真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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天皇機関説と神道

2021年12月04日 | 国際・政治

 天皇機関説で知られる美濃部達吉は東京帝国大学で一木喜徳郎の教えを受け、内務省の官吏となってからも、フランス、イギリス、ドイツへの国費留学を許されてヨーロッパの法学を学んでいます。その美濃部が、大日本帝国憲法の第一条で、”大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス”と定めている日本が、欧米諸国と同様の近代国家として国際社会に認められる国になるためには、天皇を国家の最高機関とする以外に道はないと考え、天皇機関説に至ったのだと思います。
 でも、天皇を現人神と信じ、日本を神国と考えている軍人や一部の政治家、また、右翼・愛国団体に結集する人たちは、天皇機関説を断固として糾弾しました。彼等にとっては、天皇機関説は単なる法律の問題ではなく、日本が現人神・天皇を戴く神国であるとする神道の信仰に関わる問題だったのだと思います。
 だから、著書の発禁処分公職追放だけではなく、公然と美濃部達吉の自決をさえ要求したりもしたのだと思います。
 
 そうした事実があったにもかかわらず、「教科書が教えない歴史 明治~昭和初期、日本の偉業」藤岡信勝/自由主義研究会(産経新聞社)に、明星大学の高橋四朗教授が、”憲法解釈に影を落とす「神道指令」”と題して、次のような文章を書いています。
 私は、客観性を欠いた事実認識に基づいていると思います。最高学府の大学の教授が、日本を滅亡寸前にまで追い込んだ過去の戦争の過ちをきちんと受け止めず、このような文章を書いて若者の指導に当たっているようでは、日本は国際社会の信頼を得られず、日中や日韓の関係改善も難しいと思います。
”・・・
 GHQのマッカーサー元帥は「神道指令」について「きわめて重大」な問題であると語ったといいます。なぜこの指令を占領政策の最も重要なものの一つであると考えたのでしょうか。
 日本と戦ったアメリカは、日本軍の勇敢さを目の当たりにして大変驚きました。日本人をここまで勇敢に戦わせた理由はどこにあるのか。アメリカはそれを「国家神道」にあると判断したのです。「神道指令」の草案起草者であるバンス宗教課長は「国家神道」を軍国主義的、超国家主義的思想そのものと考えていました。
 この考え方は正しいどころか、GHQの誤解の産物でした。そもそも「国家神道」の呼び名は日本ではほとんど用いられていませんでした。敗戦後「State Shinto」が翻訳されてから一般化したに過ぎません。
 GHQは「国家神道」を、ヒトラーのドイツを支配したナチズムと同一視しようとしていました。実際はどうだったのでしょうか。例えば、神社に対して支出された国費は、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると減額されてしまいました。「神道指令」の中で、思想面から「国家神道」を支えたとして禁書とされた『国体の本義』にしても、政府は大量に頒布し大々的に宣伝しましたが、国民はほとんど関心を示しませんでした。
 「国家神道」が信教の自由を圧迫したといわれますが、あるキリスト教信者は昭和の初め、神社の「多数は廃止すべき」と神道を痛烈に批判していました(小崎弘道『国家と宗教』)。つまり「国家神道」批判の自由は当時でも認められていたわけです。確かに、1931年(昭和六年)の満州事変以降、思想統制や宗教弾圧が顕著になったことは事実ですが、それは治安維持を目的とした法律に基づくもので、「国家神道」によるものではありません。
 では、これが憲法解釈に及ぼした影響はどんなものでしょう。例えば、第二十条三項には「国及びその機関は、宗教教育其の他いかなる宗教的活動もしてはならない」との規定があります。もし、この規定を「神道指令」に則って国家と神道の厳格な分離を定めたものと解釈すると、神道とのかかわりは厳しく禁止されることになります。毎年八月十五日になると、数多くの戦没者を祀る靖国神社に内閣総理大臣が公式参拝することは、憲法違反ではないかとして論議されています。
 しかし、典型的な政教分離の国とされるアメリカでさえ、新大統領の就任式では、聖書に手を置いて宣誓がなされますし、式に参列している牧師が祈りを行うのです。もちろん、この式典が憲法違反だと批判されることはありません。それは、アメリカ国民の大多数がキリスト教の信仰を持っているからです。

 神道については、すでに”国家神道と国家主義のカルト(the nationalistic cult)””靖国神社とGHQの「神道指令」”で取り上げましたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)で民間情報教育局宗教資源課長を務めたウィリアム・バンス(William Kenneth Bunce)は、戦前、日本の高等学校に勤務したことがあるという日本を知る歴史学博士です。また、GHQの民間情報教育局で、「神道指令」における宗教法人法などの宗教政策に関する部分の提言をしたウィリアム・パーソンズ・ウッダード(William Parsons Woodard)は、歴史学者であると同時に、日本の宗教の研究者だといいます。また、GHQの「神道指令」には、多くの日本人も情報を提供し、協力しているのです。だから、「神道指令」は”GHQの誤解の産物”などではありえないのです。また、”「国家神道」の呼び名は日本ではほとんど用いられていませんでした”などということは、「神道指令」とは、全く関係のないことだと思います。言葉が問題ではなく、天皇を現人神とする神道と国家の現実的な関わりが大事なのだと思います。戦前の日本では、神道あるいは神道的なものが国家と深く結びつき、軍国主義や超国家主義を支えていたことは、教育勅語軍人勅諭戦陣訓国体の本義などとともに、下記の愛国団体の要請書宣言文決議などにあらわれていると思います。

 下記は、「現代史資料4 国家主義運動1」(みすず書房)から「天皇機関説」に関わる部分の一部抜萃しました。
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   昭和十一年後半期於ける左右運動の概況・所謂「天皇機関説」を契機とする国体明徴運動・第四章 国体明徴運動の第一期
                第一節 所謂「天皇機関説」問題の発生
(一)美濃部博士の態度
 既に既述した通り帝国憲法は其の起案綱領中に
 一、聖上親ラ大臣以下文武之重臣ヲ採択進退シ玉フ事  
   付 内閣宰臣タル者ハ議員ノ内外ニ拘ラザルコト
     内閣ノ組織ハ議院ノ左右スル所ニ任ゼザルベシ
とあり、又綱領に副へられた意見書にも政党政治、議院内閣制の国体に副はざる所以が強調されてゐる通り、起草当時既に国体上から政党内閣を排斥してゐた事は極めて明瞭であって、「憲法義解」にも
    彼の或国に於て内閣を以て団結の一体となし大臣は各個の資格を以て参政するに非ざる者と 
    し、連帯責任の一点に偏傾するが如きは其の弊或は党援聯絡の力遂に以て 天皇の大権を左
    右するに至らむとす此れ我が憲法の取る所に非ざるなり 
と述べてゐる。往年憲法論争の華やかなりし頃、恰も政党政治樹立を目指す運動の旺盛期であり、資本主義の躍進的発展による自由主義思想の全面的横溢期であつたが、美濃部博士は当時の思潮に乗り、自由主義的法律論の上に立つて自己の所謂「天皇機関説」を唱導し、自らの学説を通説たらしめると共に民主主義的なその学説によつて政党政治家擁護の重要役割を演じ彼等に学問的根拠を与へた為、制定当時の憲法の精神は著しく歪曲された。美濃部博士は自己の学説が支配的となつて後は、恰も政党政治家の御用学者たるの観を呈し、ロンドン条約を繞(メグ)る統帥権干犯問題に国論沸騰した当時に於ても、
      統帥大権の独立といふことは、日本の憲法の明文の上には、何等の直接の根拠の無いこ   
     とで単に憲法の規定からいへば、第十一条に定められて居る陸海軍統帥の大権も、第十二   
            条に定められて居る陸海軍編制の大権も同じやうに、天皇の大権として規定されて居り、
            しかして第五十五条によれば 天皇の一切の大権について、国務大臣が輔弼の責に任ずべ
            きものとせられて居るのであるから、これだけの規定を見ると、統帥大権も編制大権も等
            しく国務大臣の責任に属するものと解すべきやうである。しかし憲法の正しい解釈は(中
            略)統帥大権は一般の国務については国務大臣が輔弼の責に任ずるに反して、統帥大権に
            ついては、国務大臣は其の任に任ぜず、いはゆる「帷幄(イアク)の大令」に属するものとさ
            れて居るのであつて、憲法第五十五条の規定は統帥大権には適用せられないのである。
     (中略)帷幄上奏と編制大権との関係如何が問題となるのであるが、帷幄上奏は、大元帥
     陛下に対する上奏であり、これが御裁可を得たとしても、それは軍の意思が決せられたに    
     止まり、国家の意思が決せられたのではない。それは軍事の専門の見地から見た軍自身の   
     国防計劃であつて、これを陸軍大臣又は海軍大臣に移牒するのは、唯国家に対する軍の希
     望を表示するものに外ならぬ。これを国家の意思として如何なる限度にまで採用すべきか
     はなほ内外外交財政経済その他政治上の観察点から考慮せられねばならぬもので、しかし
     これを考察することは内閣の職責に属する。(中略)たとひそれが帷幄上奏によって御裁
     可を得たものであるとしても法律上からいへばそれはただ軍の希望であり設計であつて国
     家に対して重要なる参考案としての価値を有するだけである。(中略)内閣はこれと異な
     つた上奏をなし勅裁を仰ぐことはもとよりなし得る所でなければならぬ。(「東京朝日新
     聞」昭和五年五月二日乃至五月五日附朝刊所載)
と論じて、時の浜口首相が海軍軍令部の意見を無視し、内閣に於て妥協案支持を決定して回訓の電報を発したと称せられ、非難の的となつた政府の処置を、得意な憲法理論を以て法律上妥当な処置であると庇護し、大に政府の弁護に努めた。又政党政治に対して、国民が漸く疑惑の眼を以って眺めるに至つた後も、『議会政治の検討』『現代憲政評論』等の著述に於て、政党政治は唯 天皇政治の下に於て、大権輔弼の任に当る内閣の組織につき、議会の多数を制する政党に重きを置くことを要望する趣旨に外ならず、而も近代的の民衆政治の思想は、能く我が国体と調和し得べきは勿論、実に我が憲法に於ても主義としてゐる所であると主張して、政党政治擁護の論議を為している。昭和九年七月時の斎藤内閣を崩壊せしめた所謂帝人事件を繞る人権蹂躙問題に関しても、美濃部博士は翌十年一月二十三日の貴族院本会議に於てその得意とする形式論法を以て、当局攻撃の矢を放ち、第一検事は違法に職権を濫用して被釈者逮捕監禁したることなきや、第二検事は被告人に対し不法の訊問を為し殊に被釈者に対し暴行陵虐を行ひたることなきやを詰問して院内自由主義分子の拍手喝采浴びた。併しながら斯る博士の態度は検察の実情を無視し、徒に財閥官僚政党政治家を擁護したるものとして、一部有識者を初め日本主義者の反感を買ふに至つたものの如くであつた。
 第一編に述べた如く美濃部学説が国体に関する国民的信念には背反する自由主義的民主主義である限り、国民的自覚が喚起された暁に於ては早晩再び非難排撃の的となるべきは必然の運命であつたとも見られるのであるが、博士自身が最近に於て所謂現状維持派の為に盛んに法律論を以て思想的擁護を試みたことは、自由主義思想撃攘の一大思想変革運動の序曲として血祭りに挙げられるに至つた一因と思はれる。

             第二節 愛国諸団体の運動状況

(一)愛国諸団体の排撃運動
 美濃部博士が帝国議会に於て「一身上の弁明」に籍口(シャコウ)して自己の唱導する天皇機関説を説明した事は天下の輿論を沸騰せしめ、之を契機として問題は急激に拡大し、皇国生命の核心に触れる重大事件として全国の日本主義国家主義諸団体は殆んど例外なく機関説排撃の叫びを挙げ、演説会の開催、排撃文書の作成配布、当局或は美濃部博士に対する決議文、自決勧告文の交付、要路者訪問等種々の方法に依り運動を展開した。誠に同年三、四月中に此の運動に立上がった団体を見る次の通りである。
東京 国体擁護聯合会、国民協会、大日本生産党、新日本国民同盟、愛国政治同盟、明倫会、政党解 
   消聯盟、昭和神聖会、恢弘会、皇道会、勤王聯盟、・・・(以下日本全国の愛国団体とその支部およそ150の団体名略)

 此等諸団体の裡で当初より最も活発に活動したものは国体擁護聯合会、国民協会、大日本生産党、新日本国民同盟、愛国政治連盟、明倫会、政党解消聯盟等であった。
 排撃運動の中心たる国体擁護聯合会は三月上旬には国務大臣の議会における答弁速記録を引用せる長文の声明竝にポスターを発行して全国各方面に送付して諸団体の蹶起を促し、三月九日青山会館に会員三百余名参会して本問題に関する聯合総会を開き、言論、文書、要路訪問、地方との連絡、国民大会開催等の運動方針を定めたる後、総理大臣以下内務、文部、陸軍、海軍各大臣に対し「順逆理非の道を明断すると共に、重責を省みて速かに処決する処あるべき」旨の決議を、一木枢相に対しては、「邪説を唱導したる大罪を省み恐懼直に処決する所あるべし」との決議を為し代表者は之を夫々各関係官庁に提出する等運動に拍車を加へた。
 赤松克麿を理事長とする国民協会は三月十日開催せる全国代表者会議に於て、美濃部思想糾弾に関する件を上程して「機関説思想を討滅すると共に之を支持する一切の自由主義的勢力及制度の打破に進むべきこと」を決議し翌十一日同趣旨の決議文を政府当局竝に美濃部博士に提出し、次いで同月十六日「美濃部思想絶滅要請運動に関する指令」を全国支部に発送し、各地において天皇機関説排撃演説会を開催して旺に輿論の喚起に努むると共に、要請書署名運動を起し、約二千五百名の署名を獲得し、代表者は首相を訪問して左記の如き要請書を提出した。
         要 請 書
 美濃部博士にの唱導する天皇機関説が我が国体の本義に背反する異端邪説なることは既に言議を用ゐずして明かなり。此説一度び貴族院の壇上に高唱せらるゝや、全国一斉に慷慨奮起してその非を鳴らし之に対する政府の善処を要望しつゝにあるに拘らず政府は徒らに之を糊塗遷延し以て事態を曖昧模稜(モリョウ)の裡に葬り去らんとしつゝあるは忠節の念を欠き輔弼の責を解せざるの甚だしきものと認む。政府は速かに斯の思想的禍害を剪除して国民の国体観念を不動に確立せんが爲め左の処置を講ぜんことを要請す。
 一、天皇機関説が国体と相容れざる異端の学説なることを政府に於て公式に声明すべし。
 一、軍部大臣として国体及統帥権擁護を明示せしむべし
 一、美濃部達吉をして貴族院議員竝ニ一切の公職を辞せしむべし
 一、美濃部博士其の他天皇機関説を主張する一切の著書の発行頒布を禁止するは勿論之を永久に絶 
   版せしむべし
 一、美濃部説を支持する一切の教授、官公吏等を即時罷免一掃すべし
                                 国 民 協 会

   内閣総理大臣
     岡 田 啓 介 閣 下

 内田良平を総裁とする大日本生産党は、早くも三月十一日美濃部博士に自決勧告書を手交すると共に岡田首相、松田文相に対しても、機関説の徹底的掃滅方の勧告書を提出し、更に各支部に指令を発して、排撃運動を慫慂し、他面本分内に憲法其他法律的時事問題研究機関「木曜会」を設置して機関説を中心として憲法学の批判検討を行ひ又同時に関西本部に於ても排撃文書を配布し、連日に亙り演説会を開催して輿論の喚起に努むる等東西呼応して熾烈な運動を展開した。
 新日本国民同盟(委員長下中弥三郎)は早くも三月三日東京府支部協議会第一回評議委員会に於て美濃部学説反対の決議を為し、同盟本部に於てもその後「本問題は究極に於て三千年来伝統せる我国民の国体観念に挑戦せるものたると同時に、忠孝一本を体系とし来れる国民精神を喘笑惑乱するの甚だしきものたるは明白にして我等は茲に斯の如き学説を以て許すべからざる不逞思想なりと断じ、美濃部博士に対して速かに其の良心よりする自決を促すと共に之を今日迄荏苒(ジンゼン)看過し、国論漸く沸騰するに至りても尚博士を庇護せんとする岡田内閣の曖昧なる態度を不臣の極として弾劾するなり」との態度を決定し闘争目標を(一)美濃部博士の著書の発禁(二)美濃部博士の公職辞職(三)岡田首相の引責辞職(四)一木枢府議長の引責辞職に置き早くも倒閣の旗幟を現はして強力な闘争を全国的に展開し、又「美濃部達吉博士の天皇機関説を排撃す」と題するパンフレットを発行して一般的な啓蒙運動に努めた。
 愛国政治同盟(総務委員長小西四郎)は「天皇機関説が国民的の問題となったことは昭和維新への一条件たる昭和の勤王論の国民的確立期の到来」を意味し、同博士の排撃は勿論近世日本七十年来国内に浸潤し毒害を流し来つた亡国的なる自由主義個人主義思想の根元を絶たしめ、国民の国体観念を白熱的に再認識せしめ、之が不動の確立を期せざるべからずと為し、三月二十日全国支部に「反国体憲法排撃に関する指令」を発して之亦全国的に運動を展開した。
 明倫会は大川周明の神武会に財政的援助を為した石原広一郎が陸軍大将田中国重と共に予備役将官級を中心に結成した有力団体であるが、美濃部学説が問題となるや、逸早く態度を決定して断乎たる処置を要望する決議を為し、之を関係各大臣其の他に送付し、次いで全国支部に対し、各地支部は所在の郷軍其の他と適宜聯繋し、国民指導の重任に邁進せよと指令し、或は美濃部博士に対し議員辞職要請書を、軍部大臣に対しては皇軍の嚮ふ所を誤らしむことなきを要望せる決議文を提出する等当局鞭撻と輿論の喚起に力を尽し、更に四月に入るや、田中総裁以下の幹部は関西、中国、九州地方に遊説して大に国民の奮起を促すところがあつた。
 松岡洋右を盟主とする政党解消聯盟は当初は自嘲的態度を持してゐたが、問題の拡大せるに鑑み、三月十九日緊急幹部会を開催して機関説撲滅に邁進する方針を決定し、決議文を作成して首相以下の閣僚及び一木枢府議長に手交すると共に、同日上野精養軒に開催された機関説撲滅同盟有志大会には松岡洋右出席して激励演説を為し、更に四月上旬松岡洋右著『天皇政治と道義日本』と題するパンフレットを各方面に配布し、其の後中央、地方を通じ専ら他団体と提携協力して果敢な運動を展開した。
 機関説問題は愛国団体が結束し協同闘争を展開するに好個の題目であつた。所謂日本主義国家主義陣営には指導理論を異にする多数の団体があり、而も従来より感情の齟齬、特別な人的関係等の為、陣営に統一なく、其の活動は個別分派的に傾いてゐたのであるが、階級闘争を主張する国家社会主義から進歩的革新的日本主義更に極端な復古的日本主義に至る迄その色調は何れも日本的であり、其の真髄を為すは国体の開顕、国体の原義闡明(センメイ)にあった。されば美濃部学説排撃に関しては、全く小異を捨てゝ大同に就き、国体の擁護、国体の原義闡明なる大目標に向つて戦線を統一して、猛然噴起することが出来た。三月八日結成された「機関説撲同盟」は機関説排撃の為一大国民運動を展開する意図の下に黒竜会の提唱に依り頭山満、葛生修吉、岩田愛之助、五百木良三、西田悦、橋本徹馬、宅野田夫、蓑田胸喜、江藤源九郎、大竹貫一、等東京愛国戦線の有力者四十余名の会同を得て、黒竜会本部に開催せられた。「美濃部博士憲法論対策有志懇談会」を恒常的組織としたものであつて、運動目標を(一)天皇機関説の発表を禁止すること (二)美濃部博士を自決せしむことに置き、而して運動方針として(一)貴衆両院の活動により政府に実行を促すこと (二)国民運動により直接政府に迫ること (三)有志大会を開き国民運動の第一着手とすること等を定め、次いで同月十九日には、上野精養軒に於て左記の如き有力人物六百名の出席の下に機関説撲滅有志大会を開催して大に気勢を挙げた。
 頭山満、入江種臣、松岡洋右、寺だ稲次郎、五百木良三、宮沢裕、・・・’(以下三十五名の名前略) 
 而して同大会は左記宣言決議を可決し委員を選出して、首相、内相、陸海両相等を訪問決議文を手交せしめた。
           宣 言 文
 上に万世一系の天皇を戴き万民その治を仰ぎて無窮なるは是れ我が国体の本義なり 天皇機関説は西洋の民主思想を以て我が神聖なる欽定憲法を曲解し国体の本義を撹乱するものにして兇逆不呈断じて許すべからず。
 斯の邪説を正さずして何の国民精神の振興ぞや。吾人は茲に国体の本義を明徴にして億兆一心誓つて此の兇逆なる邪説の撲滅を期す
           決   議
一、政府は天皇機関説の発表を即時禁止すべし
二、政府は、美濃部達吉及其一派を一切の公職より去らしめ自決を促すべし


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