防大生の東京大行進 | 同床異夢

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令和3年11月28日防大生が靖國神社を訪れた。

 

これは、毎年恒例になっている「東京行進」と言われるもので知っている人は少ない。

 

なぜ、知っている人が少ないかというと、マスコミが報道しないからだ。

民放はともかく、NHKは姜尚中を出演させている暇があるなら、この様子を中継しなさいと

言いたい。

 

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「東京行進」というくらいなので、防大生達は行進して靖國神社にやってくる。

どこから?

防大がある神奈川県横須賀市である。

 

防大から靖國神社まで距離にして約75㎞を行進するのだ。

その為、彼らは前日の午後に出発して夜間行軍を行い靖國神社に到着する。

この行進は、今年で61回目で毎年欠かさず行われている。

 

始まりは、昭和36年で学生達の自主的な発想だった。

昭和36年は大東亜戦争終結してから20年の節目の年であり、当時は陛下の御親拝や

首相の参拝は普通に行われており、防大の学生も

「我々も英霊に感謝するべきだ」

という声がわき上がり、外泊日が許されている日で尚かつ12月8日に近い日が

選ばれた。

 

志をもった学生達は、外泊許可の申請に『夜間行軍して靖國神社参拝し英霊に感謝する』

と書いて提出した。詳細については

服装は戦闘服で英霊に「捧げ銃(つつ)」を行う為に銃を携行する。

というものだった。

 

しかし、申請はおりず

「夜間行軍で銃を持っていれば、クーデターをおこすと勘違いされ、マスコミの餌食になる」

などの大反対にあった。

 

それでも、学生達は諦めず何度も何度も要望を繰り返した。

その熱意に大隊の指導官が折れて、小隊指導官を随行することで許可がおりた。

但し、銃の携行は認められなかった。

 

【捧げ銃(つつ)】

 

それから、大隊の指揮官はその後もこの行軍が継続出来るように配慮したのだった。

初年度は数十名の参加だったが、翌年から参加者が増えていき、ついに学校の

年中行事として定着した。現在の参加者は3〜5百名に及ぶ。

 

61年の間、いわゆるA級戦犯と言われる人達が合祀されたり、中国共産党に批判されて

中曽根首相が参拝しなかったり、小泉首相の靖國参拝に防大校長の五百旗氏が批判をしたり

朝日新聞が靖國神社参拝を批判したりすることが起こったが、一度も途切れることなく

防大生の「東京行進」は続けられている。

 

これは、学生達の「絶対やるんだ!」という熱い意志と、その大事さをよく

理解され、どうにかして実現させてあげたい、と協力した指導官の心意気が合わさって

実現したものだと思う。

 

近年、このような情熱が日本人になくなっている気がする。

日本をよくしたいと思うなら、保守と言われる政治家に丸投げするのではなく、

この、61年前の防大生のように自らが立ち上がらなければならない。

 

また、若者の熱意をくみ取る大人の対応も重要だ。

共に協力して進まねばならない、世代間批判をしている場合ではない。

 

駄目でも何度でも何度でも立ち上がればよい。

もうそうしなければ、日本は奈落の底に落ちる寸前まで来ている。

 

最後までお読み下さりありがとうございました。

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