【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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エレミヤ書2章

2020年07月11日 07時15分03秒 | エレミヤ書
2章 エルサレムへの警告
おはようございます。昨日のメッセージに、年代的に不正確な部分がありました。修正しましたので、午前中に読まれた方はご確認ください。さてエレミヤの召命直後のメッセージが始まります。イスラエルの二股信仰への警告、それは私たちの信仰のあり様をも探るものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.イスラエルの背信
エレミヤは神の召しに立った。本章から6章は、おそらく召命直後、ヨシヤ王時代に語られた初期の預言である。2節、「あなたの若いころ」「種も蒔かれていなかった地、荒野での」は出エジプトから、シナイ契約締結までの期間を指している。その時、イスラエルはその貧しさや困難の中にあって誠実であり従順であった、と神はイスラエルの愛を認めている。が、今は違う。イスラエルは、新婚時代の愛と純潔を保つことなく、主の恵みを忘れこれに背き(5節)、もはや神を求めようともしなかった(6節)。それは、指導者たちだけの問題ではなく一般の民衆も同じで、彼らはさらに偶像礼拝の罪を重ねた(13節)。10節、キティムの島々は、パレスチナから見て西方を、ケダルは東方を示唆した。つまり古今東西を探してみよ「どこにかつて自分の神々を、神々でないものと取り換えた国民があっただろうか」ということだろう。そしてそのために「メンフィスとタフパンヘスの子ら」つまりエジプトに恥辱を受ける今の現実があるのではないか、と神は語る。「いったいどうしたことか」アッシリヤやエジプトとの外交政策によって国の安全を保つことが出来る、と考え、神を捨て去るとは、と言うわけである。
2.まことの神のみへの信頼
エレミヤの初期のメッセージには、先輩の預言者ホセアの影響があると言う。確かに、ホセアのメッセージと重なる部分がある。つまり、イスラエルは、姦淫の女に例えられている(25節)。「他国の男たち」はバアルの神々のことであり、イスラエルは、夫である主を捨てて、他国の男たちを追いかける女のように、宗教的に不誠実な状況にある、という。
しかも彼らはまことの神と偶像の二股をかけていた(27節)。バアルを神として祭りながら、困った時には聖書の神に祈り求めた。神と名の付くものはどれでも同じ、結局信仰は皆同じ、何であれ信心は尊い、ということはない。これは、日本人の信仰の持ち方への警告でもあるのだろう。日本人は宗教心はあるが信仰心はない、と言われる。宗教や信心は大切であると考えるが、何を信じるかは問題にしない。むしろ信じる対象を一つに絞って信仰することには抵抗感がある。だから、家には仏壇もあれば神棚もあるし、聖書も置かれていて、よしとなる。だが信じるべきまことの神は、ただお一人である。
ヨシヤの時代、アッシリヤの国力は急速に衰え、それに代わってエジプトが一時シリヤ、パレスチナの支配権を握った。イスラエルの指導者は、そのような時流を読んで、エジプトとの関係を良好にすべきと考えたのだろう。けれども時代の動きをコントロールしているのは神であり、その神をないがしろにした行動に実りはない(37節)。このCOVID-19禍においても、表層的な時代の動きに踊らされず、まことの神に聞き従う者であろう。

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