またまた話題は、新井用水から飛びます。天満大池(加古郡稲美町)の話です。ここでも、西大寺農業技術集団・文観が登場します。
天満大池は、鎌倉時代の築造か?
『稲美町史』より、国安天満宮の沿革をみておきます。
国安天満宮(稲美町国安)のは白雉(はくち)4年(653)、王子権現という錫杖地蔵を勧請して創建され、その場所は、国安東で、現在の天満神社のお旅所でした。
寛平5年(893)社殿を今の地に移し、天満大池は、白鳳3年(675)に築造したとしています。
そして、永禄8年(1565)6月、本社を再建し、この時に主神を天満天神(菅原道真)としました。
ざっと、以上のようです。
池大神
「天満大池は、白鳳3年(675)に築造」に注目ください。
天満大池は、白鳳の頃には築かれたというのです。
もちろん、白鳳時代にも池(原天満大池)はあった想像されるのですが、規模は小さく、天満大池につながるような池ではなかったでしょう。そんな進んだ技術はありません。
現在の天満大池につながる池の築造・改築は、もう少し後の時代としなければなりません。
結論を先に紹介しておきましょう。鎌倉時代です。
最近の研究では、先にみた、加古川市の五ヶ井用水の時代、つまり文観の時代にさかのぼるとしています。
ここでも文観・西大寺が登場します。(no5106)
*写真:現在の天満大池