【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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民数記6章

2022年01月27日 07時00分26秒 | 民数記
6章 ナジル人の定め
1.ナジル人の定め(6:1-21)
 「ナジル人」のナジルは、「聖別する」「分離する」を意味するヘブル語の動詞ナーザルから出たことばで「ささげられた者」「聖別された者」を意味します。つまり一定期間、神に身を献げる誓願を立てた者のことを言い、その期間は、一時的、一生と様々でした。彼らは、先の5章で述べられたような汚れを避けるという消極的な生き方のみならず、より積極的に神の者として生きる証しとして次の三つのことを守りました。
①ぶどう酒と強い酒を断つこと(3-4節)
②聖別の期間中、髪の毛を切らない(5節)
③死体に近づかない(6-8節)
禁酒は第一要件で、祭司よりも厳しく定められました(レビ10:9)。神に心を専心させるというのなら、お酒に酔うなどありえないというわけでしょう。髪の毛を切らないのは、神への専心が全力投球であること、つまり髪の毛などにかまっておられないということです(士師5:2)。そして、髪の毛を神に献げる異教の習慣と区別されるためであったと考えられています。最後の死体に近づかないというのは、死は、いのちの主とは全く正反対のもの、主の側にあることを明確にする意味があったと考えられます。こうしてナジル人は、一般信徒の中にあって、神に献身した歩みをしていることを自他共に認める、定められた期間を過ごすわけです。ただ、このような誓願が、やむを得ない理由で破られることがありました。9節からは、そのための救済措置について、さらに、13節からは、誓願の期間が無事終了した場合の、規定のささげ物について語られています(13-21節)。
(1)ナジル人と祭司の違い
 後に預言者アモスは、ナジル人を預言者と並べて語りましたが(2:11、12)、ここでは祭司と並べて語られています。まだ預言者のいない時代においては、神に専心するあり方は、祭司同様とみなされたからでしょう。しかし彼らは、聖さにおいては祭司同様に扱われても、明らかに祭司とは違う存在でした。彼らはごく普通の生活を行い、家庭や社会の義務を果たしていくのです。大祭司は男性に限られていましたが、ナジル人には女性もなることができました(2節)。祭司は会見の天幕に入り、いけにえをささげ、人々を祝福し、権威ある教えを語ることができましたが、ナジル人にはできませんでした。祭司は、祭司服を着て整髪しましたが、ナジル人に決められた装束はなく、髪は伸ばすのです。祭司は会衆のささげ物によって生活をしていましたが、ナジル人は、会衆と同様に祭司を支える側にいました。つまり平信徒として、日常の中で神の聖さに自分を献げて生きたわけです。旧約聖書では、サムエルとサムソンが、終身のナジル人の例とされています(士師13:4-5、1サムエル1:11)。新約聖書では、バプテスマのヨハネがナジル人と考えられ、さらにパウロも一時的にナジル人としての誓願をしています(使徒18:18)。
(2)ナジル人と一般信徒の違い
これは、今日、信徒が、自らの責任でもって、神に狭い意味で献身をしている牧師、伝道師並みの歩みをする、あるいは一般信徒以上の人生を生きる例と言えます。しばしば人は、物事を深く考えもせず、惰性的な人生を歩みやすいものです。そして往々にして余分な時間、財力、賜物を、ただ自己目的のために投入していく人生を送りやすいものでしょう。それはキリスト者も例外ではありません。しかし、神の恵みに感謝し、どこかステップアップして、神によりよくお仕えし、献げていく信仰の歩みをすることは、期待されることであり、古代イスラエルにおいては、その道がこのように用意されていた、と言えるでしょう。
2.アロンの祝福(6:22-27)
 6章の最後は祝福の祈りとなっています。会衆を祝福するために祭司が使用したと思われる式文で、それは現代でもよく用いられています。それにしてもなぜこの文脈に、この祝福の言葉が置かれているのか、と気になるところでしょう。ナジル人の定めの直後、あるいはレビ人の定めの後に、いささか唐突に置かれるこの式文は何なのか。それは、神の祝福は万民のためでありながら、やはり、ことに主に専心し、自らを聖別し、一層神に献身しようとする者には、祝福が確立されるように祈られる必要があったからではないでしょうか。つまり誰でも信仰者は、進んで神に時間とお金と賜物を献げていくこと、つまりより優れた献身の歩みを考えることが期待され、そのように神に生きる人々に、アロンの祝福の祈りもあったと言えます。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。聖書の中で、ユダヤ式に時間を指す場合、第六時は、現在の何時であったでしょうか?答えは正午頃です。ユダヤ式では、日の出から日没までを12に分けて考え、第6時は正午ごろになります。しかしローマ式では、朝6時か、夕方の6時になると解釈されています。では今日の聖書クイズを一つ。ナジル人が神に聖別し、身を献げていることを示す三つのしるしとして間違っているものはどれでしょうか?①断酒、②髪納め、③死体に近づかない、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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