ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

悲しみの詰まった本

2021-10-17 17:04:51 | 徒然の記

 先に、平成21年に文藝春秋社が出版した、『大韓民国の物語』の一部を紹介しました。著者はソウル大学教授、李滎薫 (  イ・ヨンフン )氏でした。

 韓国と日本は、将来に渡って和解困難な隣国同士だという事実を、息子たちに教えておきたいと思います。個人的に仲良くなれても、国同士の話となると、相容れない立場に変わるという事実は、知っておく必要があります。これをわきまえた上で、私も息子たちも、隣国の人々とつき合っていけば良いと思います。

 今回まで、ほら教授と李氏の著作を引用し、両論併記の形で考えをまとめてみます。まずは、一方的に朝鮮に肩入れするほら氏の意見の紹介をします。

 「朝鮮の歴史は、常に外国の抑圧のもとに移り変わっていった。」「朝鮮民族は、自治独立の悲願を胸に秘めながら、」「幾成世紀もの長い間屈辱に甘んじ、重圧に呻吟しなければならない宿命に生きてきた。」

 ほら氏の歴史認識は、朝鮮人には迷惑な理解で、彼らが知れば怒りを買うのではないでしょうか。「贔屓の引き倒し」という言葉にある通り、一人で朝鮮を理解したつもりでいます。

 「朝鮮民族の精神構造が、他民族に比べて、やや過激であるかのように見受けられるのは、」「故なしとしない。」「彼らは外敵に対する、激しい抗争心を抱きながら、」「時には、無力な自分自身に絶望し、」「或いは、焦燥感に囚われていた。」

 「いつの世でも、傀儡的な性格を持ってしか為政者となり得なかった、」「同族に対する憤懣が入り乱れて、」「いつしか、鮮烈な敵愾心が培われていったと見える。」

 ここには、朝鮮社会の根本的な問題が語られていません。支配階層である「リャンパン ( 両班 ) 」と庶民の説明です。リャンパンには、庶民に対する「生殺与奪」の権があり、簡単に言いますとその関係は、「主人と奴隷」でした。

 リャンパンが学問と知識を独占し、庶民は無学文盲のままに置かれ、支配者であるリャンパンは、大漢民族の「中華思想」と「儒教」の忠実な信奉者でした。彼らのいう5000年の歴史からすれば、私の認識も一部分だろうと思いますが、少なくともホラ吹き教授よりは、正確な認識だと思っています。

 この上に立って、李教授の意見を読んで比較すれば、もっと色々なことが理解できます。

 「李氏朝鮮王朝はなぜ滅んだのかと、この問題が出てくるだけで、韓国人は過敏になってしまいます。」「歴史学者は、李朝が滅んだ原因について、きちんと話をしないままでいるようです。」「教科書の文脈のまま読めば、日本が闖入したせいで李朝は滅んだということになります。」

 李氏の著作の主眼は、日帝36年に置かれていますが、本質論では変わりません。

 「〈善良な主人〉と〈凶暴な盗賊〉という比喩がそれです。」「それは紛れもない事実ですが、そんなやりかたは、」「歴史から何も学ぶつもりがないという、無責任な姿勢にすぎません。」

 「文明史の大転換を直接に強要した勢力が、もともと同じ文明圏に属していた日本だったため、」「気づくのが、容易でなかったからでしょうか。」「島国の夷狄と軽んじていた、日本から受けたプライドへの傷が、」「あまりに、深かったからなのでしょうか。」

 氏が述べているのは、明治時代の話です。欧米列強の侵略から国を守るため、互いに協力しようと日本政府が使いを出した時、大院君が拒絶しました。中華思想の彼らにとって、日本は文明のない野蛮な禽獣国ですから、相手にするのも厭わしかったのです。

 「日帝63年で滅んだのは、王と両班たちの朝廷としての国であり、民たちの国ではありませんでした。」

 李教授の言葉は、私の話を土台にしていなければ理解できません。それほどリャンパンと一般国民の間には、大きな断層があったということです。人口比率で言えば、リャンハンは3%だったと聞いています。

  私が注目したのが、次の意見でした。

 「日本帝国主義者たちの、植民地支配が可能だったのは、」「彼らに友好的な、多数の協力者が存在していたからです。」「植民地朝鮮に居住していた日本人は、最も多い時で75万人名余りで、全人口の2.75%程度でした。」
 
 「彼らは、主に都市と港湾の付近に居住し、内陸であっても、」「鉄道が通じている地域から、遠く離れることはありませんでした。」
 
 「にもかかわらず、総督府の支配体制は極めて効率的に機能しました。」「多数の、自発的な協力者のお陰でした。」「韓国の歴史家たちは、民族の恥ずかしい面として、このことについてきちんと語って来なかったのですが、もうその必要はありません。」
 
 韓国内に、日本統治に協力する多数の人間がいたという事実を、私たちはもっと知る必要があります。ここにこそ、韓国の深い病があり、両国の断絶を深めている原因があります。
 
 「李朝は、平安道の人々を差別していました。」「彼らには、科挙に対応する機会が極めて制限されていました。」「そのように集団的差別を受けていた住民は、李朝を倒した日本に協力しました。」
 
 「慶尚道では、平民たちが解放されました。」「協力者たちは、李朝時代に身分が抑圧されていた階層から、多く輩出されました。」
 
 この説明も、リャンパンと一般庶民との関係を知らなければ、理解できません。ここにこそ、韓国・朝鮮人の歴史的悩みと苦しみがあります。だから私は、氏の著書を「悲しみの詰まった本」と呼んでいます。
 
 「親日派の代表ランナーとして知られる李光洙は、近代文学を開拓した先駆者であり、」「当代きっての人気を誇った作家です。」「彼が親日派になったのは、朝鮮が見習わなければならない先進的な文明として、日本を認めていたからです。」
 
 「彼は、朝鮮の不潔、無秩序、卑怯、無気力などに絶望します。」「そのように野蛮な朝鮮が、日本に積極的に協力し、」「日本人のように清潔で、秩序があり、勇敢で、共同する文明人として生まれ変わる道こそが、」「朝鮮民族が再生する道であると、信じました。」
 
 ほら教授は、というより、日本にいる学者たちは、こうした事実を知らないのか、わざと無視しているのか、決して語りません。隣国を本気で理解しようとするのなら、李氏のような学者とこそ、彼らは交流すべきではないでしょうか。
 
 「そのような李光洙は、" 親日ナショナリスト " と呼ばれます。 」「親日( 売国 )行為を行う、民族主義者 ! ・・なんという矛盾した表現でしょう。」
 
 「しかし私は、そのような矛盾した表現の中に、李光洙だけでなく、」「植民地時代を生きた、多数の知識人の精神世界を、見ることができると考えます。」
 
 「彼らにとって、協力と抵抗は、新旧二つの文明が、激烈に衝突する苦痛なのであり、」「文明人として蘇生するための、実存的選択の身悶えでした。」
 
 氏の著作で、私は初めて、韓国における親日派問題の痛ましさと、苦しみの大きさを知りました。国内の反日日本人を、私は「獅子身中の虫・駆除すべき害虫」として、嫌悪していますが、韓国の「親日派問題」は、比べ物にならない深刻さでした。
 
 「初代大統領の李承晩を含む、大韓民国の建国史について、」「国民の評価が否定的なものになっているのは、親日派を清算できないまま、」「親日派の主導で国が作られたという、大衆的認識が、最も重大な原因だと思われます。」
 
 「親日派問題は、60年前の当時であれ、現在であれ、何かのきっかけがあれば間違いなく火を噴き、」「わが建国史に、痛烈な批判を加える傷跡として残っています。」
 
 「1948年(昭和23年)に、国会が 〈反民族処罰法 〉を制定しました。 」「特別委員会が組織され、559名が特別検察に送致されました。」「特別委員会と最も激しく対立した勢力は、警察でした。」「当時、警察の半分以上は、日本統治期から警察に勤務していた人でした。」
 
 こうした事実を、日本のマスコミが伝えませんから、多くの人は知らないはずです。昭和23年といえば、私はまだ4才で、母に背負われ満州から引き揚げて来た頃です。記憶になくて、当然です。
 
 「特別委員会が、警察の幹部3人を逮捕すると、」「ソウル市警局長の指揮下で、警察部隊が特別委員会を襲撃し、」「委員会員を連行するという、重大な事態が発生しました。」「李承晩大統領は、そのような不法行為を黙認しました。」
 
 「警察の立場からすると、特別委員会の活動は、」「少数の左翼たちが、右翼陣営に圧迫を加える、政治攻勢に他なりませんでした。」「スターリンの秘密指令に従い、当時左派勢力が、大衆の支持を引き出すため、」「親日派の清算という、民族主義的な感情に訴えた戦略は、」「まさに伝家の宝刀にも似た、政治的な武器でした。」
 
 ほら教授の説明では、呵責のない弾圧を朝鮮人に加えたのは、日本政府となっていますが、実態は、李教授が明らかにしています。弾圧し、残虐行為を加えたのは、日本に協力した朝鮮人たちでした。そのほとんとが軍人と警察官で、彼らこそが一般国民の恨み骨髄の対象です。
 
 「親日派の清算は、大義名分があるにもかかわらず、最初から、」「左右両翼間の、熾烈な対立軸を作り出すしかないものでした。」
 
 「左右両派の間だけでは、ありません。」「同じ右翼同士でも、この問題は分裂を引き起こす種でした。」「このように、何もかもが分裂していたのです。」「書物でこうした事実を知った私は、やりきれない気持ちになりました。」
 
 李氏は、著書の中でこのように述べ、教えられた私も、やりきれない気持ちになりました。韓国は現在でも、この事実を日本に隠し、やり場のない怒りを「反日」デモ騒ぎで発散させています。
 
 「わが民族は、アメリカが、日本帝国主義を強制的に解体したはずみで、解放されたのです。」「自分の力で、解放されたのではありません。」「自力で解放を迎えることができなかったという、厳然たる歴史の制約の前において、」「親日派の清算という大義名分は、叶うことのない夢に終わりました。」
 
 だから氏は、韓国民へ提案しています。
 
 「韓国の政治は、過去の歴史の亡霊から、解放される必要があるという思いを、強くします。」「過去をあげつらう行為ほど、愚かなことはありません。」「もうこれ以上、死者が、生者の足を引っ張ることができないようにしなければなりません。」
 
 「日本との間で、歴史戦争がいつ果てるともなしに続いていますが、」「そんなことは、歴史研究者に任せて仕舞えば十分だと思うのです。」
 
 どうにもならない、こんがらがった問題は、こんがらがったまま封印し、忘れてしまえという提案です。歴史問題を考えず、現在の日本人とつき合いえば良いとまで、言っています。韓国の国土を捨て、世界へ旅立ち、世界中の土地で、韓国人として生きれば良いと語っています。
 
 韓国の学者である氏は、すでに韓国内での解決に、匙を投げています。私は日本人として、このような意見を言わなくて済むように、「獅子身中の虫」の駆除に努めています。予定外のブログとなり、予定外の長さになりましたが、これが息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々へ贈る、『悲しみの詰まった本』の中身です。
 
 日本を、韓国ような国にしてはなりません。害虫の生産組織である次の場所を、本気で掃除しようではありませんか。
 
 「日本学術会議」、「東大社会科学研究所」、「日弁連」、「共産党」
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断末魔の叫び (成田あいる)
2021-10-17 18:21:08
「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と言う格言があります。
これをいじれば、「浜の真砂は尽きるとも日本に反日左翼は尽きまじ」と言うべきでしょう。
このブログでも毎回のように取り上げられるほど、「浜の真砂」以上に反日の輩が無尽蔵に出てくると思います。
前エントリであやか様も指摘されていましたが、「ほらふき話し」とはよく言ったものです。
私も、文中の「ほら教授」の「ほら」が、「ほら話」の方に見えてしまいました(笑)

それでも氏の論文や書籍に触れられた方は「ほら」とは思わず、真っ当に思えてしまうでしょう。
日頃、「日本が悪かった、悪かった」とメディアで洗脳されていれば尚更です。
ここでねこ庭様が挙げられた4つの機関、特に後半3つは日本では幅を利かせています。
さらに言えば、これらの援護射撃をしているメディアが朝日新聞であり、NHKだと思います。
植村隆氏が韓国に骨を埋めたように、韓国もまた反日勢力の住処と化していると思います。
これらとも、一見もっともらしいこと言っているように見えますが、彼らの言うことが「断末魔の叫び」に思えてしまうのは私だけでしょうか。
4つの機関 (onecat01)
2021-10-17 20:33:19
 成田あいるさん。

 「4つの機関、特に後半3つは日本では幅を利かせています。さらに言えば、これらの援護射撃をしているメディアが朝日新聞であり、NHKだと思います。」

 朝日新聞とNHK・・私が言わなかったことを、貴方が言ってくれました。この二つの巨大マスコミは、「害虫製造組織」を、戦後一貫して援護してきました。

 NHKは、国民の税金で賄われ、「公共機関」と言われているのに、「反日組織」です。政府は長い間、NHKの中に巣食う「一握りの過激な害虫」を容認し過ぎました。

 沢山の素晴らしい番組を作るNHKの中にいて、日本を貶めているのは「一握りの害虫」です。多くのNHK職員と区別しながら、「害虫駆除」を進めなくてなりません。

 高市氏に期待するのは、この点にもあります。あいるさん、李氏のような悲しい言葉を言わないためにも、私たちは頑張らなくてなりません。それ以上に、自民党の議員諸氏は、国のため、本気で汗を流すべきでしょう。

 コメントに感謝いたします。

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