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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・奥州街道 松前道(15)⑩

2022年06月22日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月21日(火)
15/23℃(青森県東津軽郡外ヶ浜三厩)
(15日目) ⑩ 奥州街道・松前道  
三厩宿(奥州街道三厩道起点地)ー龍飛岬
三厩川ー義経寺ー厩石(まやいし)ー厩石公園ー義経海浜公園ー龍馬山義経寺ー三厩本陣跡(三厩村役場前)ー三厩(みんまや)宿(116)-三厩神明宮ー脇本陣跡ー本陣跡(廻船問屋・山田家跡)ー松前街道終点の碑ー源義経と静御前の渡道之地の碑ー小泊ー階段国道ー太宰治記念碑ー吉田松陰詩碑ー川上三太郎川柳碑ー龍飛岬(灯台)



津軽海峡を望む津軽半島最北の龍飛岬 (たっぴみさき)に歩き着いた

昨夜の旅館が三厩宿の中だったので朝再び周辺を散策する 
旅館の朝食を済ませ7時半に出発
大正時代の古い旅館で、設備もレトロだが女将さんや旅館の人の温かさが旅人を和ませてくれる 

まして学生時代に夢見た歩き旅では、この前を通り龍飛岬へ行く予定があり、59年前だから逆算すると女将さんがまだ中学生の頃だと笑った

さあもうすぐだ 元気に出発‼️








江戸時代、今別湊も三厩湊も北前船の寄港地であり、木材積み出し港で蝦夷地(北海道)と行き来する拠点の一つだったという また町奉行所や御山奉行所も置かれたという

旅館の部屋に感謝のありがとうを置く






三厩港は松前藩主や幕府巡見使が津軽海峡を渡る時の港だったとか
奥州街道松前道・三厩道はこの三厩宿が終着



 
とうとう夢にまで見た三厩(みんまや)の港に着いたが、感慨に耽る間もなく津軽半島突端の龍飛岬(たっぴみさき)へ歩く 

以下 歩いた順に記憶写真を羅列






おはようございます カモメが舞う









おはようございます それはなんですか?
「&/a#だ」わからなかったが見たらウニだ
そういえば旅館の女将さんがもう1日泊まってくれと言っていたが、なぜと聞いたら、今日からウニが解禁で漁場へ船が出る日だからぜひ食べていってくれと言われたが残念 住民の人たちはその採ったウニの殻を割っていたようだ









村村には神社があるものの、いずれも高台のためお年寄りは大変だ

フレンドリーなワンチャンだった







三厩中学校が山の上にあった













今日は快晴で暑い1日、だが浜風が涼しいので歩きやすい





津軽半島はまだ八重桜が咲き、サツキが咲き、これからは紫陽花が咲くよーだ











海水のきれいなこと





前からよろけるようにして1人のおばあさんが杖をついてやってくる 
おはようございます  大丈夫ですか?
「暑いねー ああ疲れたよ ここで一休みするかな」
それから長い間おしゃべりを楽しんだ

なんでも隣村の人でこの村に用事があって出かけてきた と 
ところでおいくつですか? 
「来年90だわ  長く生き過ぎたな」 
おしゃべりの後で 写真を撮らせてください と聞くと恥ずかしそうに、「もう何十年も撮ったことがないわ」と 
どうぞお元気で‼️







この岩場に咲くゆりの花が気になる




これだけ見ているとまるで西部劇のアパッチが出てきそうな岩場だ










太宰治の文学碑を見る








棟方志功や太宰治などが投宿した旅館 
今は観光案内所として利用されている







 
日本で唯一の車の通れない階段國道を経て数々の碑文をみたあ後とうとう龍飛岬灯台に着く


キツイ階段だった 道を尋ねたのをきっかけに若い人と話をする 鉄道が好きで今回は有給休暇をもらっての旅だと言う なんと大阪の人だった 楽しい話をありがとう






こんな高い所に龍飛中学校(廃校)があった

これも車が走れない国道339号線


龍飛灯台に着く 津軽海峡を望む
ここは国際航路で以前中国やロシアの艦隊(軍艦)が通り防衛省が緊張したところだという

まさに青い空と青い海 最高のロケーションだ うっすらと対岸の北海道・松前が見える   松前藩の殿様は参勤交代で江戸へ向かうのにこの海峡を往復した


ここに吉田松陰の詩碑や川柳碑、戦争時の砲台跡などがあった
















津軽海峡冬景色(石川さゆり)碑 突然のメロディーに驚くが、やはり現地で聞くと情感があるね



対岸の江戸期最北の蝦夷地(北海道)松前藩の港を遠望する


江戸と蝦夷地を歩く旅人や幕府の役人、武士、軍団などはこの海路を往復していたが、青函トンネルができ、また新幹線が通ることなど夢にも想像しなかったことだろう




江戸時代の三厩ー松前間の航路は今はなく船で渡れないが、明日は北海道新幹線で青森からー青函トンネルを通り、北海道の最初の駅  木古内(きこない)へ渡り、最北蝦夷地最後の松前藩・松前城跡を訪れる
 
鹿児島の薩摩藩・鶴丸城跡から途切れることなく歩いた江戸時代の日本列島縦断・江戸歴史街道の歩き旅は松前藩・松前城址で終える
  
その後 函館の五稜郭(箱館奉行所跡)を経て完歩となる

目的地の龍飛岬まで歩き終えたので、ここからは地域のコミュニティーバスと津軽線に乗り青森へ戻り明日の準備をする
龍飛岬公園の売店のおばさんと話をしていたらバスに乗り遅れるところだった😵













今まで歩いてきた道を随所に見ながら青森に着くと、今年のねぶた祭りは開催するとのことで活気がある
駅前のレストランでランチとする
ひとまずお疲れさん‼️ と体に乾杯




いよいよ明日で最後かと思うと寂しい気持ちと、達成感でいっぱいの気持ちと交差し複雑だな🤣
(龍飛岬を11時半で終えミニバスに乗ったので今日は半日扱いだ)




(14日目)⑩半日
    15.9㎞  21.939歩

 累計 429.36㎞ 584.767歩

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2 コメント

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海と空 (カンレ)
2022-06-22 15:42:03
お疲れ様です。
青い海と青い空、素晴らしい景色を見せていただきありがとうございます。
もうすぐゴールなのですね。
最後までどうぞお気を付けて歩いてください。
ファイト(^@^) (玉ちゃん)
2022-06-24 02:46:53
2万歩ですか~!!凄いですね(^@^)

おみ足が丈夫なんですね、、羨ましいわ…
私なら次の日は足がパンパンになってしまうわ。。。。;;;

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