さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

直ぐにも出来る座禅。

2023-09-04 | 浮生は夢

親分、達磨と武帝のやり取りは面白いですね。達磨が王様に向かって、全く遠慮しないではっきりものを言うところが凄いですよ。

まあな、この話は後から作られた話だろうけど、禅の僧からみるとこの世の王様なんか何の権威もないも同然なんだよ。王様だろうが、お金持ちだろうが、貧乏人だろうが、人間としては皆同じに見えるんだろう。

本物の修行をして、人生観が変わってしまうとこうなるのでしょうか。

たぶんそうだ。この世の世界がどう見えるかが、僧としての成長のレベルなんだろうな。俺達はちょっとした会社の社長とか、大地主とか、国会議員なんかを相手にすると、何だか引け目を感じてしまうよな。それじゃあ、まだまだ人生なんか解っていないということさ。

そうですね。僕も社長の前に出ると緊張してしまいますよ。とても達磨みたいに対等の関係で話すことなんて出来ませんからね。もう一つ、不思議なのは、その後達磨が9年間の座禅に入ってしまうということです。誰も相手にせず、一人きりでただ座っているだけなんでしょう。それが何になるんでしょうか?

そういう伝説なんだよ。座禅というものがいかに厳しい修行かということを知らせる為だろうな。

そもそも座禅は「只管打座」と言ってただひたすらに座ることを勧めるものですよね。仏教ならもっと経典を読んで学ぶとか、先輩僧の話を聴いて学ぶとか、どうして学ぶことをしないんでしょうか?

どうも禅というのは、書物から学ぶことより、身体で体験することを重視するようだな。俺が昔、ある禅寺で指導してくれた坊さんから聴いたことだが、「書物を読んだり、話を聴いたりすることは、頭の中に知識を取り入れることだ。それに対して座っていることは、頭の中から余計なものを出して整理することだ。人は余計な知識でいっぱいだからそれを整理することによって、新しい気付きがあるのだ。」ということを聴いたことがあったよ。

成程、確かに僕たちは色んなことをごちゃごちゃと知ってる積りでいますが、肝心なことは解かっちゃいませんよね。たまには座禅をして頭を空っぽにした方が良いのかも知れませんね。大事なことは何かが解るかも知れませんね。

それとな大事なのが呼吸だよ。呼吸を整えることだよ。座禅では数息観と言ってな、ゆっくりと息を整えて1から10まで数を数えるんだ。出来るだけ一回の呼吸を長く腹式呼吸で行う。10まで数えたらまた1から始める。

成程、腹式呼吸は良いですよね。それだけで、気分も良くなりますからね。でも、座禅とは足を組むんですよね。あれが出来ないんですよ。

いいんだよ。椅子に座っててもいいんだ。姿勢を良くして座ればいいのさ。一日10分でいいからやってみな。気分爽快だぞ。大事なことは続けることだよ。

そうですか。早速始めようかな。なにも禅寺に行かなくても出来るんですね。

そうだよ。自分なりの座禅でいいんだよ。何でもレベルというのがあるだろう。野球だって、草野球から大リーグまであるだろう。だから先ずは自分のレベルでコツコツやってみることだよ。今更禅寺の坊主になる訳じゃないんだから、自分の人生にプラスになればそれでいい訳だろう。

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