偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書284閻魔王、地蔵(茨城県行方市石橋)

2024年04月23日 | 里山石神端書

行方市石橋・養源寺の閻魔、地蔵


 行方(なめかた)市は西の霞ヶ浦と東の北浦に挟まれた古くて新しい市。西浦に流れ出し雁通川周辺を訪ねました。初めは石神集落の養源寺。

 養源寺は、山門に変わりに石柱を台座しその上に石仏を乗せて対にした所が入口。石仏は閻魔王と地蔵菩薩。寺の境内に閻魔と奪衣婆、あるいは六地蔵が並ぶ光景はよく見ますが、山門がわりに閻魔と地蔵が座すのは初めてです。
 寺に向かって左側の像は、風化のため表情はわかりませんが冥府の裁判官十王の着衣である道服(道教の道士の服装)姿なので十王であり、その中心の閻魔王としました。本来なら笏を持つのですが、これも欠けています。石柱には篆書で「禁葷酒」銘がありますからこれは結界石も兼ねています。養源寺は禅宗・曹洞宗の寺でした。
 右は右手に錫杖左手に宝珠を持ち、左足を踏み出そうとする延命地蔵です。地蔵菩薩は六道に苦しむ亡者の救済仏ですが、閻魔王の本地仏ともされています。
 大護八郎氏の『石神信仰』(注)では、閻魔王の本地仏は『地蔵菩薩発心因縁十王経』が出典と紹介されています。

 境内には薬師堂もありました。



 堂内の中央に薬師如来、その両脇の4段の祭壇に木彫仏が並んでいます。最上部に薬師如来脇には日光・月光菩薩、その脇の2段3段に十二神将。ところが十二神将は11体で、1体は不動と神像の像容です。神像は十王の一王のようでもあります。養源寺は留守でこの件は聞くことができませんでしたが想像するに、かつてこの寺には十王を祀る十王堂があったのでは、と思いました。
(注)大護八郎著『石神信仰』1977年、木耳社
(地図は国土地理院ホームページより)


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