って~♪

Drコトー診療所。ロケのセットがそのまま残っている。ドラマでは与那国島が「志木那島」という設定で、島内各所でロケを行った。2022年に十数年ぶりに映画化されたがコトー先生が白髪になっていたなぁ。ちなみに実際は比川集落には診療所はなく、島内最大集落の祖納にある。

ロケセットの内部に入ると、さらにドラマのシーンが蘇る。無人受付箱に300円を入れる。

セットの屋上からの眺望。旗のすぐ左は比川小学校。さきほど食堂の女将によると、卒業したら祖納まで歩いて通学していたそうな。5km程度ある。今は生活循環バスで通学かな?

比川集落内散策。ブーゲンビリアが青空に映える。南国だなぁ。

比川集落内で歩いていて出会ったのは哺乳類ではネコだけかな。

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日本最西端の島の最西端の集落を歩く

2024-04-12 00:14:19 | 沖縄県

2024年3月12日(火)・3月14日(木)

与那国町久部良は、一般人が行くことができるところでは日本最西端の地となる与那国島にある集落。島内にある3つの集落の中で、もっとも西にある集落。

 

久部良港バス停近くのカジキ像。与那国島は日本有数のカジキ漁場であり、毎年カジキ釣りの国際大会が開催される。

バス停の後ろには川かと思っていたが、久部良の集落の先にある池と港の間の水路。

与那国島のフェリーが発着するのは久部良港のみ。フェリー航路は石垣島のみで週2便あるだけで所要4時間。そのため飛行機を利用して訪れた。

与那国町漁協。「Drコトー診療所」で漁師役が主要キャストだったため何度も登場した。この中にある「漁協食堂」が評判が良いので、食事しようとしたが臨時休業だった。地元の人に聞いたら、食堂の調理する人が辞めたため。他の店はなかったので、商店でカジキの刺身とおにぎりを購入して食べた。

港周辺をフラフラしていたら、釣りを終え、釣り竿を持って歩いている人がいたので、何が釣れたかと聞いたら嬉しそうに、カジキを釣ったとのこと。今、漁協で捌いているところだからとのことだったので、慌てて漁協に行って捌いてるところを見学。既にカジキの鋭い嘴のような部分は切り落されていたが、初めて見て満足。

ナーマ浜。漁協から日本最西端へ行く途中にある。

フェリーが停泊しているところから右に徒歩20分程度のところにある日本最西端の展望台付近から見た久部良集落と港の風景。

港を挟んで対岸の坂の上から見た日本最西端の西崎灯台。この近くに日本最後の夕陽を見る丘があるが、生活路線バス(島内3集落を循環する無料バス)の時間の関係上、夕陽はあきらめた。

日本最西端のとは対岸の久部良集落。この坂の上(写真とは反対側)に中学校があり、「ようこそ台湾の見える久部良中学校へ」と歓迎ボードが校門にデカデカと掲出されていた。しかし、澄んでないためこの日は台湾は見えず。ちなみに与那国島から台湾まで111km、石垣まで127km、沖縄本島まで509km。

坂を下っていくと、漁具であるブイを使ったアートを飾っている家があった。

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日本最西端の島の中心集落を歩く

2024-04-11 00:33:17 | 沖縄県

2026年3月12日(火)~3月15日(金)

与那国町祖納は、一般人が行くことができるところでは日本最西端の地となる与那国島にある集落。島内に3つある集落でもっとも人口が多く、役場があり島の中心地となっている。

 

与那国町役場。島内最大の人口を擁する祖納(そない)集落のまん中あたりにあり、まさに島の中心部だけど、特に夜は営業している食堂が少なく、予約しないと入れないことがある。祖納集落に3泊したが夜は近くの商店で購入したもので済ませたが、パンや弁当、おかずもめぼしいものがなく、2日目から早いうちに購入しておいた。

役場前の風景。バスは3つの集落間を循環していて無料で乗車できるし、昼間時間帯は1~2時間に1本あり、とても便利がよく滞在中はかなりお世話になった。

日本最高のアルコール度数の酒、泡盛「どなん」が2011年までここで製造された。現在は集落からはずれたところに移転している。

集落内の風景。沖縄の離島という感じで癒される。

空港や他の集落につながる幹線道路。

ティンダバナ(正面の岩山)は、サンゴの隆起、浸食によりできた。天然の展望台になっている。循環バスの運転手に展望台に上ってみることを勧められた。

ティンダバナからの祖納集落とナンタ浜。

ナンタ浜とティンダバナ。この写真とは反対側になるが、地元の人が橋の上から釣りして、青物系の色した大きなカマスのような魚を竿を入れてすぐに釣り上げた。

小学校(写真右)近くの風景。

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彩の国で最後に鉄道駅ができた市から隣の市までひと駅歩く

2024-04-09 21:43:27 | 埼玉県

2024年3月5日(火)

八潮市は、埼玉県で唯一鉄道が通過しない市であったが、2005年につくばエクスプレスが開業して市内にひとつ八潮駅ができた。次の駅は上り東京都足立区、下り埼玉県三郷市の駅となる。

 

つくばエクスプレス八潮駅。駅自体は大きくはないが、近代的な駅という感じ。つくばエクスプレスが開通するまでは、埼玉県の市で唯一鉄道が通過してなかったので、昭和の頃から市であったが印象が薄かった。

昭和の頃から市であるのに、駅周辺に昔ながらの商店街がなく新しい建物ばかりということは、用地買収しやすい何もないところに駅を作ったのかな。

駅付近は、東京通勤が便利になったので、高層マンションが建ち、地価が上がっていることが想像できる。

駅から少し歩くと高層マンションはないが、新しい住宅ばかり。昔からの市の中心部を歩いてみたかったが、反対方向に来ていた。

つくばエクスプレスの次の駅がある隣の三郷まで歩いてみることにした。写真は途中にあったコスモスペース。太陽系をモチーフとした惑星のオブジェの小さな公園。

中川をわたると川の向こうは三郷市。

中川を渡って三郷市に入ってから、つくばエクスプレス三郷中央駅までは約3kmだが、途中、雨が強くなったのでコンビニで休憩しながらたどりついた。駅前はやはり高層マンションが立ち並ぶ。

つくばエクスプレスの電車。

つくばエクスプレス三郷中央駅。八潮駅の隣駅であるが、中川を渡る鉄橋の近くに橋がないため徒歩で行く場合、かなり大回りすることになった。

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都心ビジネス街から湾岸経由し新幹線ひと駅を歩く

2024-04-07 23:52:29 | 東京都

2024年3月2日(土)

東京駅からJR線路の西側にある丸の内、日比谷など都心のビジネス街を通り、新橋からはJR線路の東側を歩き、東京湾沿いを品川駅まで歩いた。東海道新幹線をひと駅歩いた。

 

丸の内ビル35F展望台より国会議事堂を望む。一方向しか見渡せないが無料展望スポットなので十分。

ミッドタウン日比谷前の初代ゴジラ。ゴジラ70周年記念イベントで展示されていたようで、20日後にここを通ったが撤去されていた。なお、この斜め向かいあたりにはシン・ゴジラ像が常設展示されている。

新橋駅からまっすぐ伸びる烏森通りと汐留の高層ビル。

JR新橋駅の構内を通り抜け、銀座方面の風景。

汐留にて日本テレビに立寄って宮崎駿が設計した大時計を見た。写真正面は自動運転列車「ゆりかもめ」。

汐留から東京湾方面に行ったところに無料で展望できるビルがあった。47Fから勝鬨橋方面を展望。

47Fから浜離宮の菜の花畑を展望。

日の出桟橋に来たら三宅島、八丈島に就航している船が停泊していた。写真右はレインボーブリッジ。

レインボーブリッジの横を通過した付近でモノレールを撮影。

JR品川駅に到着。東京駅から新幹線でひとつだが、山手線では6つ目の駅となる。鉄道の距離は約7kmだが寄り道や大回りしてるので多分10km以上は歩いている。

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「西の京」の白狐伝説がある温泉街を歩く

2024-04-05 23:32:39 | 山口県

2024年2月29日(木)

湯田温泉は、山口市の市街地にある温泉で歓楽街となっている。白狐が傷ついた足を癒すため来ていたことから発見された伝説がある。

 

JR山口線の湯田駅前の巨大白狐。この像の後ろには足湯がある。

湯田温泉街には旧国道9号線(現在は県道となった)が通っていて、交通量が多く、土産物屋や温泉旅館が多い。

湯田温泉街のメインストリートである旧国道9号線沿いに、このように狐の像や足湯が結構多い。

白狐のポスト。

維新の志士たちが集った温泉旅館。高杉晋作、坂本竜馬など幕末の志士たちゆかりの宿。

湯田温泉出身の詩人中原中也。30歳で病気で亡くなった。

メインストリートから入ったところにも幕末や明治維新を感じられるところがある。写真は明治維新の時の政治家「井上馨」の生家跡につくられた井上公園。公園内には井上馨像、中原中也詩碑、種田山頭火句碑などがある。湯田温泉は何回もメインストリートを通ったし、訪れてもただ温泉に入っただけでじっくりと歩いたことなかった。路地を歩いても幕末・明治維新好きの人には楽しめる。

坂本龍馬の木像(写真右)。

幕末の志士の密議に使われたお茶屋跡にある居酒屋。

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