毎日のできごとの反省

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科挙を採用した日本の行く末

2023-01-16 15:55:58 | 政治経済
 日本は支那大陸文化のうち、科挙や宦官を取り入れなかった。科挙は考えてみれば、非漢民族支配の、隋、唐代から始まっている。これはむしろ、非漢民族が漢文を共通文書として官僚が利用できるようにした、と考えると分かり易い。漢文の古典をまる暗記する位でないと、漢文で自由に意志の伝達が出来ない。それほど難しいものなのである。科挙が固定化してくると、科挙の合格が高級官僚の条件として絶対化して、個人の能力より優先されるようになった。

 この状況は今の日本にも当てはまらないか。つまり東大合格の絶対化である。その始まりは維新政府にある。維新政府は、高級官僚の養成機関と西欧文明の導入の手段として帝国大学を設置した。しばらくは東京帝大しかなかったから、帝大と言えば東京帝大を指した。その後、京都帝大ができたので、帝大といえば、この二校しかないことは、漱石文学でも知れる。現代でも、唯一東大にコンプレックスが無いのが、京大生だと言われる所以である。

 戦前はその弊害は比較的少なかったように思われる。帝大ではごくわずかであったし、私立大学は帝大とは入学システムが違かったから、エリート官僚が帝大出になることに左程違和感はなかったであろう。また、帝大出の高級官僚の倫理感が担保されていたからである。しかし、コミンテルンの影響から、帝大を中心とする、知的エリートに共産主義が浸透も一方では進行していたことに留意しておく必要はある。
 戦後、旧帝大系以外の国公立大学や私学が増えるとともに、教育システムが変わった。帝大が、基本的に一高をはじめとするナンバースクールからの進学を条件としていたのに、戦後は、新制高校卒業なら、あらゆる大学が受験できるように激変したのである。これは一見大学間の自由競争を担保したかに見える。

しかし、結果は逆であった。東京帝大から東大に変わっても、官僚の世界での大学の序列に変更はなかったのである。帝大と共に日本版科挙システムを成す、高等文官試験は戦後、上級職甲種、Ⅰ種試験と名前が変わっても、日本版科挙システムは不動である。財務省のようなトップ官庁では、Ⅰ種合格の東大出が事務次官候補となる。こと官界に関する限り、東大コンプレックスのない京大すら後塵を拝している。

他の官庁はこれに準ずるが、地方公務員はより実力社会的であるように思われる。民間でも、実力の必要性から学歴の弊害はより少ない。ところが、日本版科挙システムの固定化を助長する存在が、台頭してきた。マスコミである。マスコミは学歴偏重を批判するのが建前である。ところが、このごろのクイズ番組の「東大王」などに見られるように、東大を頂点とした学歴差別を煽っているのが、特にテレビマスコミなのである。
いや、それが視聴率を取れるのだから、煽っているのは民衆である、ともいえる。その弊害は、東京裁判史観の固定化や改憲阻止、といった敗戦弐本の脱却が出来ない、という天に明瞭に現れている。


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