【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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民数記5章

2022年01月26日 07時10分54秒 | 民数記
5章宿営地の聖さを保つ
1-4章までは、戦力や奉仕力といったイスラエル民族の量的な力について語り、またその組織化が述べられていました。5-10章までがまた新しい区分で、イスラエル民族の質的な面について語っています。つまり「わたしがそのただ中に住む宿営を、彼らが汚さないようにしなければならない。」(3節)とあるように、神の民と呼ばれるのに相応しい価値観を共有する共同体であることを神は求められたのです。それは、昔も今も変わりはありません。教会も聖なる主の臨在に相応しい価値観を共有する者たちの集まりのはずです。となればこの箇所は、キリスト者がどのような価値を持ち、生きるべきかを理解するための重要な箇所と言うべきでしょう。三つのことが語られます。宿営地のきよめ(5:1-4)、汚れを取り除く方法(5:5-10)、嫉妬に対する対応(5:11-31)です。
1.宿営地のきよめ(5:1-4)
 まず「汚れ」と言う考え方、汚れはよごれと関係しますが、単にものが汚れている、汚いという以上の意味があって、それはレビ記11-15章に詳しく説明されていました。ここでは、三種類の汚れた人について語られています。ツァラアトの者、漏出を病む者、死者に触れた者です。ツァラアトは既に述べたように、従来は、らい病と訳され、人間やモノを深く蝕んでいく病でした(レビ記13章)。漏出は、性器からの分泌を指していて(レビ15章)これも長期にわたり人を蝕む病です。そして死は、いのちの神と全く正反対のもの、これらはまさに神の性質にそぐわない、つまり最も汚れたものという意味なのでしょう(レビ記21章)。大切なのは、あれが汚い、これが汚いという具体的なものについて語っているのではなく、人間を深く、長く蝕む病、存在を否定する死、そのようなものが汚れているということです。どんなものであれ、人間を長く、深く腐らせていくものは、汚れだということでしょう。だからこそ、使徒ヨハネが言うように「すべて汚れた者は、…決して都に入れない」(黙示録21:27)というのも当然のことと理解されるのです。
2.汚れを除く方法(5:5-10)
 5節、罪の贖いの方法、汚れからのきよめの方法が語られています。罪の告白と罪過のための弁償をする、これが基本です。そして当時は多くの犠牲動物がささげられました。しかし、今はそのようにはしません。というのも、イエス・キリストによってただ一度限りの、永遠の罪の赦しときよめを与える十字架の贖いがなされたからです。今日全ての人は、イエス・キリストにある罪のゆるしときよめのもとにあるのであって、その事実を素直に受け止めることが求められています。自分のようなものは敷居の高い教会に行けるようなものではない、ではなくて、既にキリストにある罪の赦しと救いの恵みを受け、あなたの居場所が用意されている、と言うのです。自分のような者は、難行苦行をして罪滅ぼしをしたとしてもきりがない、まったく救われないような者だ、ではなくて、既にキリストの罪の赦しと救いを受けており、あなたは救われていて、あなたの居場所も教会に用意されている、と言うのです。あなたのような罪人は神に近づいてはならない、ではなくて、あなたの罪は十字架の恵みによって、既に赦されている。その事実を受け取らずに、神に近づいてはならない、と言うわけです。
3.共同体において守られるべきこと(5:11-31)
 11節からは、不貞に関する非常に奇妙な鑑定法が語られています。結婚関係において隠し事をしていることが疑われる時に、祭司はのろいをもたらす水を女性に飲ませて、その真偽を明らかにするのです。要するに疑わしい何かがあった時、どのようにその真偽を判断していくのか?うそ発見器や、拷問によって自白させるという手段も考えられるところですが、ここでは、のろいをもたらす水を飲ませるという方法をとるわけです。その方法では、不貞が事実であれば、のろいのもたらす水はその女の中にはいって苦くなり、腹はふくれ、ももはやせ衰える。一方不貞が事実でなければ、女は害を受けずに、子を宿すようになるというのです。奇妙で原始的かつ迷信的なこの方法をどう理解するべきか。医学的にもそれはどう理解されるのか、確定的な説はありません。ただし、これは出エジプトの特殊な時代を考えて理解すべきことなのでしょう。イスラエルの歴史には、奇跡が集中した時代が三つありました。この出エジプトの時代、エリヤの時代、そしてイエスの時代です。この時代は、イスラエルは紅海を渡ってエジプトから解放され、さらに荒野の40年間天来のマナで約200万の国民が神に養われたという奇跡がありました。そのような時代であればこそ、このような特殊な鑑別方法も効力を発揮した、ということなのでしょう。
 ただより注目すべきは、このような戒めが与えられることにより、神は、結婚関係における誠実さ、真実さ、強いては、個々の家庭の聖さを求めていることです。罰するよりも守られるべきものがあるのです。罪の償いが教えられるのは守られるべきものがあるからです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。レビ族を構成する三つの部族の内、後の王国時代に、賛美を司るようになったヘマンは、どの部族でしょうか?答えはケハテ族です。彼らは、王制のもとで、卓越した地位を占め(1歴代23:13-20、24:20-25)、ヘマンは主の宮の歌を司りました(1歴代6:31-33、16:41以下、25:1以下)では今日の聖書クイズを一つ。聖書の中で、ユダヤ式に時間を指す場合、第六時は、現在の何時であったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
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