「世の中、ちょっとやぶにらみ」

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「精霊流し」

2022年08月17日 | 季節の移ろい・出来事

  

        

地元の自治会関係者によって引き継がれている伝統行事「精霊流し」が昨夕、地元の海辺で催された。
お盆に帰ってきた精霊を8月16日の送り火で再び、彼岸へお送りする京都の代表的風物詩、大文字焼き。五山の送り火とも言われるそのスケールには遠く及ばないが、たとえささやかでも、送り火を焚くという心根は代々受け継がれた一つの地元愛ということになるのだろうか。

かつては漁で栄えたこの地区では、海に命を捧げる事故も何度かあったと聞かされてきた。それ故か、海沿いの国道に面して至るところに浜地蔵尊が祀られ、安全祈願の小さな祠が建てられている。そういった過去の霊を慰めるために、麦わらを主な材料にして舟形を作る。それに付随する54本の灯籠に見立てたワラ作りの小柱を華々しく燃やして、お盆16日の送り火としている。

直接的に関わっているわけではないが、地区の広報紙担当の立場で写真撮影に出向いた。
地元の人が1日前から準備して、せっせと仕上げた舟形に、曇り空を見上げながら「降らないうちに点火しよう」などと相談が決まる。
コロナ騒ぎの前の年までは、舟形も灯籠も漁船に積んで500m沖合まで出して点火して、海上で上がる見事な炎に手を合わせたものだが、ここ3年ばかり、世話役の人たちのコロナ感染防止を願って、波打ち際で送り火を焚くことになっている。

このように、何かに付けて「神事」「仏事」に励む私たち日本人は、決して無宗教などではないと思っている。
お正月には、向こう1年間の無病息災を願って神仏に初詣をして祈りを捧げている。お盆の送り火も慰霊祭も各地で行われている。
私たちの地元にとっても、今年の精霊流しの炎が大きく燃え盛る中で祈りを捧げた。無病息災で実りの秋を迎え、そのまま年の瀬へとつなげて行けたらいいなと思う、地元の行事に立ち会えた。

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