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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧紀州街道編①~中編

2024-04-09 | 旧紀州街道run/更新中

南下してすぐにYの字分岐。
左の道を行く。

というか、この辺りは資料によって異なっていて、阪堺電車(路面電車)の道をそのままとするものもある。

でも現地走ってみるとそれはしっくりこないんだよね。
今走ってる1本西の道が、万葉歌碑もあるし道のうねり具合からしても正解な気がする。

自分の感覚を信じてそのまま道なりに。
Yの字分岐から約200m。
少し道が左へカーブして行き止まりになる。

手元の地図と現地の状況からして、(すでに消失しているが)恐らくこのまま道は斜めに進み、この先の住吉警察署の敷地内を通り、路面電車の道へ合流するように感じるんだけどなぁ。

ってことで、左折してとりあえず電車道を南下することとしよう。
住吉警察署を過ぎてしばらく、「さんけい道石碑」なんてあったりするから、自分のカンもまんざらでもないな。

こっちはあっちこっちの旧街道走ってるからね~。
習うより慣れろというやつで、実戦感覚では結構イケてる気がする。

そして目の前に現れるのが、関西人なら恐らく誰でもお参りしているであろうメジャースポット、住吉大社だ。


さすがに季節外れなだけに、露店はないが、静かな参詣客も多い。
外国人にも人気スポットのようだ。


かつてはこの住吉大社の前、まさに紀州街道沿いに大阪湾が広がっており、ここから遣唐使も旅立っていったんだね。
駆け足で神社をめぐり、街道に戻り、トレーニングを続ける。

路面電車は左の専用軌道へとカーブし、しばしのお別れ。
と思ったらすぐに目に入るのが小さな木橋。

「おはらいばし」と称したらしく、傍らに紀州街道の案内板が寄り添っている。(冒頭写真)

ただひたすら南下する直線道。
迷うとこではない。
国479を渡る。

しばらくして右手に可愛らしい神社。
「霰松原神社」

ん?何と読むんだ?
「あられ」だとさ。
そして松原、という名が、この辺りが海岸線だったことを示しているよね。

そのままアーケード街に入った。
安立商店街ね。
恥ずかしいけど、真面目なトレーニング中です!!

そして商店街を抜けるとすぐに「大和橋」。


橋の上からの景色って、何気に好きだなぁ。
そしてここで大阪市に別れを告げ、こんにちは堺市、ということになった。

師走の穏やかな休日。
人の行き来も落ち着いている感じで、足も快調に進む。

大和橋渡り終えて約300m。
左手に寺院風の建物と祠がある。

「風間寺」。

詳しく知らないが、風間六右衛門という人がここで自刃したことに由来するそうな。

手を合わせてさらに足を進める。
堺市に入ってから、この道は「大道筋」という別称も付与されているらしく、所々に街道らしき風情を残しているのが嬉しいな。

またすぐに表れた立派なお屋敷。
榎並屋勘左衛門芝辻理右衛門屋敷跡。


堺といえばかつては鉄砲鍛冶ね。
織田信長が大量の火縄銃を入手できたのも、ここ堺を抑えていたから。
その鍛冶屋さんを営んでいた鍛冶屋さんのお宅ね。

その先、交番があって、阪堺電車と再会。
その線路を渡れば道幅は広くなる。
まさに大道筋にふさわしくなった。

何やら案内板があり、ちょっと寄り道。
左折してまもなく。

「山口家住宅」。

かつての庄屋さんのお宅で、堺市立町屋博物館として運営されている。

はい、トレーニング中!!
毎度のことながら内部の見学はスルー(笑)。
ま、似たような施設、あちこちで見てきてるからね。

すぐに引き返し、大道筋に戻る。
で、100mほど走ればまた案内板。
郷学所跡。


名前の通り学問所で、いくつかの寺子屋を集約し、幕府の援助により運営されていたとされるから、堺が裕福であるとともに、重要な地点であったことが窺い知れる。

またしばらくは阪堺電車とのお付合い。
大道筋は古くからの堺の街の南北の大幹線道路だったらしいからね。
今も片側3車線で歩道も広い。(まぁ、多少の拡張はあったと思われるが…)

しばらくすると左手に大きな某電話会社の大きなビル(堺ビル)があって、道路の反対側に見えるのが「ザビエル公園」。


言うまでもなく、あのフランシスコ・ザビエルに由来するものであろうことは明白だが。
帰宅後調べてみると、ここは元々豪商日比屋了慶という人の屋敷跡らしい。
そこにザビエルは招待されたという。

そう、招待されてしばし居候しただけ。
うーん、微妙だな、それなら「日比屋公園」のほうがしっくり来そうなもんだけど。
でもそれだと東京の有名な公園とかぶっちゃうから(でも「屋」が違うけど…)気になったのか?

そして大道筋もこの辺りでは某電話会社によって綺麗に手入れされており、それを示す看板が誇らしげに掲げてある。


さらに南下を続ければ、今度は東西の大幹線、大小路と交差。


そう、ついこの間走った気がする「西高野街道」のスタート地点なわけさ!!

もちろん今日はただの通過点。
南下を続ける。

阪堺電車の「御陵前」電停を過ぎるとすぐに同名の変更交差点があり、ようやくここで路面電車としばしのお別れとなる。
右斜め、薬局の脇から伸びるのが、いかにもそれらしい雰囲気を残す紀州街道。


そして左にカーブすれば、そこにあるのが「船待神社」


名前からして、この辺りまで海だったんだね。
そして神社前の紀州街道は、くねくねと独特のうねりを残していて、堺市の街中とは思えない静かさだ。


さあ、そしてここからしばらくはシャメする見どころもなさそうだが、1本道がくねくねと続き、足取りは警戒に進む。
時計はまだ13時半をまわったばかり。

師走のわりには暖かい日差しを感じつつ、南下を続けるコスモタイガーなのだ。
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コスモタイガー漂走記~旧紀州街道編①~前編

2024-02-19 | 旧紀州街道run/更新中

★関西ネタです

【2018年12月某日】

なんやかんやと高野街道1回目から1か月が過ぎ、師走に入った。
何かと忙しくなりそうな気配の中、家族と離れ、社宅で一人週末を寂しく…、なんてことはなく(笑)、天気も良さそうだし、旧街道を走りに行くか!!。

朝食と洗濯だけをササっと済ませ、着替えていざ出陣!

向かったのは自宅から徒歩5分、「高麗橋」。
旧街道runとしては、東海道(京街道)編最終回以来。

懐かし~、とはならないけどね、何せ徒歩5分のところに住んでてね。
買い物やら何やらでもう数えきれないほど前を通ってるからね(笑)

あれから約6年。
まさかこんなところに単身で住むことになろうとは思ってもなかったからなぁ。

ってなシチュエーションで、今更感満載だけど、とりあえず記念に写メしておこう。(冒頭写真)

そもそもいきなりなんで紀州街道?
高野街道は?

よーするに財布と気持ちの問題。
単身赴任の気ままさはあるものの、高野街道も河内長野過ぎると金銭的にもそこそこかかるし。
しかもその翌日に「りんくうパークマラソン(10km)」で準優勝したりして楽しんでるからね。

ということで、毒抜き?の気楽さを求め、並行する形で高麗橋発の紀州街道踏破を目論んだのさ。
何せ高麗橋スタートなら、往路の交通費は無料だからね(笑)

まだ10時をすぎたばかり。
まずは西へ。
毎日見ているような風景で何にも感慨はないが、「高麗橋1」の交差点で堺筋に出る。

左手角の北浜プラザが目立つ。
元々は三越大阪店だったらしいけれど、現在は高層マンションで、地下鉄北浜駅と直結している。

って、最寄り駅だし、社宅から徒歩2分ぐらいだよ(笑)
進むどころか戻ってる(笑)

ここで左折、つまり堺筋を南へ。
汗かく間もなく、道修町1の交差点の左手に時代を感じる和風建築。
こんな大阪の都心の真ん中だけに妙に目立つ。

旧小西家住宅ね。


そもそも小西家って何者?
簡単に言えばボンドや瞬間接着剤アロンアルファを作ったコニシ(株)の創始者ね。

道修(どしょう)町といえば、西日本を代表する古くからの薬の街。
今もなお、武田薬品や塩野義製薬等の大手製薬会社が本社を置いている。
接着剤にも薬品は利用されているだろうから、コニシ(株)もその流れを汲んで発展していったんだね。

なかなか前に進まんね。
とりあえずしばらくは堺筋がそのまま紀州街道で、南下するだけ。

御堂筋に次ぐぐらいの大阪の大幹線。
両側は巨大なビル街で面白みもないし、どこをどう走っても同じようなものだが、とにかく日本橋に到着。

かの有名な道頓堀川。

さすがにこの寒い中、飛び込む人はいない(笑)

ここを超えるとやっと旧街道らしい宝探し?のような場所が現れる。
道頓堀川から2本目の狭い道を右に入る。
芝居裏通などといかにもピッタリな名前が付いているようだ。

30mほどで、ビルとビルの間の極細の路地。

なんとこれが紀州街道の名残らしい。

路地を抜け、普通のアスファルト道になりホッとする間もなく、東西に走る大幹線に突き当たる。
千日前通ね。

といいつつ、大阪在住歴7か月。
通りの名前もリサーチしておかないとまだなかなか覚えられないんだけどね。

左手の「日本橋」の交差点に廻って横断し、またこの1本西側の道に戻って南下。
赤裏筋という名がついているようだ。

ちなみに日本橋は「にっぽんばし」ね。
江戸にある旧東海道や旧中山道の起点は「にほんばし」
その真ん中で生まれ育った名古屋人は混乱してしまうよね。

すごく遅いペースだが、いつの間にか中央区から浪速区へと変わり、ほんのわずかに右にカーブしている曲線に街道らしさを感じるものの、それ以外に古きを忍ぶものはない。

さらに進むと、若干道幅が広がり、ものすごい人だかり。
コミックかカードなのか、そっち系の人が群れを成していた。


赤裏筋もこの周辺だけは「オタロード」なんて通称で呼ばれているらしい。
コスモタイガーもある種のオタクの様なものだからなぁ…。

とはいえ、街道らしさもないからね、ちょっとベースアップして道なりに南下しよう。
JR大阪環状線の新今宮駅をアンダークロスし、さらに国道43号を横断。
西成区に入ったようだ。

ようやく高いビルもなくなり、都会のど真ん中間はなくなり、道の名前も「紀州街道」と、ところどころに案内されるようになった。


さらに南下すると右手に公園があり、何やら行列ができている。
配給?炊き出し?があるようで並んでいる。


あ、そうか、ここは「あいりん地区」最寄りの公園なんだね。
旧街道としてしかリサーチしてなくてね(笑)
予備知識なかったからビックリした(;'∀')

起伏もほとんどないから、走りやすさは感じつつ、南下を続けよう。

昭和の風情を感じる下町らしい通りだ。
天下茶屋地区に入ったようだ。

名前のとおり、天正年間には茶屋が開かれ、のちに豊臣秀吉お気に入りとなったため、「殿下茶屋」と呼ばれるようになった。
それが訛って天下茶屋になったとか。
鉄チャン的にも、南海電鉄本線と地下鉄堺筋線の乗換駅で、耳慣れた地名ではある。

その名も天下茶屋公園を右に見てそのまま進む。
大阪市内にも関わらず、旧街道らしい1本道として、紀州街道は南下を続ける。

約400m。
神社が左手反対側に見えてきた。
天満宮ということで、ご祭神は菅原道真だろうけれど、建物自体は昭和になってからのもの。

そしてこの目の前の交差点にあるのが「天下茶屋跡」の碑。

正確にはここから西へ30Mほど入ったところにある小さな広場が跡地として整備されているらしいけれど、単なる跡地ということで先へ進むとしよう。

すぐ先の信号に、大きな「阿部野神社」の標識が立っているから少しだけ寄り道。
左折して阪堺電車の線路を超えればすぐに行き止まり。
標識通りの神社が鎮座している。


西からだと貧相?ながら、正門であろう南からだと立派な神社らしく、御朱印もいただけるようだ。

再び街道に戻る。
南海電鉄高野線をアンダークロス、すぐに左から来た阪堺電車が合流し、ここから路面電車となる。
しばらくは路面電車と並走することになるんだね。

塚西という大きな交差点もそのまま直進。
この辺りから住吉区になるのかな?

おっと、目の前から路面電車がやってきた!

撮り鉄は専門外だけどね、とりあえず悠然と走る電車に思わず携帯を向けてしまった。


さあ、まだまだ路面電車との並走だ!
と思ってたら、薬局とクリニックが並んでいるところでいかにも旧街道らしい道が斜めに分岐。


もちろんここは斜めの道に入るのが正解ね。
すぐに視界が開け、南海本線粉浜駅前に出た。

和歌はあんまり詳しくないのでよくわからないけれど、たぶんこの辺りを詠んだものなのか、駅前には万葉歌碑が建てられている。


さあ、せっかく駅前だから!
とはならないのさ。
トレーニングとしてはまだ全然距離不足。
しかも時計はまだ正午前。

そのままコスモタイガーは南へと向かうのだ。
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コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(1)~後編

2023-12-07 | 旧高野街道run!!/更新中

紀見峠!
ここは県境で、ここから和歌山県、いわゆる紀伊国に入ったってことね。
行政区域的には橋本市になるようだ。

何気に道は二手に分岐。
右の道のほうがいかにもメインルートっぽく、環境庁と和歌山県が設置した「紀見峠」の表示板が誇らしく断っているけれど…。
旧街道は左の登り道らしいんだよね。
表示板の背後を行く形になるから不安だけど。

でも50mも走れば「高野山女人堂六里道標石」の石碑があってホッとする。(冒頭写真)

すぐ隣といっても良い場所に、「数学者岡潔生誕の地」という碑が建つものの、ごめん、知らない人だ。
理数系は大の苦手でさ。
それにまつわる人にもあまり興味を持てないコスモタイガーなのだ。

これを超すと、いかにも山中の集落という1本道が静かに続いている。
実は紀見峠宿といって、かつての宿場だったらしい。
旅籠や茶屋が建ち並び、300人近くが宿泊できた、ということらしいけれど、目の当たりにする光景からは信じられない。


随分高度を上げてきたんだね。
家並みの隙間から見える遠景は素晴らしい。


気になる案内板に従い、苔むした小道を分け入るとすぐに愛宕神社。


鳥居と祠だけ、本殿もない小さな神社になぜ寄ったのかというと、腰痛にご利益があるということだから。
そう、学生時代から走ってる蓄積なのか、腰が悪いんだよね。

小道を戻って再び高野街道を走る。
ただ1本の道がくねくねと続いているからね、迷うことはない。
右側、時折視界が開け、絶景を拝めることが良いアクセントになる。


少しづつ高度を下げ、道幅も狭くなり、竹林と笹の中へと続く1本道の旧街道。


走りも軽くなり、リズムが出てきた。
どれぐらい走っただろうか。
急カーブのところにポツンと祠があって「阿弥陀堂」というらしい。

で、この阿弥陀堂を過ぎると少し広い道に合流。
広いといっても軽トラ1台がやっとの広さではあるけれど。

T字路になって突き当たったら右折。
だんだん集落らしくなってきたのは良いけれど、特段見どころはなく、ペースが自然と上がる。

「慶賀野」の交差点で、立派なバイパス、国371に吸収されてしまうのさ。
おそらくこの辺りは消失区間、しばらくは国道runとなる。

ここは変則交差点でね。
隣り合うようにもう1つ信号があってさ。
そこから南に分岐するのが旧街道ね。
道に入ってすぐ左手に「太子堂」があれば正解。

Yの字分岐は左。
軽トラ1台がやっと狭路ながら、独特のうねりと威厳あるお屋敷が旧街道らしさを演出して、飽きない風景が続く。
適度に田畑も広がるのも癒される。


さらに進むと道端に小さなお地蔵さんがあり、二手に分岐。
この道はここで一気に90度左に折れ、東へ向かってしまうからNG。
右の道を選択し、ヘアピンカーブで坂を下りていくのが正解らしい。

こんなヘアピンカーブが当時あったとは思えないからね。
きっと本来の旧街道はお地蔵さんのところを直進していたんだろうな。

ヘアピンが終わると再び国371に出た。
このまま国道沿いに続くのが高野街道なんだけど、時計はまもなく16時になろうとしている。
11月の日は短い。

一応調べはついていて、近くに南海高野線「林間田園都市」駅がある。
ヘアピンを下りて国道に合流したという、何の変哲もない場所ながら、高野街道としては本日ここでコースアウト。
ここが次回のスタート地点だからね、一応備忘録代わりに?写メでも撮っておこう。


さあ、あとは国371を逆向きに走り、最初に現れる道で左折(歯科医院が目印)、これまたヘアピンカーブでひたすら下っていけば、そこにお目当ての駅が現れた。


南海高野線、林間田園都市駅ね。
何だか東京の田園調布を連想させるお洒落な駅が、まさに林間にデンと構えてることに不思議な感覚がある。
そして本日のトレーニング、これにて終了!

後半結構迷ったからね~、20kmぐらい走ったと思うな。
高野街道としては16~17kmというところか?
トータルで登りというのもあって、距離の割には良いトレーニングになったかと。

時計はすでに16時を過ぎている。
さぁ、今日はもう1つ目的があってね。

やってきた南海電車に乗り、一路難波駅へ。
その理由は…。

映画さ、映画!!
大好きな某アニメ映画を楽しむのさ。

そしてその続きが来年3/1なのね、なんてチェックする。


そう、コスモタイガーは、単身赴任生活を謳歌しつつある…。
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コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(1)~中編

2023-10-27 | 旧高野街道run!!/更新中

国371を走ってしばらく、「新町橋」の信号を通過する。
さらに進むこと約100m。

ここで右斜めに向かって一気に登る急坂道を発見!
紛れもない、旧高野街道だ。

高度を上げつつ、右に左にカーブする。
国371バイパスの上を通るのは珍しい風景だ。

この辺り、案内板も目印もなさそうだけど、まぁ、道なりだからね。
街道らしいくねくね道を上っていけば迷うことはない。
ただ延々と集落中を上ってる感覚で、すぐ近くに国道が通っているとは思えない雰囲気ではある。(冒頭写真

石仏寺という小さな古寺で下り坂となる。
突然視界が開け、「石仏南」という変則交差点に出て、国道に突き当たる。


国道といっても2つに分岐してるからね、ややこしいけれど、どっちの道も国371なのさ。
このまま右に進むのが旧道で、左のいかにも走りやすそうな道が新道(バイパス)ということらしい。

で、このまま右の旧国道がそのまま旧街道をリ・ユースしたものなんだろう。
しばらくは旧国道run。
歩道もないけれど、旧国道ゆえ交通量が少ないのが救いではある。

左手には天見川が流れ、右には人を寄せ付けない鬱蒼とした森。
実はかつてこの森の上に石仏城などという、これまた楠木正成のお城があったらしいけれど、それを感じさせるものは何もない。

国道を1km以上走ったかな?
突然右に激しく上る小さな道!

これこれ!これが高野街道さ。

国371を左下に見下ろす感じで、軽トラがやっと走れる程度の道を走る。
500mほどの道のりで、再度国道へ吸収。

と思いきや、100m少々進んだところに郵便局があり、ここで左折して急坂を降りるのが旧街道らしい。

いよいよ周囲はのどかな山間部の雰囲気となってきた。

道なりに右折した先には「御所の辻」で、現在も文字通り分岐路になっている。
「大神宮の常夜灯」が今も残り、ここは右の道であることを教えてくれる。


山あいの旧街道は静かだ。
誰にも会わないね~。

道なりに進むと突然頭上に橋脚が。
南河内グリーンロードという広域農道らしい。

そこを過ぎると右側にポツンとお堂が建つ。
松明堂。


弘法大師がこの地で夜を明かした際、松明に火をつけて地面に突き立てた。
そうしたらあら不思議、そのまま根を張り、大木になったという言い伝えから、この名がついている。

天見川を右にして、鬱蒼とした未舗装道となり、しばらくすると再び国道に合流。
国道runでちょっと不安になるが、右手に細長い七里道標石の石碑を発見し、ホッとする。

500mほど国道を走れば、右へ分岐する道があり、さらにそこから天見川沿いを走る小道がある。
これが高野街道らしい。


苔むした石垣と緑の木々に囲まれた涼しげな道は約600mほど。
再び国道が見えてきた。

合流…と言いたいところだが、その手前に急な階段!
ここを登るのが正解らしい。

そしてすぐに歩道橋となって、国道の反対側へ。
もちろん本物の旧街道に歩道橋なんぞあるわけないが、安全のためにもここは歩道橋利用だよね。

すぐに運動場らしきものが左手に。
天見小学校の校庭で、校庭に沿って左斜めに下るのが正解…と思われる。

思われる、というのは資料によってはこのまま国道を走ることになってるからさ。
でも現地をつぶさに見ると、何というか、街道跡らしき道が、下った正面の古びたビルの駐車場を突き抜けている気がする。

そしてその先は獣道状態となり、消失しているようだ。

資料の世界だけではなく、ここは実際にあちこちの街道を走ってきた自分の感性を信じたい。
とはいえ、行き止まりはほぼ確定なため、道なりに左へカーブして、すぐの角を右折。

天見川をヒョイと渡れば左へカーブ。
消失した高野街道はこの辺りで復活してるんじゃなかろうか。

で、天見温泉南天苑という、素敵な1軒宿の裏庭のような道を上れば、南海電鉄高野線の天見駅前に出る。

確信は持てないが、こっちが高野街道だと思うけどなぁ。

というより、肩身の狭い思いをして殺風景な国道を走るより、絶対こっちのほうが良かった!
国道が高野街道としている資料でも、この裏道を進めてるぐらいだからね。

そして気になってしまい、いつか泊まってみたい南天苑への道が出ている。
少し寄り道で、立派で伝統を感じる建物も写メしておく。


駅を過ぎてすぐ、Yの字の分岐は右側で、ここからは下り坂。
そして再度国道に出会うのは、文字通り「「出合の辻」という交差点。

誰と誰が出会ったのかは知らないけれど、ここで信号を渡ってから国道沿いの狭い歩道を走るのさ。


そしてすぐに右斜めに激しく登る狭い道!
そう、これが高野街道ね。

400mほど、民家の裏道のようなところを走り、再度国道へ合流。
「島の谷」という信号交差点に出る。
手元の資料はこのまま国道沿いに…、と案内しているが、リサーチ通りここは左の道を選択。

はい、右手苔むした石垣の上にあるのが「大神宮の常夜灯」。

これが旧街道であることを証明してくれている。
山深き旧街道を照らしてくれていたんだろうね。

道はこのまま左へカーブしながら下っているけれど、恐らく旧街道は真っすぐ進んでいたんだろうな。
要するに消失しているんだけど、真っすぐ進んで国道へ合流する感じだったんだろうね。

仕方なく「島の谷」まで戻って国道を走る。
一瞬、100mにも満たない小道に入るものの、基本は国道run。

左側には再び南海高野線が寄り添ってくる。
と思ったら右斜めに分岐する山道が分岐。
ここから難所の1つ、紀見峠越えとなるんだよ。
後ろを振り返ると温度計が17℃を指している。


気になるのは「大阪府河内長野市」の看板。
え?ここが境界?

うーん、手元の地図によれば、紀見峠の頂上が大阪府河内長野市と和歌山県橋本市の県境となるはずなんだけどね。
まぁ、この先国道371はすぐにトンネルに入るから、ここにしか設置できなかったのかな?

1本道をくねくねと走る。
国道は足の下をトンネルで一直線なんだけどね。
かなりのヘアピンカーブは明らかに自動車を意識したもので、街道というより旧国道の雰囲気。
多分、本当の旧街道は山の中、自然に還ってるんだろうな。

途中、案の定、ここが「旧国道」であることの証跡が!


さらに旧国道を走れば、比較的真っすぐ進む形になり、恐らくこの辺りから旧街道=旧国道になっているのではなかろうか。

やがて「ダイヤモンドトレイル」の丁寧な案内板。

どうやらこの辺りの山々を繋ぐ本格的なトレイルコースがあるらしい。
恐らく関西地区の市民ランナーがクロカン走るなら、高野街道よりこっちを選ぶんだろうな(笑)。

コスモタイガーも自然を感じながらのクロカンは決して嫌いではないけどね。
今は旧街道モード!

そしてそこから100m少々。
紀見峠の頂上だ。


そう、これにて大阪府は終了!
ここからは旧街道run初の和歌山県(橋本市)だ!

とはいえ、トレーニングだからね。
写メだけ撮って足を止めることはないコスモタイガーなのだ。

(※次回へ続く)
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コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(1)~前編

2023-09-14 | 旧高野街道run!!/更新中
★関西ネタです。

【2018年11月某日】
大阪の単身赴任生活も5か月がたち、徐々に慣れてきた。
秋も深まれば、ランニングもトラックシーズンはほぼ終了し、マラソンやロードレースがメインとなる。

公認のトラックレースに出るための競技者登録を愛知で申請しているため、ここまで帰省のタイミングと絡めて出場していたところではあるが、明日は関西地区の某ロードレース(10km)に申込んであり、単身赴任後初の関西地区でのレースを控えているのだ。

というわけで、前日の今日は社宅で1人。
朝から布団や洗濯物を干し、部屋をササっと掃除…だけで終われる性じゃないんだよね(笑)

もはや何かに魅入られたかのように着替えて社宅を出発(笑)
地下鉄と南海電鉄高野線を乗継、正午前に河内長野駅に降り立った。

何しに来たかって?
結局いろいろ考えて、やっぱりこのまま「高野街道」を進もうと。

大阪市内からここ河内長野まで、ここまで走ってきた東高野や西高野以外にも、中高野とか下高野とか、いくつかのまだ未走の街道もあるけどね。
似たようなところを行ったり来たりも何だかね…、と思ってさ。

さて、1本にまとまった高野街道。
名前の通りで、ここを起点にして高野山を目指す信仰の道で、現代では並走する国道371号がそう呼ばれることもある。

見覚えのあるショッピングモール「ノバティながの」で軽くお腹を満たし、駅前跨線橋からスタート記念?の写メをとる。(冒頭写真)
そして前回ゴールの高野街道モニュメントへ移動し、本日のトレーニング、高野街道編スタート!

幸いにして道標が整備されている。
まずは見慣れた変則交差点で、跨線橋を左に見つつ、直進となる。


と、すぐにあるのが高野街道碑。
まだ汗もかいてないけど、一応写メしておく。


何やら道の左側には楠木があって、河内長野市の天然記念物となっているらしいが、街道runとしては特に感慨もない。
ただ良い目印にはなるよね。

で、旧街道はそこを右に折れる。
200m弱でT字路となって右折(西)となるが、その角にあるのが「西城蔵」(西城合資会社)だ。
創業は1718(享保3)年で、まさに江戸中期。
暴れん坊将軍吉宗さんが、「享保の改革」に邁進していたころ、ということやね。

この酒蔵付近には、もっとPRされてもいいのに…、と思うぐらいの素敵な街並みとなっている。

反対側(左手)も。


すぐに左折して、小さな水路を渡る。
やがて国371、現代の車版の高野街道に合流し、そのまま斜めに横切るようだ。

叢の中を駆け上がるかのような狭い道で、別久坂という名もついているようだ。
道なりに走ること数分。

右側に小高い山が見えてきた。
そこにある神社が烏帽子形八幡神社で、本殿までは結構な階段である。


それもそのはず、背後の山は烏帽子形山といい、北斜面は古墳らしいが、南半分はあの楠木正成が築城したお城の1つ、烏帽子形城の跡なのだ。
大好きな武将の1人だし、その人の城跡となれば、スルーするわけにもいくまい。

ってことで登ったところに城跡を示す案内板。


さあ、山を下り、元に戻って高野街道の続き。
この烏帽子形山の稜線にそって高野街道は南下する。

十字路を過ぎるとYの字のように分岐し、右は上り、左は下っている。
ここは右が正解。

で、この辺りからが三日市宿ということのようだ。
しばらく進むと、高札場が復元されている。


突き当りを左折し、国371を横断。
集会所の前のT字路を右折すると、古き面影を残す三日市宿の町並となる。

案内板も整備され、迷うこともない。
何より観光地化されておらず、ひっそりとした佇まいは素敵だ。

加賀田川を渡ってさらに進めば、左手にひときわ重厚な屋敷が現れた。
旧八木家住宅。

かつての木綿問屋ということらしいが、現在も個人宅として普通に生活してらっしゃるらしく、こうして外から拝見するだけである。

そのまま走って何やら突然視界が広くなり、駅前のようなロータリーに出る。
南海高野線の三日市駅だ。

予想していたより立派な駅前にちょっとびっくりする。

このロータリー、つまり駅の真ん前を突っ切れば、ちょうど180度反対側ら旧街道が復活。
いかにも街道らしい揺らぎの道だ。
そしていよいよこの辺りから、見た目にも明らかな登りとなる。

すぐに絵入りの可愛らしい案内地図が掲示されているが、それによれば、この道のもう少し西側を「く」の字型に迂回していて、現代では民家があって通行不可、としている。
ほんの数十mでまたこの道に戻るようだけどね。

どっちにしても道なりに進むこと約100m。
またまた高野詣で恒例?の「高野山女人堂八里道標石」。

文字通り、目指す高野山(女人堂)まで8里、約32kmということだね。

でもさっきの掲示されたルートだと、この八里道標石を通らないことになる。
うーん、ここはこの1本道を行くのが正解だとは思うけどなぁ。

あるいは八里道標石を後世に移動させた可能性もあるけれど、それならその旨の案内があっても良さそうなもの。
自分としてはこの道を素直に行くのが正しいと信じたい。

すぐに小さな川を渡り、左手に西片添公民館。
さっきの案内図によれば、この辺で迂回ルートと一緒になるわけね。

さあ、そしてしばらく道なりに走れば、やがて国371、現代版高野街道に吸収される。
そしてここから約2kmほどは国道run。

といっても交通量はそんなに多くない。
少し西に離れたところに、同じ国371でも綺麗で走りやすいバイパスが通ってるからね。

とはいえ、途中からは歩道もなくなるからそれなりに注意してのランとなる。
左手に南海高野線が寄り添ってくれるのが嬉しい。

時計はちょうど13時を指している。
高度を上げながら、ひたすら足を進めるコスモタイガーなのだ。

(※次回へ続く)
コメント (2)
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