真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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教育勅語には普遍性がある?

2020年11月24日 | 国際・政治

 明治維新によって政権を手にした薩長を中心とする尊王攘夷急進派は、明治政府を樹立するとまもなく攘夷を放棄し開国和親政策に転換して、欧米列強に国力・軍事両面で追い付くことに注力しました。そして、不平等条約の改正や国家の保全を目指したのだと思います。だからその政策は、 西洋文明を積極的に導入すること(文明開化)であり、地租改正や殖産興業によって経済力をつけること(富国)であり、徴兵制や軍制改革によって軍備を増強すること(強兵)であったのだと思います。そして、さらに列強のような植民地帝国建設を目指して、朝鮮・中国への経済的・軍事的進出を意図するようになったのだと思います。

 その祭必要とされたのが、自由民権運動を抑え、”皇威”を”宣揚”して、精神的に国民を統制するための「教育勅語」であったと思います。したがって、「教育勅語」は、開化政策による道徳的混乱を乗り越えるため、仁義忠孝を中心とした儒教的な徳育の指針を示しつつ、”一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ”というところに国民を導くものだったと思います。この部分は「文部省著作の教科書における教育勅語等の解説 第二十七課 教育に関する勅語」のなかで”若し国家に事変の起るが如きことあらば、勇気を奮(フル)ひ一身を捧げて、皇室・国家の為に尽くすべし。かくして天地と共に窮なき皇位の御盛運を助け奉るべきなり”と解説されています。”一身を捧げて、皇室・国家の為に尽くすべし”という教育が展開されていたということです。「続・現代史資料(9) 教育 御真影と教育勅語2」(みすず書房)の奉体の構造化 (三)

 こうした考え方は、1882年(明治15年)に明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭、いわゆる「軍人勅諭」(正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』)の
朕か國家を保護して上天(ショウテン)の惠に應し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を盡(ツク)すと盡さゝるとに由るそかし我國の稜威(ミイヅ)振はさることあらは汝等能く朕と其憂を共にせよ我武維(コレ)揚りて其榮を耀さは朕汝等と其譽(ホマレ)を偕(トモ)にすへし汝等皆其職を守り朕と一心(ヒトツココロ)になりて力を國家の保護に盡さは我國の蒼生は永く太平の福(サイハイ)を受け我國の威烈は大(オオイ)に世界の光華ともなりぬへし
 という考え方と一つのものであり、「神話的国体史観」に基づく「教育勅語」によって、軍人のみならず広く一般国民にも富国強兵の精神的支柱を確立し、”億兆心ヲ一ニシテ””勇気を(フル)奮ひ一身を捧げて、皇室・国家の為に尽くす”国民を育成することが、目的であったのだと思います。

 だから、”天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く”という日本国憲法の下では、どんなに見直しても「教育勅語」が、かつての効力をもつことはあり得ないと思います。再び天皇主権の国家に戻さない限り、「教育勅語」で日本を救うことはできないということです。
 また、濤川氏は、”教育勅語は儒教にも神道にも仏教にもどこにも片寄っていない、ひじょうにバランスがとれたものなのだ。”と言いますが、それは、教育勅語に取り上げられている儒教的な徳目しか見ないからだと思います。”我カ皇祖皇宗國ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥(ソ)ノ美ヲ濟(ナ)セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此(ココ)ニ存ス”とあることを見逃してはならないと思います。明治政府は神道を国教化しましたが、「教育勅語」は、神道の神話的国体観に基づいており、神道と切り離すことはできないし、神道と切り離して「教育勅語」から神話的国体観を抜き取れば、残るのはほとんど儒教的な五倫五常の徳目で、国民の多様な考え方を一つにして統制することができるようなものではないと思います。

 また、「教育勅語」が効力を発揮した裏には、「不敬罪」があったことも見逃してはならないと思います。「続・現代史資料 教育 御真影と教育勅語 Ⅰ」(みすず書房)には、内村鑑三不敬事件の資料がいろいろ掲載されていますが、その中の「第一高等中学校『校友会雑誌』第三号(明治二十四年一月二十七日発行)」に下記のような記述があります。
”〇勅語拝戴式
 九日、勅語拝戴式を行ふ、式場は倫理室なり、此室に於て此式を行ふ、日本の臣民たるもの誰か感泣(カンキュウ)せざらんや、独怪むべし、本校教員内村鑑三氏は敬礼を尽さず、此神聖なる式場を汚せり、
 ”神聖なる式場を汚せり”という内村鑑三の「不敬事件」は、「教育勅語」の儒教的な徳目とは関係なく、”天皇”と”国民”の関わりの問題としてあったのではないかと思います。
 同書には、内村鑑三不敬事件の他に、熊本英学校事件久米邦武不敬事件島根県立第一尋常中学校(松江中学校)生徒不敬事件井上哲次郎不敬事件なども取り上げられていますが、「教育勅語」が単なる徳育の教えではなかったことがよくわかります。「教育勅語」が神話的国体観に基づいて、「」(現人神・天皇)が「臣民」(国民)に「下賜」したものであったが故に、神聖視され、強制力が働いたということです。だから「教育勅語」の「下賜」によって、日本は、学問の自由や思想の自由や信教の自由などがほとんどない国になってしまったといっても過言ではないように思います。そういう意味で「教育勅語」に普遍性はないと思います。

 また、「戦争犯罪を世界で唯一認めてしまった国、日本」と題された文章にも、とても問題があると思います。
 まず、日本は、”戦争犯罪を世界で唯一認めてしまった国”ということ自体が適切ではないと思います。”南京大虐殺や従軍慰安婦問題が教科書に載っている”ことが、国家が、戦争責任や戦争犯罪を正式に認めたことにはならないと思いますし、現に、日本の戦争責任や戦争犯罪に関して、多くの訴えがあったことも踏まえるべきだと思います。 
 また、”ある調査によれば、第二次世界大戦時の世界の軍隊の中で、もっとも性犯罪が少なかったのは日本軍だったという報告も出ている。軍規で性犯罪がきびしく罰せられていたためである。”と書いていますが、なぜ、こうした重大な歴史の事実に関して、”ある調査によれば…”などという論述の仕方をするのか疑問です。誰の、どのような調査であるのか、なぜ明らかにしないのか疑問に思うのです。 濤川氏の文章には、歴史の事実に関する重要な情報が多々含まれていますが、その出典引用元参考文献などが示されておらず、確かめようがありません。歴史学的に議論のある問題についての文章としては、適切ではないように思います。

南京大虐殺も同じだ。毛沢東は演説の中で、日本軍がジェノサイド、全員虐殺をしない軍隊だったから中華人民共和国は成立したと言っている。中国や欧米の歴史では、徹底虐殺は当たり前だったからだ。
 しかし、日本軍にはそうした発想がなかった。だから、南京で包囲された中国軍の軍人が市民の洋服を着て、市民に化けて逃げ込んだときに、それでもジェノサイドをやっていない。その市民に化けた軍人、便衣隊のゲリラ戦法によって、日本は結局、追い詰められていった。
 という文章もとても気になります。ほんとうに毛沢東がそういうことを言ったのか、私には、ちょっと信じ難いのですが、確かめようがないのです。

 日本国憲法には、
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 とあります。”大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス”という天皇主権当時の「教育勅語」、さらに言えば、国民の教育を受ける権利が、基本的人権の一つではなく、”皇祖皇宗ノ遺訓”であるという「教育勅語」には普遍性はないと思います。

 下記は、「今こそ日本人が見直すべき 教育勅語 戦後日本人はなぜ〝道義”を忘れたのか」濤川栄太(ごま書房)から抜粋しました。
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        第三章 日本を救うには、もはや「教育勅語」の見直ししかない

               教育勅語には普遍性がある

 日本の伝統や文化などの掘り起こしの重要なものの一つが、教育勅語なのである。とくに、日本の教育の危機を救うエースになるのが、教育勅語の見直しではないかと思っている。これまで「教育勅語というと軍事教育と直結して考えられ、見直そうという試みはすべて失敗しているが、今こそ、もう一度、教育勅語を考え直すときが来ているだろう。
 戦後、教育勅語は絶対悪のように考えられるようになって、教育勅語を論ずること、教育勅語に近づくことそのものが悪いことのような雰囲気ができている。しかし、教育勅語の内容そのものを肯定する声は今でも少なくはない。GHQでさえ、教育勅語には普遍的な道徳が語られていると認めているのである。
 教育勅語は、戦後GHQの方針によって排除されたが、神道を学校教育から取り除く神道指令と重なったことから、神道と結びついていると誤解されている向きもある。しかし、教育勅語は儒教にも神道にも仏教にもどこにも片寄っていない、ひじょうにバランスがとれたものなのだ。けっして偏狭な民族主義のあらわれなどではなく、普遍性のある良識的なものであることは多くの人が認めている。
 ところが、教育勅語が軍事教育の中で絶対視され、悪用されたために、戦後、悪いイメージが生まれる原因にもなった。さらに、GHQが天皇制の問題と教育の問題の中で、教育勅語をあつかったために、教育勅語は天皇制ファシズムの魂のようなものだと思われるようになってしまった。教育勅語の排除は、国会での失効決議という形で行われたが、これには裏がある。戦前天皇の詔勅には大臣の副署がつけられ、それで法律となっていた。だが、教育勅語には副署がつけられなかった。法律ではなく、教育に対する天皇からのメッセージというかたちをとっていたわけである。
 その点を戦後になって問題にされて、副署がついていないのだから法律としての形になっていない。これは憲法違反であるということになって、国会での失効決議がおこなわれて、排除された。
 しかし、これから考えるべきことは、失効決議がどうというよりも、教育勅語を先入観を持たずにもう一度、冷静な目で、現代的な視点で見直して、その優れた点ははっきりと認め、教育の中で生かしていくことができないかということだ。
 戦後教育は成功だったと言われているが、今になって、小学校や中学校で事件が相次いで起こり、教育のあり方自体が問題になっている。そんなときに、無意味なアレルギーで教育勅語を否定していることのほうがおかしい。多くの人が認めている普遍性を認めなければいけない時期になっているはずである。
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        戦争犯罪を世界で唯一認めてしまった国、日本

 日本の戦争責任が話題になるとき、日本とドイツの違いがよく口にされる。ドイツはナチスの犯罪を認め、その反省にたって、戦後のドイツをつくってきたが、日本は明確な謝罪がないというのである。
 しかし、ドイツが本当は何と言ったかをもう一度、思い出してみる必要があるだろう。ドイツが言ったのは、ナチスが犯した犯罪は認め、それはドイツ国民としても忘れてはならないということであって、ドイツという国が、ドイツ国民が犯罪を犯したとはけっして言っていないのである。つまり、ドイツは戦争に負け、ナチスは犯罪を犯したが、それはナチスのファシストたちがやったことで、ドイツがやったことではない。それに文化や歴史、教育ではドイツはアメリカなどに負けてはいないのだと突き返したのだ。
 その気迫、気概が日本にはない。日本は戦争責任を認めていないというが、南京大虐殺や従軍慰安婦問題が教科書に載っているということは、日本のみの戦争犯罪を認めているということだ。こんな国は世界中を探しても日本だけである。
 戦争で侵略した軍隊が婦女子を暴行するという性犯罪は、世界中どこでも起っている。ナチスは東ヨーロッパに数百カ所の慰安所をつくり、占領した国の女性たちを集めてきたと言われているし、ソ連はベルリンに侵攻したあと、その報復としてベルリンの女性の七割を集めて暴行したとも言われる。
 ある調査によれば、第二次世界大戦時の世界の軍隊の中で、もっとも性犯罪が少なかったのは日本軍だったという報告も出ている。軍規で性犯罪がきびしく罰せられていたためである。もちろん、どこの軍隊にも跳ねっ返りはいるから、性的犯罪がまったくなかったなどということはありえない。しかし、自国のことは表に出さないようにしておいて、日本のことだけを責めてくる外国に対して、歴史の教科書に慰安婦をとりあげ、性犯罪をやった国家だと認めてしまうことは、世界的に見れば、ほんとうは異常なことだ。世界の国々は、そんな日本の病理を心の底で笑っている。
 南京大虐殺も同じだ。毛沢東は演説の中で、日本軍がジェノサイド、全員虐殺をしない軍隊だったから中華人民共和国は成立したと言っている。中国や欧米の歴史では、徹底虐殺は当たり前だったからだ。
 しかし、日本軍にはそうした発想がなかった。だから、南京で包囲された中国軍の軍人が市民の洋服を着て、市民に化けて逃げ込んだときに、それでもジェノサイドをやっていない。その市民に化けた軍人、便衣隊のゲリラ戦法によって、日本は結局、追い詰められていった。
 アメリカも最初は真実がわからなかった。それを思い知ったのがベトナム戦争である。アメリカ軍にも徹底虐殺という発想がなかったから、女子ども、年寄りだからと見逃すと、すぐ後ろから銃弾や手榴弾が飛んでくるという目にあって、はじめて、日本が中国で何を経験したかを知ったのである。
 ナチスがユダヤ人やスラブ人をいったいどれだけ虐殺したか、スターリンがどれほどの人間を粛清という名のもとに殺したか、そういうことを考えもせずに、「お前が悪い」と言われると、「ごめんなさい、悪うございました」と、考えもなく謝ってしまったのが日本だったのだ。
 一方のドイツはナチスの犯罪は認めながら、それはドイツの歴史とは関係ないとつっぱあねるところはつっぱねた。そうしないと、国際社会の中で生きていけないとドイツは知っていたからである。だが、国際社会のほんとうの修羅場を知らない日本は、ただ言われるままに認め、謝った。歴史意識の怠慢である。歴史に学んでいない。もう一度、日本は何をやり、何をやらなかったのか、歴史をきちんと振り返り、そこから多くのことを学び直さなければならない。


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