2023年に公開された日本映画です。
弁護士でもある五十嵐律人さんの小説が原作で映画化された作品で、いわゆる “法廷モノ” ですが、正直なところまったく入っていけませんでした。アメリカの法廷モノとは全く別物ですね。
プロット自体のリアリティが極めて希薄なのでストーリーが上滑りしているように感じたのが最大の要因ですが、併せて登場人物のキャラクタや相互関係も “作為的” 過ぎて全く興覚めでした。
2023年に公開された日本映画です。
弁護士でもある五十嵐律人さんの小説が原作で映画化された作品で、いわゆる “法廷モノ” ですが、正直なところまったく入っていけませんでした。アメリカの法廷モノとは全く別物ですね。
プロット自体のリアリティが極めて希薄なのでストーリーが上滑りしているように感じたのが最大の要因ですが、併せて登場人物のキャラクタや相互関係も “作為的” 過ぎて全く興覚めでした。
いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に著者の内田樹さんがゲスト出演していて、本書についてお話ししていました。
内田さんの著作はいままでも「日本辺境論」をはじめとして何冊か読んでいます。
内田さんの主張は、ご自身の “思考の軸足” にブレがないので、昨今のいろいろな社会事象に関する私自身の考え方の揺らぎをアジャストするのにとても参考になります。
ということで、いつもながら興味深い気づきは多々ありましたが、それらの中から特に印象に残ったものをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、「選挙と公約」というタイトルの小文から、「日本の有権者の投票行動における決定要因」について、内田さんの理解を語っているところです。
(p98より引用) 選挙における政党の得票の多寡と、政党が掲げる公約の適否の間には相関がない。・・・
・・・選挙に勝った政党は政策が正しいから勝ったのではない。「勝ちそうな政党」だったから勝ったのである。選挙に負けた政党は政策が間違っていたから負けたのではない。「負けそう」だから負けたのである。
有権者たちは「勝ち馬に乗る」ことを最優先して投票行動を行っている。その「馬」がいったいどこに国民を連れてゆくことになるのかには彼らはあまり興味がない。
大胆な仮説ですが、実際の結果を振り返ると(情けないことですが)確かになるほどと首肯できますね。
そして、内田さんはこう続けています。
(p100より引用) 選挙というのは、勝った政党の掲げた政策の方が優先的に実施される可能性が高いという、ただそれだけのものである。それ以上の意味を選挙に与えてはならない。
「正しい政策を選べ」と求められていると思うからそれが分からない有権者は棄権する。だから、これほど棄権率が高いのである。有権者は「正しい」ことを求められていない。「自分が暮らしやすい社会」を想像することを求められているのである。それほど難しい仕事だ
ろうか。
これは確かに現実的な行動論ですが、今の多くの有権者は「『自分が暮らしやすい社会』が選挙により実現できる」という意識すら希薄であり、そもそものところ「選挙行動と結果の相関に対する不信感(無力感)」とその顛末としての「行動意欲の欠如」が実態のようにも思います。すなわち「私が、選挙に行って誰かに一票を投票しても、世の中何も変わらない」という諦観が先に立っているのだと思います。
これを突き崩すには “投票による変化の成功体験” が最も有効な手段なのですが、不幸にも、多くの有権者はその「過去の痛い失敗例」をいまだに強く記憶しているのです・・・。
次は「格差について」のコラムでの内田さんの指摘。
(p130より引用) 格差というのは単に財が「偏移」しているということではない。格差は必ず、何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、エッセンシャル・ワーカーが最低賃金に苦しむという様態をとる。必ずそうなる。
この指摘も納得感がありますね。
社会の発生論的に、いわゆる “ブルシット・ジョブ・ワーカー” は、支配階級であったり管理層であったりするのが通例なので、この是正には「公権力の関与」が求められるのです。ただ、その具体的な関与手段として、「公権力による富の再配分」は現実的には効果薄だと内田さんは考えています。
内田さんのお勧めは、富裕層から吸い上げた資産を活用した「公共財の充実」、すなわち、誰でもが自由に使える “公共基盤(コモン)の再生” です。
そして、最後に書きとめておくのは「V 語り継ぐべきこと」の章で記された内田さんによる「半藤一利さんの著書(語り継ぐこの国のかたち)の解説文」の中のくだりです。
(p253より引用) 歴史修正主義者が登場してきたのは、日本でもヨーロッパでも1980年代に入ってからである。まるで戦争経験者が死に始めるのを見計らったように、戦争について「見て来たような」話をする人間たちがぞろぞろと出てきたのである。
歴史修正主義は戦争経験者たちの集団的な沈黙の帰結である。・・・
だからこそ半藤さんの「歴史探偵」の仕事が必要だったのだと思う。半藤さんは戦争経験者たちが言挙げしないまま墓場まで持ってゆくつもりだった記憶の貴重な断片を取り出して、記録することを個人的なミッションとしていた。
半藤さんの思想と活動を通して、“「歴史」に真摯に向き合い、その記憶から謙虚に学ぼうとする姿勢” を、内田さんはとても大切なものとして伝えようとしています。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “浅見光彦シリーズ” の制覇にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第20作目」です。
今回の舞台は佐賀の “唐津” “有田”。唐津には昔熊本勤務時代に家族で訪れたことがあります。作品に登場している “呼子” にも足を伸ばしました。
また本作品は “陶芸” がモチーフになっているのですが、“有田” にはここ数年、毎年のように顔を出しています。町の中心から少し外れたところにある「CHINA ON THE PARK」は深川製磁の工房やギャラリーがあって見学するだけでも楽しいです。超お勧めですね。
で、肝心の作品の印象です。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、トリックも月並み、オーソドックスな内田作品といった感想ですね。犯行の動機には少々無理があるように感じるのがちょっと残念です・・・。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”。
次は、「恐山殺人事件」ですね。
2006年に公開された日本映画です。
1976年、一連の「角川映画」のヒットシリーズの嚆矢として制作された「犬神家の一族」のリメイク版です。
素人目には、新旧でシナリオや演出もかなり似通った感じなので、大きな違いは、キャスティングということになりますね。
主要人物の犬神家の三姉妹は、旧作の高峰三枝子さん、三条美紀さん、草笛光子さんに対し、新作では富司純子さん、松坂慶子さん、萬田久子さん。ヒロイン役は、島田陽子さんに松嶋菜々子さん。どちらもその当時としては超豪華な面々で “甲乙つけ難し” です。
そんな中、私としては、坂口良子さんと深田恭子さんの対比が一番際立ちましたね。
坂口さんは、この後の横溝正史原作の金田一耕助シリーズには欠かせない存在感を醸し出していました。