前回の続きです。
今回は神宝館から神門までです。
下図⑤付近から見た熊野神宝館です。
蒔絵手箱や彩絵檜扇、足利義満公
奉納の金銅を用いた鎌倉造りの神輿、
天皇陛下の衣冠束帯(正装)の際身に
つける「玉佩[ぎょくはい]」、胸に
さげた古式の守り袋「懸守[かけま
もり]」など美術的価値だけではな
く、当時の風俗や熊野信仰を知る
上で、重要な至宝が伝わっていま
す。そのほとんどが国宝です。
境内案内板です。
神宝館の案内板です。
撮影禁止なので、外に展示の
写真で見ると
扇立行事の元になった檜扇です。
神宝館の入口にあるポスターです。
神宝館よこにある解説板です。
弁慶は奥州で討ち死にしたと
思います。
⑥付近に行くと
⑥にある御神木梛(なぎ)の木です。
樹齢約1000年で日本一の古木です。
解説板です。
梛の葉が霊威ある熊野詣の
お守りとして大切にされま
した。
梛の葉です。
漢字で梛と書き、中国語では竹の
ような葉を付ける松柏なので竹柏
といいます。種形容語のnagiは、
植物学者のカール・ツンベルクが
日本の名を学名にしたものです。
道中安全を祈り、この葉を懐に
納めてお参りすることが古来の
習わしです。
後白河法皇が梁塵秘抄に選
んだ歌の石碑です。「熊野
へ参るには 紀路と伊勢路
のどれ近し どれ遠し 広
大慈悲の道なれば紀路も伊
勢路も遠からず」と記され
ています。
梁塵秘抄は遊女や巫女など、
歌や舞いを生業として諸国
をめぐり歩く、女たちが歌
い継いだ流行歌(今様)で
す。
⑦付近に行くと
⑦付近にある手水舎です。
コロナも5類になり、使用できる
ようになっていました。
奥に見える鳥居は熊野稲荷社です。
熊野稲荷社です。
⑧付近に行くと左手に大禮殿(礼殿)
があります。
大禮殿(礼殿)です。
カメラを右に90度回すと
⑧付近にある神門です。
境内案内板です。
1883年(明治16年)に打ち上げ花火が
原因で社殿が全焼して、再建されて現在
の境内になりましたが、江戸時代後期は
紀ノ国名所図会にある江戸後期の
熊野速玉大社です。
社殿の様子が少し変わっています。
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