【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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創世記23章

2021年10月19日 06時57分56秒 | 創世記
創世記23章 サラの死(約束の地の所有)
1.サラの死(23:1-2)
 長年連れ添ったアブラハムの妻、サラが天に召されました。サラが127歳の時です。アブラハムは、「悼み悲しみ」泣いたと言います。「悼み悲しみ」はヘブル語でサーファド、胸を打って悲しむ意味があります。この時、アブラハムは、人の死後をどのように考えていたのか、それははっきりとは書かれていません。ただこれまで見てきた中で、アブラハムは神を、全能の神であるのみならず、永遠の神であると理解するに至っていますから、サラも、永遠の神のもとへ帰った、という信仰に立ったであろうと考えられます。それは、今日、キリスト者であれば、イエスの十字架と復活の信仰に立つようなものです。
ただし、それにしてもやはり、人の死とは悲しい現実であることには間違いないことでしょう。私もふと、今自分が親しくしている人が、目の前から消え去ることを考えてみようものなら、その悲しみを乗り越えられるのだろうか、と素直に思うことがあります。それが現実になった時には、そこでハレルヤなど、キリスト者らしい態度をとる前に、不本意にも悲しみと痛みに心が流されてしまうのではないか、と思うのです。神を信じていたとしても、心はそれほど強くはなく、神が恵みをもってみ言葉を示し、死は、永遠のいのちに至る門である、と心のうちに深く語り掛けて助けて下さることがなければ、長くふさぎ込んでしまうこともあるだろう、とすら思います。アブラハムにしてみれば永遠の神、キリスト者にしてみれば復活の信仰、その確信も主に与えられ、主に支えられて乗り越えられる、一つの人生の危機でしょう。
2.手に入った約束の地(23:3-20)
さて創世記の著者の関心は、アブラハムがサラの死をどう思うかではなく、アブラハムがサラの死をきっかけに約束の地を、社会的に所有したことを明らかにすることです。約束の地を手に入れるというお話は、ただ神と彼との間の個人的、主観的なお話ではなく、これを機に、一般社会に認められる現実のものとなったということです。
アブラハムが妻を葬った、このヘブロンの地は、エルサレムの南南西30キロ、海抜約1000メートルの丘稜地帯に位置しています。もともとはキルヤテ・アルバと呼ばれ、水が豊かでぶどうの名産地とされるところです。アブラハムの時代には、ヒッタイト人が住んでいました。ヒッタイト人については、様々な説がありますが、当時のヒッタイト人は、パレスチナ先住民族のことを言っていたようです。ともあれアブラハムはその地に住むヒッタイト人エフロンから、銀400シェケルで墓地を買ったのです。シェケルは、最もよく使われたお金の単位で、三種類の換算方法がありましたが(王のシェケル:1シェケル約12.28グラム、通俗のシェケル:1シェケル約11.38グラム、聖所のシェケル:約10グラム)。通常の方法で計算するとおおよそ銀4,552グラムです。エフロンは、それはアブラハムにとっては些細なことだろう、と言いますが(15節)、実際にはそれ相当の値段だったということでしょう。そして、アブラハムは一切値切らずに、その申し出を受け入れ購入するのです。確かにそうでしょう。神が与えてくださる土地です。それを値切る、少しでも安く買いたたこうなどというのは、どんなものでしょう。むしろ、神様これでも足りないかもしれません。でも、与えてほしいのです、とそれ相当の必要に投資する、というのが本当ではないでしょうか。そして何よりも、この物語の要点は、アブラハムが正々堂々と約束の地を手に入れた、社会的認知を得た、ということです。
 人は、損得で物事を考えやすいものです。また楽をして儲けられたらよいと考えやすいものでしょう。しかし、それが間違いのもとです。人間、ただ金を使ったり、それに乗っかったりするようになったら堕落です。アブラハムは、たとえ神の約束であっても、いや神が与えてくださるものであるなら、それ相当の代価を払って得る、誰の目にも影曇りもなく、得るべきものだ、と考えました。私たちの信仰の祖、身内の者が、そのような考え方をした、そのような財産を残してくれたことに感謝すべきでしょう。「顔に汗を流して糧を得」(3:19)る。そんな一日としたいところです。では今日も良い一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「旧約聖書で禁じられ、忌み嫌われた、子どもを神にいけにえとしてささげる異教的な宗教は何と呼ばれましたか?」答えはアンモン人の宗教で、ミルコム、またはモレク、モロクと呼ばれました。幼児をいけにえにする祭儀があり、旧約聖書ではこのような行為は禁じられています(レビ18:21、20:2-5、2列王23:10)。では、今日の聖書クイズを一つ。シェケルはお金の単位ですが、三種類の換算方法がありました。それは、王のシェケル、通俗のシェケル、そして何のシェケルでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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