昔、私がティファニーに勤めていた頃に

お世話になっていた美容室


エジオトロトのヒサさんの

美容師仲間で

ずっと月1のメンズヨガにも来てくれていた

西尾くんが

8/11に亡くなられました


2020年コロナになってから始めたオンラインも

一年位続けてくれていた

ヨガを、めっちゃ真剣にやってくれて

私のYouTubeにもアドバイスくれてたりした


自転車やキャンプが好きで

身体を動かすのが本当に好きで


2年前に自転車を買う時についてきてくれて

一緒に上新庄から自転車で心斎橋に

帰ってきた






全部撮影西尾君



















↑去年の忘年会


5月に倒れて、

6/12に一時退院の時皆で会って

2ヶ月後彼はいなくなっていた


「信じられない」「受け入れ難い」

8/14 今月のメンズヨガの日に


「彼はどこへ行ったのか」という話に


「彼のような良い人が、人生の中で辛い目に遭って、人一倍苦労して、報われない、悔しい」

仲間の1人が言った

「お客様にも慕われていて信用されていて

海、山が本当に好きで」

「優しくて、いつもニコっと微笑んでいて

辛いとか痛いとかしんどいとか聞いた事ない」


彼の事を話せば話すほどに

リアルに人柄が思い出され、ここにいて

笑っているような気がする


「きっと今頃次の新しい肉体に入るのを楽しみに

ワクワクしているんじゃないかなぁ」

「こんなに人に好かれてる賞賛されて惜しまれて

めちゃくちゃ良い人生だったんじゃないかなぁ」


彼の事を思い出して

話せば話すほどに

やりきれない気持ちが癒やされていった


悲しい事、辛い事を

本気で掘り下げてみると

自分の真意や真実の捉え方が見えてくる


「いない」「いる」

「在る」「無い」

「生きる」「死ぬ」とは?


死んでいなくなったから

いなくなった後の生きている人は虚しく悲しいか?


それを慰めるだけの考え方としての哲学か?


本当に納得できる真実は?


思いやりに満ちた人柄が

キラキラと今でもここにありありと

感じられるだけ、それだけが確かに今でもここに

私達の肉体と共に残っているだけ