昔はどの家にも鉄瓶がありました。鋳鉄で出来ているので重く使いにくいので次第に無くなりました。しかし茶道では今でも鋳鉄の風炉と釜を使っています。夏になると炉と釜の代わりに風炉釜を使うのです。この鉄瓶や風炉釜の大部分は岩手県、南部藩で作られて来ました。ですから南部鉄瓶と言います。 今日はこの南部鉄瓶の歴史をご紹介したいと思います。 南部鉄瓶は江戸時代の南部藩の各地で作らていました。現在の奥州市の水沢地区でも盛んに作られていました。そこで水沢南部鉄器の歴史を見て見ましょう。 ( https://kitchengoods-yanagiya.com/nanbutekki/history/mizusawa.html ) 現在の岩手県水沢地方で作られていた鋳物の歴史は南部鉄器よりも古く、910年近くさかのぼります。 平安末期の「後三年の役」が終ると、勝者の藤原清衡は現在の岩手県奥州市に居を構えました。そして近江国から鋳物師を招き、鍋や釜などを主に鋳造させました。 そして1090年代になると寺社、仏閣の様々な装飾鋳物を作り、”平泉文化”の発展に貢献したのです。これらの鋳物を”水沢鋳物”と言います。 それでは水沢鋳物の「おいげん」社に関連した写真を示します。写真の出典は、 https://oigen.jp/aboutoigen/creation です。 |
1番目の写真は「おいげん」社の南部鉄瓶です。使い易いように軽く作ってあります。 2番目の写真は鋳鉄製の風炉釜です。茶道のため家内が使っている風炉釜はこの型です。 3番目の写真は「おいげん」社の店先の戦前の出荷の風景です。鋳鉄の製品は重いので牛で運んでいたのです。 4番目の写真は水沢を流れている北上川です。鋳鉄の製品は重いので舟でも運んでいました。 5番目の写真は「おいげん」社の店の中の様子です。鋳鉄の鉄瓶がいろいろ展示してあります。 6番目の写真は岩手県の奥州市水沢区の見分森集落の風景写真です。
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