見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

おまけに蔦屋重三郎墓碑拓本/豊原国周(太田記念)+歌舞伎を描く(静嘉堂)

2025-03-28 23:53:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 生誕190年記念『豊原国周』(2025年2月1日~3月26日)

 終わった展覧会だが書いておく。2025年が豊原国周(とよはら くにちか、1835-1900)の生誕190年となることを記念した回顧展。国周は幕末から明治にかけて役者絵の第一人者として君臨し、月岡芳年や小林清親らと並ぶ人気絵師として活躍した。芳年や清親に比べて紹介される機会の少なかった知られざる巨匠・国周の画業を約210点の作品で紹介する。

 正直、私は名前を聞いてもピンと来なかったが、作品を見ていくと、ああこの絵柄の人か、と分かるものも多かった。やっぱり魅力的なのは役者絵である。細い眉、切れ長の釣り目に小さすぎる瞳、高い鷲鼻、唇の薄いへの字口。こう並べると、国周以外の役者絵にもだいたい当てはまってしまうのだが、最も特徴的なのは極端な三白眼の目かなあ。作り過ぎない躍動感と臨場感のあるポージングもカッコいい。髪の乱れ、着物の柄や背景も丁寧で、どれも手抜きがない。金目銀目の巨大な蝦蟇を背景にした『天竺徳兵衛 尾上菊五郎』は、むかしから私のお気に入りの作品である。

 明治の歌舞伎界の消息がいろいろ分かるのも面白かった。背広姿で空に舞い上がる気球乗りスペンサーを菊五郎が演じた『風船乗評判高閣(ふうせんのり うわさのたかどの)』は、河竹黙阿弥の脚本で明治24年初演。西南戦争を題材にした『西南雲晴朝東風(おきげのくも はらうあさごち)』では団十郎が「西条高盛」を演じた(面長で美男)。『初代市川左団次の誉堂龍蔵』は美丈夫が雪の中で小さいクマ(子グマ?)を投げ飛ばす図で、近藤重蔵をモデルにした芝居らしい。こういう忘れられた演目を知るのはちょっと楽しい。

静嘉堂文庫美術館 豊原国周生誕190年『歌舞伎を描く-秘蔵の浮世絵初公開!』(2025年1月25日~3月23日)

 初期浮世絵から錦絵時代、明治錦絵まで役者絵の歴史をたどる。冒頭には江戸時代17世紀の『歌舞伎図屏風』(二曲一隻)。解説に「3人の幼女が舞台で踊っている」と書かれていて、え?と驚いてしまったが、室町末期から江戸初期にかけて「ややこ踊り」といって、2~3人の子供が舞台で扇を持って踊る芸能が流行し、これを基に出雲の阿国が「歌舞伎踊り」を創始したと言われているのだそうだ。描かれた3人は(現代語で)幼女というほど幼くはなくて、まあ少女というところ。しかし日本人は、この時代から少女の群舞が好きだったのか。

 浮世絵も、江戸初期の鳥居派から北斎、豊国(国貞)を経て、豊原国周まで、変遷を追える展示になっていた。岩崎彌之助夫人・早苗が愛玩した『錦絵帖』は以前にも見たことがあったが、中身は圧倒的に国周作品が多いのだな。

 なお、今年の大河ドラマにからめて蔦屋重三郎関連資料を展示したミニコーナーが設けられており、その中に『蔦屋重三郎墓碑拓本』があったのにはびっくりした。東浅草の正法寺に建てられたものだが、碑は震災・戦災で失われ、現存していないという。

 冒頭は「喜多川柯理本姓丸山称蔦屋重三郎」で始まる。

 この拓本の由来は特に説明されていなかったが、よく持っていたなあ、静嘉堂。まさかこんなふうに脚光を浴びるとは思ってもいなかっただろう。

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2025桜咲く

2025-03-27 21:19:27 | なごみ写真帖

昨日、3月26日(火)の朝、ようやく窓の外の桜の木に白い花が認識できるようになった。

そして、昨日は1日初夏のように暖かかったので、今日27日(水)の桜はこんな感じ。

窓の外の遊歩道は、大横川の護岸工事のため、昨年夏頃からずっと通行止めだったが、サクラの季節だけは通行止めが解除されたので、久しぶりに人の姿がある。今日は在宅勤務だったので、私も昼時に桜の下を歩いてきた。

ひとつ残念なのは、遊歩道の入口(茶色いビルの前)にソメイヨシノとは別種の、緑の葉に白い花を咲かせる桜の樹があって、薄ピンクのソメイヨシノと競い合うような美しさが好きだったのだが、護岸工事が始まったと思ったら、いつの間にか跡形もなく撤去されてしまった。かなりの大木だったのに。もう戻ってはこないのだろうな。

「年々歳々花相似たり」というけれど、今年の花を来年も拝めるとは限らないのだ。そう思って、目の前のサクラを楽しもう。

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権利と責任の主体/消費者と日本経済の歴史(満薗勇)

2025-03-26 22:28:59 | 読んだもの(書籍)

〇満薗勇『消費者と日本経済の歴史:高度成長から社会運動、推し活ブームまで』(中公新書) 中央公論新社 2024.8

 本書は戦後日本の社会と経済の変化を消費者の姿から読み解いていく。「消費者」という言葉が学問の議論を超えて使われ始めるのは1920年代、さらに一般化するのは1960年代以降だという。

 1946年に創立された経済同友会は少壮の進歩的な経済人から成る団体で(占領政策で大企業経営者が追放された影響)、修正資本主義の構想を持ち、消費者に強い関心を寄せた。大塚萬丈は「そもそも社会構成員は一人残らず消費者である。従って社会における最も普遍的・包括的の利益は消費者の利益である」と述べ、資本家中心の資本主義と労働者中心の社会主義の双方を批判し、消費者の利益を実現する主体=専門経営者の正統性を主張した。この発想は生産向上運動における消費者主権への着眼につながっていく。

 生産性向上運動は、労働者から見れば、労働強化や配置転換、賃金抑制を強いられる側面があるが、「究極において雇用を増大する」とうたわれ、官民の協力が求められた。同時にその成果は消費者・労働者・経営者が等しく享受するもので、経営者は、株主に奉仕するだけでなく、株主・消費者・従業員の「三点の頂点に立つ」自覚が必要とされた。古い考え方だろうけれど、私はこうした経営思想を好ましく思う。

 生産性向上運動が重視した「消費者の利益の追求」は「消費者は王様である」という言葉を生み、消費者団体である日本消費者協会が生まれた。しかし日本の消費者運動はアマチュアの女性たちによるボランタリーな活動が主流で、アメリカのようにプロフェッショナルな消費者団体は育たず、個人の生活自衛をベースにした「かしこい消費者」モデルには「消費者の権利」という発想が希薄だった。この「権利なき主体化」に、商品テストで有名な花森安治が批判的な視線を向けているのが興味深い。

 次に企業の側から、ダイエー・中内功の「バリュー主義」(商品のバリューは消費者の二ーズで決まる)と松下幸之助の「水道哲学」(水道水は生産量が豊富なのでタダ同然=大量生産すれば低価格が可能になり貧困をなくせる)を紹介する。現在の地点から見ると、どちらも危うさしか感じない。松下は「適正利潤の確保」を重視して消費者主権を閑却した結果、公取委の勧告を受け批判を浴びたし、中内による消費者利益の追求は労働者の利益を掘り崩してしまうという指摘に同意する。

 1970年代半ば、消費水準の向上と中流意識の定着に加え、食品公害など、科学技術文明がもたらす根源的な不安を背景に「消費者」から「生活者」への転換が起こる。ただし、この言葉には、消費行動に伴う社会的責任を厳しく問う「生活者」と、画一的な消費を否定し生活様式の個性化に向かう「生活者」という2つの立場があった。これを洗練・先鋭化していくのが、80年代の堤清二である。画一的な大量消費は、環境問題に対する消費者の加害責任の観点からも、個性化に向かう人間的な欲求という消費者の利益の観点からも否定された。

 平成バブルの崩壊を経て、1980年代半ばから日本経済は長期停滞の時代を迎える。産業構造が変わり、サービス経済の比重が高まった結果、持続的な経済成長が困難になった。グローバルな低賃金競争の圧力もあり、雇用の不安定化が進み、格差社会の生きづらさが広がった。景気回復のために必要とされた政策が一連の規制緩和である。政府の諮問委員会の報告書には、規制緩和は消費者の利益になるのに、消費者が不安を理由に自己責任を回避するから規制緩和が進まない、という論調が見られる。消費者団体は、価格の引き下げだけが消費者の利益ではないと反論しているが、実際、万人が納得する「消費者の利益」を定義するのは難しいと思う。

 企業では、1980年代末から「顧客満足の追求」という課題に関心が集まった。ここで紹介されるのは、イトーヨーカドー創業者の伊藤雅俊、セブンイレブンの鈴木敏文など。しかしこの「お客様」志向というのものが、私はあまり好きではない。個人的には、売り手と買い手の間に、もう少し溝というか距離があるほうが、かえって居心地がいい気がする。また、顧客満足の追求は、必ずしも企業成長に結びつくものではなく、徐々に個別企業の持続的成長を難しくしていく、という指摘も覚えておきたい。

 終章には、いま流行りの「推し活」・応援消費がはらむ危険も論じられている。応援消費は、消費論というより、贈与論(互酬性が成立しないと片方のプレッシャーになり、危うい)の文脈で考える必要があるという指摘にも考えさせられた。

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2025桜を待つ

2025-03-23 22:32:31 | なごみ写真帖

今年の2月~3月は旅行と出張続きで、梅も桃も、おかめ桜も河津桜も見逃してしまった。そして、ソメイヨシノは例年より遅いような気がする。我が家の窓の下の大横川では、お江戸深川さくらまつりの遊覧船の運航が始まったが、まだ全く花は咲いていない。

それでも昨日から少し暖かくなったので、清澄庭園を覗いてきた。ちょうど見頃だったのは、梅に似ているが、アンズの花とのこと。5~6月には実が成るらしいので、また見に行こう。

早咲きの寒緋桜(カンヒザクラ)はもう散り始めだった。

かなり気温が上がっていたので、大泉水を渡ってくる風が、笹や竹の葉をそよがせるのが気持ちよかった。

我が家の前のソメイヨシノ、夕方に見たら、糠星のように小さな花が、わずかに1つ2つ開いていた。

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出会い、包み込まれるまで/アメリカ・イン・ジャパン(吉見俊哉)

2025-03-22 22:44:44 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『アメリカ・イン・ジャパン:ハーバード講義録』(岩波新書) 岩波書店 2025.1

 本書は、著者がハーバード大学の客員教授として2018年春学期に行った講義「日本の中のアメリカ」を活字化したものである。ちなみに2018年は最初のトランプ政権の2年目だった。全般的には、日本という小国が、海の向こうの大国に出会い、包み込まれてしまう歴史だが、そこに抗った人々の存在が印象的である。

 講義は、日本がアメリカに出会う「ぺリー来航」の前史から始まる。18世紀半ば、対仏戦争に勝利したアメリカでは「西漸運動」と呼ばれる西への不可逆的拡張が始まる。西谷修は「アメリカ」とは「ヨーロッパ国際秩序」の外部の「無主の地」にもたらされた、〈自由〉の制度空間の名前であると論じているという。そして大陸西岸に行き着いた西漸運動は、さらにその西へ、太平洋へと乗り出していく。

 第1講、ぺリーの遠征。ペリーの使命は、日本を開国させ、アメリカ西海岸を起点とする太平洋航路を開く道筋をつけることだった。ぺリーは、巨大な蒸気船など、進んだ文明を見せつける効果をよく理解しており、日本人は狙いどおりに反応した。ぺリーは遠征前に、可能な限り日本関連の情報を集めて交渉準備をしており、さらに二度の日本訪問を通じて、以下のように結論している。日本という国は「それぞれの組織が相互監視を徹底させて失敗を許さない仕組みを発達させており、内部からの変化はきわめて起こりにくい」。あまりにも的確で、21世紀の日本にも通じそうなので、唸ってしまった。

 第2講、捕鯨船と漂流者について。実はぺリーの遠征に先立って、アメリカの捕鯨産業は日本近海に達しており、日本の漁師たちと遭遇することもあった。土佐の漁師万次郎は漂流中をアメリカの捕鯨船に助けられ、公平で愛情深い船長に才覚を認められ、アメリカ市民としての教育を受ける。このジョン万次郎を論じた鶴見俊輔の著作も読みたい。のちに日本に帰国した万次郎は幕府の小笠原調査に参加するが、小笠原諸島が、船乗りをはじめとする移動民のコンタクトゾーン(無縁無主の地)だったという指摘も興味深い。

 第3講、宣教師と教育の近代。近代日本の私立大学や女子教育は、アメリカン・ボード(海外宣教組織)の影響を大きく受けている。「自国の文明が西洋文明を超えると信じていた中国や中東では、ボードの宣教は必ずしも成功しなかった」という著者の評価には苦笑してしまった。日本は外部の影響力に弱いんだよな。なかなか衝撃だったのは、未読の内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』が、アメリカの拝金主義や人種差別を告発し、真実の「アメリカ」がいかに非キリスト教的であるかを批判した書であるということ。初めて知った。

 第4講、モダンガール。有島武郎の『或る女』を取り上げる。主人公の葉子は、女というものが日本とは違って見られているらしいアメリカを目指して、客船で太平洋を渡るが、結局、上陸せずに帰国してしまう。彼女の不安定な自意識は「アメリカ」でも「日本」でもない海の上に漂い続けるのである。

 第5講、空爆。日米戦争において、アメリカは徹底的に日本を調査研究し、最も効果的な空爆を実行した。一方、日本は「アメリカとは何か」をまるで理解しないまま、無謀な戦争を仕掛けてしまった。この非対称性は、現代でも解消されていないように思う。

 第6講、マッカーサーと天皇。占領下の日本人がマッカーサーに熱烈なファンレターを送ったことはよく知られているが、「日本を米国の属国にして下され」「なるべくならば植民地にしてください」等の文面があったと聞くと苦々しい。日本人は、自分たちがこんなふうなので、かつて日本が占領した地域の住民は日本に感謝しているはずだと考えるのではないか。著者はこうした態度を「要するに権力ある者に一体化していこうとする願望」と要約する。マッカーサーは、最初から東洋人を「勝者にへつらい敗者をさげすむ」人種と見做していたというが、敗戦後の日本人はこの偏見を実証してしまったようで悔しい。

 第7講の原子力、第8講の米軍基地は、著者の他の著作でも詳述されているので省略。第9講は、アメリカの表象としての星条旗、自由の女神、ディズニーランド。自由の女神は、日本以外の国では「自由」「共和国」「独立」「革命」といった観念と結びついているが、日本では、アメリカ的な豊かさやギャンブルやセックスの自由奔放など、通俗的な欲望のキッチュとして受け入れられてきた。1960年代以前のアメリカは、大衆の欲望を投影する先だったが、70年代以降、「アメリカ」は日常的に消費可能な環境として日本人を包み込んでいく。その成功例が東京ディズニーランド。日本人の日常意識が、既に深く「アメリカ」に取り込まれているという指摘は、現下のトランプ政権を支持する日本人を見ても当たっていそうである。今こそ、内村鑑三に学ぶべきかもしれない。

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五大明王と襖絵の寺/大覚寺(東京国立博物館)

2025-03-20 22:53:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 開創1150年記念特別展『旧嵯峨御所 大覚寺-百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」(2025年1月21日~3月16日)

 平安時代初期、嵯峨天皇は嵯峨に離宮・嵯峨院を造営し、空海の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置した。貞観18年(876)、皇女・正子内親王の願いにより寺に改められ、開創されたのが大覚寺である。来たる2026年に開創1150年を迎えるのに先立ち、優れた寺宝の数々を一挙に紹介する。

 昨年3月の今頃、関西の桜を見に行ったついでに、久しぶりに大覚寺を訪ねてみたら、大変魅力的な仏像(平安時代の五大明王像)があったりして、この展覧会を楽しみにしていたのだが、結局、最終日の駆け込み鑑賞になってしまった。しかし、見逃さなくてよかった。

 展示室の冒頭には、嵯峨天皇像(江戸時代、画幅)と弘法大師像(鎌倉時代、画幅)。『六通貞記』は、空海の実弟にして弟子の真雅が空海の教えを書き留めたもので、「青龍和尚曰」の文字が見えた。青龍寺の恵果のことだろうか。大覚寺は、嵯峨天皇が自ら書写した『勅封般若心経』を伝えており、60年に一度、戊戌の年に開封されるのだそうだ。直近は2018年だったとのこと。知らなかった!

 そして、第1展示室からいきなり巨大な五大明王像が登場。中尊の不動明王と、大威徳、軍荼利は室町時代、院信作。右側の降三世、金剛夜叉は江戸時代の作だが、造形は古作と調和していて、なかなかよかった。「キツネが…」と話している女性グループがいたので、何のことかと思ったら、軍荼利明王が腰に巻いている毛皮にキツネ(?)の顔が付いているのである。これは珍しいのではないか。

 続いて、小振りながら神経の行き届いた技巧の五大明王像(平安時代)が1躯ずつ単立ケースに入れて展示されていた。確か大覚寺の宝物館ではお厨子に納められていたものだ。解説によれば、安元2~3年(1176-1177)に仏師・明円が後白河上皇の御所で制作されたという。御所ってどこ?と思って調べたら、後白河上皇は安元2年に50歳を迎え、法住寺殿で賀宴を開いていた。この五大明王、得物を執ったり、印を結んだりする指先がふっくらして無類に美しい。大威徳明王の(片側)三本足の指先がつくるリズムも肉感的。なお、軍荼利明王の腰の巻物には、やっぱりキツネ?の顔が付いていた。

 隣に並んでいた愛染明王坐像は鎌倉時代の作だが、五大明王と共通する趣味のよさ・品のよさを感じた。愛染明王本体も頭上の獅子冠も玉眼で、清冽な光を放っていた。構えた弓矢(Bow and Arrow)がカッコいい。

 それから、大覚寺にかかわった歴代天皇や戦国大名ゆかりの品々を展示。太刀(名物:薄緑/膝丸)は安井門跡に伝わり、明治維新後に大覚寺に移ったもの。太刀(名物:鬼切丸/髭切)(北野天満宮所蔵)と並べての展示だった。どちらも源氏の重宝である。私は刀剣の良し悪しは全く分からないが、このくらい古いと、いろいろ物語が思い起こされて興味深い。

 後半の第2会場は、広いスペースを大胆に使って、大覚寺の宸殿と正寝殿の障壁画(前期100面、後期103面)を一挙に公開。ふだん非公開の正寝殿「御冠の間」の復元が展示されていたのも面白かった。渡辺始興筆『野兎図』は12面くらい続く明り障子の腰板に、さまざまなポーズのウサギたちが描かれている。これをぬいぐるみキーチェーンにしたグッズは大人気で、最終日には完売していた。

 渡辺始興は他にも雪景山水図や竹林七賢図の襖絵を描いているが、私が気になったのは、むしろ狩野山楽。展示サイド的には『牡丹図』18面が推し(確かに豪奢で美しい)のようだったが、『竹図』『紅白梅図』などのほうが山楽らしさを感じられてよかった。へえ~大覚寺ってこんなに山楽を持っていたのか、と思ったら、近年の研究の進展で山楽筆と認識されたものも多いそうである。

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2025年3月関西:大阪市立美術館、大和文華館

2025-03-16 23:49:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立美術館 リニューアルオープン記念特別展『What’s New! 大阪市立美術館 名品珍品大公開!!』( 2025年3月1日~3月30日)

 2022年春の『華風到来』展から、2年半に及ぶ休館期間を経て、リニューアルオープンを記念する特別展。施設の印象は既に書いたので、本稿は展覧会そのものについて書く。会場は1階に2つ、2階に2つ。各会場がさらに複数の展示室の連なりになっており、考古から近代絵画まで、幅広い分野の作品約250件を一堂に展観する。ボリュームとクオリティは、国立博物館の常設展示並みかそれ以上だと思う。

 第1会場は近世の風俗画から。田万コレクションの『洛中洛外図屏風』(江戸時代17世紀)、こんなのも持っていたんだっけと驚く。そのほかにも『寛文美人図』『舞妓図』『扇屋軒先図屏風』など。江戸初期の風俗図が好きなので嬉しい。今年の大河ドラマで名前を覚えた磯田湖龍斎の『秋野美人図』にも目が留まった。

 次いで日中の金工品→日中朝鮮の考古コレクション。古代中国の銅製の小物(水滴や文鎮)の造型があやしげで楽しい。このへんで、ときどき展示キャプションに「珍品」「名品」のマークが入っていることに気づく。次いで仏教絵画と経典。

 第2会場は、同館コレクションの粋(と私が考える)中国の仏像から。冒頭の石造如来坐像に「はつらつと弾力のある肉体を堪能ください」というキャプションが付いていて、ちょっと笑ってしまったのだが、その後も北斉の如来坐像頭部に「波のようにうねる唇がセクシー」とか、唐代の如来像頭部に「切れ長の目のほとけさまはお好きですか?」などとあって、学芸員さんの仏像愛を感じてしまった。一番好きだったのは西魏の石造四面像に加えられていた「両手を挙げて悲しむ女性の癖が強すぎます」というやつで、こんな作品。

 それから酒器(漆工)、拓本が続いた。日本民藝館のコレクションで親しんでいる『開通褒斜道刻石』の拓本は同館にもあるのだな。

 第3会場は中国絵画から。鄭思肖『墨蘭図』(元時代)は根を描かないことで、異民族支配に抵抗する姿勢を示したというが、乾隆帝はじめ清朝皇帝の鑑賞印がたくさん押されていた。かなり大きめの普通の風景画『彩筆山水図』に朱耷(八大山人)の名前があったのにはびっくりした。そして奥まった別室には、見上げるような巨幅の謝時臣『湖堤春暁図』『巫峡雲濤図』が掛けてあり、キャプションに「ようやく展示できた~」とあって微笑ましかった。改修で新造された展示スペースだとしたら、おめでとうございます。次いで、陶磁器、近世絵画。

 第4会場は住友コレクションの近代絵画、富本憲吉と近現代のうつわ、大阪の洋画。最後に「広報大使就任記念」の『青銅鍍金銀 羽人』が展示されていたけれど、ポツンとひとりぼっちで少し寂しそうだった。同時代の仲間と一緒に置いてあげればいいのに。

■大和文華館 『春の訪れ-梅と桜-』(2025年3月1日~4月6日)

 もう1ヶ所寄っていきたかったので、奈良の学園前に出た。本展は、春の代表的な花である梅と桜を表した絵画や工芸を展示する。同館の庭園では、色鮮やかな梅が盛りを迎えていたが、三春桜はまだつぼみも見えなかった。

 展示品は梅と桜が半分ずつかと思ったら、梅が四分の三くらいを占めていた。美術品(特に工芸品)には梅のほうが取り入れやすいのかもしれない。気に入ったのは『五彩飛馬文碗』(清前期)。全体に青色の釉薬を掛け、黄色と水色の馬が波の上(?)を走っている。舞い散る梅の花も、白、黄、水色などで表現される。本展のポスターにも使われている『青花梅文皿』(天啓年製)は、古染付らしい、ゆるゆるの雰囲気が大変よい。『織部梅文香合』は、藍色の下に着色が覗く不思議な色合い。梅といえば紅白という先入観を完全に裏切られて、おもしろかった。

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2025年3月大阪市立美術館リニューアル

2025-03-15 22:02:42 | なごみ写真帖

 水曜の午後から金曜まで広島出張の仕事が入っていたので、私費で1泊付け足して、大阪と奈良でちょっとだけのんびりしてきた。大阪のお目当ては、大阪市立美術館のリニューアルオープン展。展示の参観レポートは別に書くとして、まずは施設情報から。外観は基本的に変わっていないが、大階段の横に新しい入口ができた。最近のリニューアルにはよくある改修スタイル。エスカレータで展示室階に行けるのは、足の弱い高齢者にはありがたいだろう。

 エントランスホールに入って天井を見上げると…何もない! 「展示室1はこちらで~す」と案内をしていた女性に、思わず「シャンデリア、無くなっちゃったんですね!」と話しかけてしまった(※シャンデリア→これです)

 案内スタッフの方は、「そうなんですよ、でもこの白い天井が本来の色なんだそうです」と教えてくれた。『美術手帖』の記事によれば、シャンデリアは耐震のために撤去されたそうで、やむを得ないけど、残念である。

 参観中に気づいたのだが、展示室の入口の上枠(かなり高いところ)には古風な字体で室名が表示されている。いつの頃からあるのか知らないが、そのまま残ってよかった。

 『青銅鍍金銀 羽人』(後漢時代1~2世紀)は、今回のリニューアルオープンを機に、正式に同館のマスコットに就任したらしい。この3Dアニメ風キャラはちょっと怖い。

 1階の奥におしゃれなカフェもできた。

 もともと素晴らしいコレクションを持っている美術館なので、それにふさわしい施設になってよかったと思う。しかし今回のチケットは1,800円。招来の特別展はともかく、館蔵品展はもう少し安く設定してほしいなあ、公立美術館なのだから。カフェのケーキとコーヒーも美味しかったけど、気軽に利用できるお値段ではなかった。

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アイスショー”notte stellata 2025”2日目リハ見学、千秋楽ライビュ

2025-03-12 23:20:09 | 行ったもの2(講演・公演)

羽生結弦 notte stellata 2025リハーサル見学(3月8日、14:10~);ライブビューイング(3月9日、16:00~、TOHOシネマズ日比谷)

 アイスショー”notte stellata 2025"の話を続ける。2日目は、初体験の「リハーサル見学」に出かけ、早めのシャトルバスで会場に行って、物販や飲食ブースをまわって楽しんだ。予定どおり13:30開場で中に入ると、シェイリーン、理華ちゃん、知子ちゃんがリンク上にいた。そこでアナウンスがあって、見学時間は14:10から1時間くらいと聞いていたのだが、14:10~14:55ジェイソン、無良くん、刑事くん、15:10~16:00明子ちゃん、ハビ、羽生くんに変更になったと知る。予定より長く見学できるのは願ってもない幸せだった。無良くん、刑事くんが登場すると、前の組だった知子ちゃんと一緒に、ボレロの演技の確認が始まった。音楽に合わせた確認のあと、リンクサイドのシェイリーン(振りつけ担当)と話し込んでいる様子が見られたのも貴重だった。

 次いで黒の練習着姿の羽生くんが登場。ジャンプを黙々と跳び続ける。その中には4Lo(4回転ループ)も混じっていたというが、正直、私には見分けがつかなかった。曲のかかる練習時間の後半は、なかなかジャンプが決まらなくて、観客もハラハラした。そしてタイムアップ。リンクを去る羽生くんが、何を思ったか、初日の成功に気をよくしたであろうスタッフに向けて「まさか祝杯をあげたりしていないと思いますが」「野村萬斎という存在を受け入れる覚悟を持って仕事してください」と、背筋が凍るような喝を入れていた。「僕らボロボロなんで、お願いします」とも。座長、自分にも周囲にも厳しいなあ。でもこの厳しさがあってこそのクオリティなのだろう。土曜はこれで帰京。SNSで、2日目は初日公演からさらに進歩していたという声を見て納得した。

 日曜は別の趣味に専念しようかと考えていたのだが、初日公演を見て、これは絶対に大画面で見なければダメだ!と考えを改め、慌ててライブビューイングのチケットを取った(TOHOシネマズ日比谷は最後の1席、最前列の隅だった)。現地には現地のよさがあるのだが、ライビュはまたライビュのよさがある。今回の「MANSAIボレロ」、アイスリンクの広さと天井の高さに比べた能舞台の小ささ、氷から立ち上る冷気、それらを全て突き破るような萬斎さんの熱量を感じられたのは現場の幸せ。しかし冒頭、降り注ぐ雪を仰ぐ萬斎さんの哀しみに満ちた表情を記憶に留めることができたのはライビュのおかげ。現地ステージにも大型スクリーン2面が用意されていて、ちゃんと萬斎さんと羽生くんを追っていたのだが、私は舞台上の萬斎さんに釘付けで、全くスクリーンを振り返っていられなかった。ショートサイド側の羽生くんもよく見えていなかったので、二人の動きが徐々に一体化していくクライマックスの感動を味わえたのもライビュのおかげである。ライビュのカメラは、群舞スケーターの姿も適度に見せてくれて、ありがたかった。しかし絶対カメラが足りないなあ。この演目、あらゆる角度から何度でも見たい。

 SEIMEIは、晴明衣装の萬斎さんが皮製のブーツみたいな沓を履いているのに気づくことができた。あと、最後に晴明に降り注ぐ紙吹雪は花びらかと思ったら、大量の人形(ひとがた)だったみたい。

 千秋楽のお楽しみは、やっぱり出演者たちのはっちゃけぶりだろう。フィナーレ周回のあと、ショートサイドから舞台の萬斎さんに駆け寄る羽生くんの姿は初日も目撃していたが、千秋楽の猛スピードには笑ってしまった。お互いに手を差し伸べて何度も固い握手。それで、萬斎さんが舞台から降りていらしたんだったかしら(やや記憶が曖昧)? 何の挨拶もなくて、みんないったん黒テントに引っ込んでしまったので、会場中(ライビュ会場も)再登場を求める拍手が止まなかったのである。

 そうしたら羽生くんの悪戯っぽい声で「みなさん、拍手が足りないんじゃないですか?」「萬斎さんをお迎えする準備はできてますか?」というアナウンスが流れて、テントの幕が左右に開かれ、晴明衣装の萬斎さん登場。それが、腰をかがめて両手を前後に大きく振り、スケートの所作で登場したのである(さすが狂言師!)。みんな大喜び。そしてマイクを渡された萬斎さん、MANSAIボレロを初めて東北で、この会場で、観客の生命力を感じながら演じられたことに感謝し、いきなり観客に向かって「いま生きているっていう実感ありますかー!」「生きていてよかったかー!」ってコールを送ってくれたのには、びっくりするやら嬉しいやら。泣き笑いでくしゃくしゃの羽生くんを、狩衣の大袖で包み込むような優しいハグも見ることができて幸せだった。最後は萬斎さんも含めて、出演者全員で「ありがとうございました!」で締め。

 その後も私は、SNSに流れてくる写真や感想を眺めて、幸せに浸っている。同時に鎮魂と芸能について、ずっと考えてもいる。利府のセキスイハウススーパーアリーナは震災当時、ご遺体の安置場だったので、そんな会場でのアイスショー開催には非難の声もあったことを記憶している。でも、そういう場所だからこそ「芸能」は演じられなければならない。死者の声を聞き、迷える魂を鎮め、同時に生きる者の魂に活力を呼び覚ますことが芸能の本義なのではないか。そういう点では、萬斎さんも羽生くんも伝統にのっとった「芸能者」なのだと思う。

 私は2001年の映画『陰陽師』の配役発表の頃には、萬斎さん、ピッタリだね!と大喜びする程度には萬斎さんを知っていたのだが、考えてみると、ちゃんと狂言の舞台を見たことがないかもしれない。同じ時代に生きているのに、なんという損失!と気づいて、近々見ることのできる公演を探し始めた。そうしたら、4月に大阪で『祝祭大狂言』という公演があることが分かり(なんとMANSAIボレロも上演される)、勢いでチケットを取ってしまった。狂言の生舞台を見るのは何十年ぶりだろう。実は今年の夏に控えている、能狂言『日出処の天子』(萬斎さん演出・出演)も楽しみなのだ。新しい視野の広がる一年になるかもしれない。

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アイスショー”notte stellata 2025”初日公演

2025-03-10 23:29:33 | 行ったもの2(講演・公演)

羽生結弦 notte stellata 2025(2025年3月7日、16:00~)

 昨年に続いて、羽生くんが座長をつとめるアイスショーnotte stellataを見て来た。今年のスペシャルゲストは野村萬斎さんと聞いて、絶対チケットを取るぞと意気込んだが、結局、倍率の低い金曜しか取れなかった。しかし、なんとか有休を活用して見に行くことができた。そして事前情報の少ない初日の特権で、衝撃に次ぐ衝撃を味わうことができた。

 出演スケーターは、ハビエル・フェルナンデス、ジェイソン・ブラウン、シェイリーン・ボーン・トゥロック、宮原知子、鈴木明子、田中刑事、無良崇人、本郷理華、フラフープのビオレッタ・アファナシバで、昨年と変わらず。座長の羽生くんにとって、最も信頼できる仲間たちなのだろう。ハビとジェイソン、それにフラフープのビオレッタは2プロで、あとの皆さんは1プロ(ただし群舞に登場)だった。

 私の席は東側スタンド。スケーターたちの入退場口となるテントが近い。そして舞台(正方形の能舞台)が近いのも嬉しいね、と隣になったお客さんと話していた。

 冒頭に登場して、notte stellata(白鳥)を舞う羽生くん。何度も見ているプログラムだが、優雅さと強靭さに磨きがかかったように感じた。そして、しっとりしたナンバー中心に5~6曲が終わったあと、突然、暗闇の中で能舞台が動き始めた。よく見ると数人の黒子のスタッフが能舞台を持ち上げ、移動させていく。能舞台はリンクに乗り上げ、その中央あたりに落ち着いた。後ろから付いて来たスタッフが絨毯(?)のロールを転がして、リンク上に花道をつくる。スタッフたちが引き上げたあと、リンクサイドに現れた能装束の萬斎さんが、静かに花道を歩み始める。背後のスクリーンには水面に落ちる水滴のアップ映像。ぴちょーんという音とともに黒い布を被ったスケーターが滑り出て、萬斎さんを追い越し、能舞台の先で、隣で、リンク上に横たわる。水滴の音とともに、またひとり、またひとり(シェイリーン、無良くん、刑事くん、明子さん、知子さん)。あたかも死者のように。

 能舞台に上がった萬斎さんが座って姿勢を整えると、スクリーンに「MANSAIボレロ」の文字が表示された。期待はしていたけど、夢がかなう喜びと、これから目の前でとんでもないものが始まるという興奮と緊張で頭の中がぐちゃぐちゃになり、しかし目だけは必死で開いていた。曲の始まり、上空から舞い散る雪を見上げる萬斎さん。大袖を頭上に被せ、雨雪を避けるように弱々しく歩み始める。万物を育む雨の音。やがて、本当に音もなく、金色のオーガンジーをまとった羽生くんが滑り出る。彼は稲妻なのかな。黒い影のようだった死者たちはよみがえり、手を取り合って、それぞれの命を讃える。クライマックスに向けて、舞台上の萬斎さんが高らかに踏み鳴らす板音、羽生くんも氷上でそれに合わせたステップを踏んでいた(千秋楽のライビュで確認)。最後は二人が背中合わせにジャンプしたところで暗転。萬斎さんは舞台下のマットに飛び降りていた。場内は大歓声。いや凄かった。こんなもの、見たことがない。

 休憩時間は隣の席のお客さんと、ずっと喋っていた。とりあえず他愛もないことでも喋っていないと変になりそうなくらい、実は深い衝撃を受けていた。

 そろそろ休憩が終わる頃合い、黒いテントの中から、上半身白ジャージの羽生くんがプーさんを抱えて登場。リンクサイドにプーさんを残して、氷の状態を確かめるようにゆっくり滑り始める。ショートサイド東隅で4S、ステージ西隅で4T-1Eu-3S(ジャンプの種類はあとで調べた)。何これ?サービス?なんて、お気楽に見ていたのだが、この後、これがSEIMEIの最重要パートの練習だったことを理解する。礼儀正しく一礼して羽生くんが退場したあと、会場は暗転。

 暗闇の中から、人語とも何とも知れない低い呟きが伝わってくる。「…ソワカ」という語尾だけが聞き取れて、あ、陀羅尼だ、と思ったとき、ステージのかなり高い位置に萬斎さん、いや高烏帽子に白い狩衣姿の晴明が現れた。もうそのビジュアルだけで問答無用なんだけど、ここからの演出が細かい。晴明は懐から紙の人形(ひとがた)を取り出し、「出現、羽生結弦、急々如律令」と唱えて、人形をリンクに投げ入れる。それに呼応して、SEIMEI衣装で滑り出る羽生くん。つまり氷上の羽生くんは、晴明が召喚した式神という見立てなのである。

 続いて晴明が「青龍避万兵」と唱えると青いスモークが上がり、氷上には小さな青い五芒星が浮かび出る。聞き慣れた音楽とともに、羽生くんのSEIMEIが始まり、これで萬斎さんが退場かと思うじゃないですか。ところが、羽生くんの演技を横目に、ステージから下りて来た萬斎さんは、リンクサイドを歩き始めるのである。そして東リンクサイドの中央(畳半畳ほどの小さな特設台が用意されている)で、羽生くんを氷上に膝まづかせ「白虎避不祥」の呪、白い五芒星が生まれる。ショ-トサイドでは「朱雀避口舌」、西リンクサイドでは「玄武避万鬼」、最後は正面の能舞台上で「黄龍伏魔、急々如律令」。呪を唱えながら袖を翻し、印を結ぶたびに上がる五色のスモーク、五色の五芒星。氷上の演技もクライマックスを迎え、ついにリンク上に巨大な五芒星が出現! 最初のジャンプが少しぐらつくも着地を耐えた羽生くん、試合並みに素晴らしかった。クライマックスは萬斎さんもノリノリで、羽生くんの演技に合わせて、ちょっとイナバウアーをしてみたり、くるくる回ってみたりする姿が微笑ましかった。ちなみに「青龍避万兵/白虎避不祥/朱雀避口舌/玄武避万鬼/黄龍伏魔」は、あとで調べて分かったのだが、映画にも、それからマンガにも登場しているのだな。

 これで腑抜けになりかかった会場を立て直してくれたのは、フラフープのビオレッタさんとシェイリーン。どのプログラムも最後まで楽しむことができ、最後は羽生くんの万感の思いを込めた「春よ、来い」を噛みしめた。フィナーレの周回は楽しそうだったけれど、ライビュ観戦した千秋楽と比較すると、まだまだ緊張が続いていたんだなあと思う。

 2日日のリハーサル見学、千秋楽のライブビューイング観戦は別稿に続く。

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