熊野速玉大社(世界遺産)3 神宝館から神門まで | みどりの木のブログ

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前回の続きです。

今回は神宝館から神門までです。

 

下図⑤付近から見た熊野神宝館です。

蒔絵手箱や彩絵檜扇、足利義満公

奉納の金銅を用いた鎌倉造りの神輿、

天皇陛下の衣冠束帯(正装)の際身に

つける「玉佩[ぎょくはい]」、胸に

さげた古式の守り袋「懸守[かけま

もり]」など美術的価値だけではな

く、当時の風俗や熊野信仰を知る

上で、重要な至宝が伝わっていま

す。そのほとんどが国宝です。

 

境内案内板です。

 

神宝館の案内板です。

撮影禁止なので、外に展示の

写真で見ると

 

扇立行事の元になった檜扇です。

 

 

 

神宝館の入口にあるポスターです。

 

神宝館よこにある解説板です。

弁慶は奥州で討ち死にしたと

思います。

 

⑥付近に行くと

 

⑥にある御神木梛(なぎ)の木です。

樹齢約1000年で日本一の古木です。

 

解説板です。

梛の葉が霊威ある熊野詣の

お守りとして大切にされま

した。

 

梛の葉です。

漢字で梛と書き、中国語では竹の

ような葉を付ける松柏なので竹柏

といいます。種形容語のnagiは、

植物学者のカール・ツンベルクが

日本の名を学名にしたものです。

道中安全を祈り、この葉を懐に

納めてお参りすることが古来の

習わしです。

 

後白河法皇が梁塵秘抄に選

んだ歌の石碑です。「熊野

へ参るには 紀路と伊勢路

のどれ近し どれ遠し 広

大慈悲の道なれば紀路も伊

勢路も遠からず」と記され

ています。

梁塵秘抄は遊女や巫女など、

歌や舞いを生業として諸国

をめぐり歩く、女たちが歌

い継いだ流行歌(今様)で

す。

 

⑦付近に行くと

 

⑦付近にある手水舎です。

コロナも5類になり、使用できる

ようになっていました。

奥に見える鳥居は熊野稲荷社です。

 

熊野稲荷社です。

 

⑧付近に行くと左手に大禮殿(礼殿)

があります。

 

大禮殿(礼殿)です。

カメラを右に90度回すと

 

⑧付近にある神門です。

 

境内案内板です。

1883年(明治16年)に打ち上げ花火が

原因で社殿が全焼して、再建されて現在

の境内になりましたが、江戸時代後期は

 

紀ノ国名所図会にある江戸後期の

熊野速玉大社です。

社殿の様子が少し変わっています。

 

 

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