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中韓を知りすぎた男さんのブログよりの転載です。

無知の知 12月16日(金):中韓を知りすぎた男 (fc2.com)

 

前回は江沢民の死をきっかけに中国人の事を深く掘り下げてみました。

日本人と欧米人の中国に対する認識度の違いは全く違うような気がします。
それは欧米人が中国に対して、一切の先入観や思い入れがないという点です。
日本人は中国および中国人に対して過剰な期待や幻想を抱いている上に
知識のない評論家や間違った教科書を作った出版社により捏造された知識を
植え付けられたために、中国に対する抜き難い「幻想」が居すわっています。

特に日本は戦前中国人に迷惑をかけた、謝罪をして当然であると思っている。
中国へ投資をすることになった某社長さんは「失敗してゼロになっても戦前の
お返しだと思えば後悔しない」と豪語していた。

そして中国人にひどい目にあって大損したら中国人の恨みばかり言っていた
社長さんを知っています。

日本人が中国のことを知っているつもりになっていることが最大の原因です。
中国や中国人のことを何も知らないという自覚を持たないかぎり、日本人は
永遠に中国を知ることは出来ない。

日本の教科書では、古代の朝廷は遣隋使・遣唐使を通じて日本が中国と
国交を持っていたと教えています。事実は日本は建国以来、20世紀に入る
まで中国と正式に国交を持ったこともないし、持とうと思ったこともない
と言えば、かならず「そんなバカな」と言われてしまいます。

遣隋使・遣唐使が大量に持ち帰った漢籍の知識が日本人を磨いてきたの
です。遣隋使は608年から始まった。そして菅原道真の助言により894年に
遣唐使が廃止されるまで、数十回の使節が派遣された。

この250年あまりの間に大陸では隋が滅び、唐が興った。一方の日本列島
においても「倭国」という名称を廃して、対外的に「日本」を名乗ることに決めた。
つまりこれは独立国家としての日本誕生であり、それと同時に、中国に対して
「絶縁」を宣言しました。

なぜかというと、海の向こうで隋を滅ぼした唐の出現である。唐は騎馬民族で
朝鮮半島の新羅、百済、高句麗を滅ぼし、ついに676年朝鮮半島全体を
支配下においた。

ここに至って「倭国」は自衛のため団結することに衆議一致した。つまり唐の
支配を受けるより独立を保って彼らに抵抗した。そのグループの名前が
「日本」です。

日本は最初から「中国の支配下に入らない」ということを国是にして誕生した
国家です。日本の朝廷は正式な国交関係を持たずに中国との経済活動を
保つという方針を選択した。こいうことを言うと、足利義満が明と貿易を
行っなたり、江戸幕府が朝鮮からの通信使受け入れているなど反論する人
がいます。

しかし義満も徳川家も日本の正式なる主催者ではなく、この人達は、あくま
で朝廷から任命された征夷大将軍にすぎない。日本の主権者は建国以来
ずっと天皇です。だから、足利義満や江戸幕府のやったことは単なる民間
貿易であって、正式な外交関係ではない。

日本が中国と初めて正式の外交関係を持ったのは1871の日清修好条約
からです。しかし、その時代の中国はそもそも満州族の「植民地」なのだから
中国本来の政権ではない、

そういう意味で正式の中国との外交は1912年の中華民国成立からです。
だから日中両国間の国交は20世紀まで一度もなかった。これが大まかな
日中間の歴史です。

 

お読みいただき有難うございます。

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