金山城(日本100名城) 12 金山城ガイダンス施設1 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は金山城ガイダンス施設の紹介です。

 

下図④のところにあ金山城

ガイダンス施設です。

 

展望台から自動車で④へ

移動しました。

 

ガイダンス施設の隣にある

上図①展望台への登山道です。

 

ガイダンス施設に入ると

 

ここに100名城認定状があります。

今回はここの施設の一部を紹介します。

 

この施設には金山城の復元

模型が置いてあります。

 

大手虎口の復元模型です。

 

物見台付近の復元模型です。

 

金山城の歴史は

 

金山とその周辺には古代からの

古墳や遺跡があります。日の池

も古代に開発された聖地・祭祀

の場として存在しました。

 

1108年の浅間山噴火で火山灰

が積り大きな被害を受けますが、

新田氏初代の義重により再開発

されています。

 

金山とその周辺には古代からの

古墳や遺跡が点在しています。

 

新田義貞は北条氏を倒しますが、

武運なく尊氏に負けて滅亡します

。新田荘では新田城(金山城近

くにあったと考えられます)が、

落城します。その後新田宗家

は分家の岩松氏に引き継がれ

ました。

岩松氏が発展すると、宗家の

京兆家と、京都に住んだ礼部

家に分裂し、京兆家は鎌倉公

方を支持礼部家は関東管領

上杉氏を支持し対立します。

結果、礼部家の岩松家純が、

岩松家を統一します。

家純は家老執事の横瀬氏に

金山城を築城させました。

横瀬氏は岩松家の実権を握

ります。

 

新田一族が分家して新田荘内

各地に広がりました。

 

利根川の南にも新田の勢力

が広がりました。赤枠の横瀬

家は新田一族ではないので

すが、婿養子をとって、新田

一族となったというので、主

家の岩松家の家老でしたが、

のちに下克上で、実権を握り、

新田一族だということで由良

氏(地図にあります)に苗字を

変更しています。武蔵の武士

団出身の横瀬では、新田荘

の支配がやり難いと考えて

のことでしょう。源氏出身と

言いたかったのでしょう。

(婿養子を迎えてないという

説もあります)

また、徳川とあるのは、当時

は得川と書いていましたが、

松平家が得川家出身の婿

養子を迎えていたということ

になっているので、家康は

名字を松平から男系の徳川

と名乗りました。

(これも作り話という説もあ

ります)

 

家純の子の明純は横瀬氏の

打倒をはかりますが、横瀬氏

は金山城に立て籠もり、古河

公方や山内上杉氏と連携し

て、逆に岩松家当主の尚純

を隠居させて、飾りとしての

夜叉王丸を当主にします。

家臣の横瀬氏は由良氏に

名字をかえて、岩松家の

実権を握ります。

由良氏は小さいながらも、

戦国大名として活動します。

こういうことは、一国内でも

守護と守護代の間で起こ

っています。

 

この続きは次回で、次回が

最終回です。

 

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