偏平足

里山の石神・石仏探訪

石幢 山梨県甲斐市

2022年08月13日 | 里山石神端書

里山の石神端書102 甲斐市下芦沢・宝勝寺の石幢

 下芦沢の公民館も兼ねた宝勝寺の墓地は小川を渡った先。その一角に石幢が3基並んでいます。


 幢(どう)は旗のことで、仏教では仏菩薩の象徴となります。数枚の幢を筒状にしたのが幢幡(どうばん)で、寺の本堂の天井から吊し飾る装飾具としてよく見かけます。


 幢幡を石で造ったのが石幢。中国から入ったもので、日本では平安時代末期から造立され、室町時代に盛んに造られました。その形に二種類あり、六角形の幢身の各面に地蔵菩薩を浮彫し笠を付けた形を単制。笠の下に龕(石燈籠の火袋のようなものがあり、この部分を龕(がん)と呼ぶ。龕は仏像を納める厨子)のあるものを重制としています。
 石造物の多くは近世の造立ですが、この石幢は中世の室町期のものが多いのも特徴です。
 下芦沢がある亀沢川の集落にはどこでも一基あるいは二基建てられていました。これが三基も並ぶ宝勝寺は珍しい光景です。いずれも龕がある重制ですが、一つだけ龕がなく六地蔵だけのものがあります。龕は壊れやすく、作り替えられたものも時々見かけます。前回案内した上福沢の道祖神場、そこにある石幢は室町時代の文明二年(1470)の造立でした。

 宝勝寺の墓地には石祠型墓石もありますから、この土地も古くからあった集落となります。
(地図は国土地理院ホームページより)



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