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「労働」とは、感謝と祝福の気持ちを示すこと
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令和3年の睦月も気がつくと半ばを過ぎ、
給与計算やら1月締切の申請書や報告書に追われて、
お正月気分を感じることなくこのまま令和3年も過ぎていくのかと、
幸せを感じながら緊急事態宣言の最中です。
仕事のありがたみをつくづく感じます^_^
創世記の第二章で、アダムとエバは、
「それをとって食べるとき必ず死ぬだろう」と言われていた善悪を知る木から
狡猾な蛇の誘惑に負けて、それをとって食べてしまう
そのことによって、
「あなたは生涯にわたり、苦しんで食べ物を得ることになる」といわれ
神である主は、エデンの園から彼を追い出された。
人がそこから取られた土を耕すためである(創世記:第二章、23節)
この「耕す:アボダ」とはヘブル語で「礼拝」、
または「神への奉仕」という意味なのだそうです。
わたしたちの仕事、つまり「労働」の本質は、
神への贖罪、礼拝、そして奉仕ということになる。
コロナ禍で、その「労働」ができなくなっているということは、
どういうことかというと、
償うことも、感謝、礼拝さえもできないということ
神、または真理に対する、不服従の態度をとることで
人としてやばい状態になりつつあるのですね。
コロナウイルスがやばいのではなく、
それによって労働をできなくなることで
人間としてあるべき労働意欲が削がれて
怠惰な心が重症化していくほうがよっぽどの危機であると思うのです。
なんて思ったところでどうしようもないのですけどね・ω・
でも、こんなときだからこそ
生きている意味、働くことの意味を
じっくりと考えることが出来るのかもしれません。
それと、二人にいわれていた言葉
「それをとって食べるとき必ず死ぬだろう」
二人は死んだこともなく、死ぬということも知らないのに
それを「恐れる」こともできなかったのだと思います。
コロナに慣れてきってしまって、まったく気にしない人たちは、
コロナの怖さを知らない・・・
死ぬということを知らない・・・
つまり、約束を守らないとどうなるかを身を以て体験せねばならない
そんな最悪の状態から人を救うために
体験して学ぶのではなく、
そういうことは体験しないで学ぶべきということを教えるために、
書かれていることなのだと思うのです。
それでは、今日はこの辺で・・・
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