亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

領地替え

2023-05-04 | 歴史
地方紙に載っている小説をパソコンで書写している。
堺屋太一作「三人の二代目」を写している。
2010年から1年間連載された3人の二代目(毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景虎)について書かれたもで、参考になりそうな記事だけ切り抜いて貯めてあった。唯3人の武将の生涯をつづったものだと思っていたが、それは豊臣政権を鋭く追求する物だった。
7月13日、小田原城に入った秀吉は、この戦いでの論功(ろんこう)行賞(こうしょう)を行った。それには、「北条家の旧領関東七カ国を、東海甲信の5カ国に替えて織田信雄に与える」
の二項があった。
秀吉側近に情報網を築いていた家康は、事前にこのことを知っていて承諾したが、そうではなかった信雄は大いに驚き、
「尾張、伊勢は父信長以来の領地故、動き難い」
 と抵抗した。秀吉は激怒、信雄を追放し、家康旧領は、秀吉子飼いの武将たちに分配、信雄の旧領は甥の秀次に与えた。織田信長の息子で唯一大名を保っていた信雄は、愚かにも秀吉の罠(わな)に嵌(はま)ったのである。
 関東、東海の領地再配分終えた秀吉は、北に進み、8月9日には陸奥会津の黒川城で、陸奥と出羽の諸大名の所領境界を定めた。
 ここでは小田原に参陣しなかった陸奥の大崎義隆と葛西(かさい)晴信の所領を没収して側近の木村清久に与えた。今日でいえば宮城県北部から岩手県南部に当たる広大な領地である。急に大領を得た秀吉側近は統治能力を欠き、各地で一揆が起きた。この頃、秀吉側近の武将たちは、一種のバブル・ブームに沸いていたのである。
秀吉の領地替えは実に大雑把なものであって各地で問題が発生したようだ。
これを読んでいると秀吉は決して天才ではなく実にいい加減な人間だったと思う。
それでも、各武将がついていかざるおえなかったのは、秀吉の決断力が人並以上に早かったからだろう。武将たちがもたもたしている間に先へ先へと前に進んでいる。
相手に考える余地を与えなかった。
切り抜いていたときはそれほど考えもしなかったが、書写しているうちに堺屋太一という作家は凄い人物だなと思った。
徳川家康は写経をやっていたと聞いたが、写経をすることがどんなに凄い事か改めて知った思いがする。

庭に収まりきらず、塀の外まではみ出しています。

ブルブルしています。
犬を馴らすために毎日頑張っています。リードを付けているときはおとなしいのですが外すと大変です。
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1 コメント

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Unknown (みゆきん)
2023-05-05 13:11:03
随分と慣れてきてるね
良かった良かった♬

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