ウィルソン大統領(1856~1924)
第一次世界大戦でのドイツの進撃は目覚ましかった。2年が経過した頃、イギリスもフランスも消耗戦に疲れ果て、どうにか講和が図れないかと模索していた。アメリカはヨーロッパの戦争には手を出すべきではないと静観を守っていた。パレスチナの地にユダヤ国家を建設しようというシオニストたちは一計を巡らした。イギリスの戦時内閣に提言をする。「諦めるのは未だ早い。アメリカが参戦してくれたら勝つことは間違いない。私たちがアメリカを動かし、ドイツを潰してもらいましょう。その代わり約束して下さい。戦勝の暁にはパレスチナの地にユダヤ人国家を作ってください。」
1916年10月、イギリス戦時内閣はこの条件を呑んでアメリカの参戦に運命を託すことになる。アメリカには政府を動かすユダヤ人組織がある。当時の大統領ウッドロー・ウィルソンはこの組織により誕生している。またアメリカには「アメリカ・シオニスト連盟」があった。シオニストたちの働きかけで、ドイツに好意的だったメディアは一斉にドイツ批判に動き世論を反ドイツに導く。そしてドイツ潜水艦によるアメリカ艦船撃沈事件が起こると、1917年4月、アメリカはドイツに宣戦布告した。11月、戦況が好転したイギリス政府はシオニストたちからの約束を履行することになる。
バルフォア(1848~1930)
1917年11月、外務大臣アーサー・バルフォアがユダヤ人貴族院議員であるウォルター・ロスチャイルドにイギリス政府の声明文として手渡された。
内容は「親愛なるロスチャイルド卿 私は、英国政府に代わり、以下のユダヤ人のシオニスト運動に共感する宣言が内閣に提案され、そして承認されたことを、喜びをもって貴殿に伝えます。英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に国民的郷土を樹立することにつき好意をもって見ることとし、その目的の達成のために最大限の努力を払うものとする。ただし、これは、パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及び他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位を、害するものではないことが明白に了解されるものとする。貴殿によって、この宣言をシオニスト連盟にお伝えいただければ、有り難く思います。
アーサー・ジェームズ・バルフォア」 というものである。
ついにユダヤ人たちにとって夢が現実のものになる可能性が生れた。しかし、それが現実になるためには大きな悲劇を迎えねばならなかった。
バーナード・バルーク(1870~1965)
アメリカの参戦で敗戦国になったドイツ人の立場はどうだったのだろう。もともとドイツ人はユダヤ人には寛容であった。多くのユダヤ人は比較的自由に生活し店を開き、経済的にも豊かに暮らしていた。第一次世界大戦ではドイツはユダヤ人を戦場には送っていない。しかし、敗戦後のベルサイユ会議において、アメリカ代表のユダヤ人大富豪であるバーナード・バルークが「バルフォア宣言を早く実行してくれ。」と発言した。ドイツ人はシオニストたちがユダヤ人の国と引き換えにドイツを売ったことを知った。ドイツは200万人の犠牲を払い、敗戦後のベルサイユ条約では国土を割譲させられ、植民地を取られた上、天文学的賠償金を負わされていた。
「ドイツの本当の敵は何とドイツにいたのか。」「この敗戦をあいつらは喜んでいるのか。」ユダヤ人に対する計り知れない怒り、憎しみの情が一気に沸き上がった。やがて成立するナチス・ドイツによるユダヤ人へのホロコーストはここから始まった。ヒットラーのどん底からドイツを復興させる計画も順調に行っている間はまだ良かったが、大恐慌に見舞われてからはもう我慢の糸が切れた。1938年11月9日、ドイツ内の400のシナゴーグ(ユダヤ教会)が焼かれ、7500のユダヤ人の商店が破棄された「水晶の夜」事件はこうして起きた。その上、ユダヤ人を全滅させるというナチス・ドイツの狂気は留まることなく増幅していった。
~~さわやか易の見方~~
「坎為水」の卦。坎(かん)と水は八卦の一つで困難に陥ることを意味する。坎が二つ重なったこの卦は一難去ってまた一難、次々と艱難に見舞われることであり、最悪の状態である。この艱難から逃れる道はない。じたばたせずに身を任せるしかない。運の強い者だけが生き延びることが出来る。真っ暗闇の世界もいつかは陽がさしてくる。
ナチス・ドイツの ホロコーストにより、600万人のユダヤ人が犠牲になった。当時のユダヤ人人口の約半数が犠牲になったことになる。人類史上これ程の悲劇はないだろう。ローマ軍に滅ぼされたカルタゴを思い出す。戦争は人を変えてしまう。人間が人間でなくなる。人間の中に潜む狂気が芽を出さぬように、常にその原因を取り除かねばならない。国家は個人の集合体である。ドイツのような優れた民族でさえ、狂気に身を投じた歴史があることは、どこの民族でもその危険が存在することを証明している。私たちは常に歴史を学び、おのれを顧みて、進むべき方向を誤らないようにしたいものである。