因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

演劇ユニット鵺的 第16回公演『デラシネ』

2023-03-08 | 舞台
*高木登作 寺十吾(tsumazuki no ishi)演出 公式サイトはこちら(安心して観劇するための注意事項記載)新宿シアタートップス 12日終了(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21α,22,23,24
 
 昨年は映画や演劇業界でハラスメントの告発が相次いだ。現場では然るべくガイドラインを作成し、対策を講じていることを表明している(鵺的のステートメントはこちら)。鵺的最新作は業界の大御所的存在の男性脚本家飛鳥井宏道(佐瀬弘幸)と、彼の作品に心酔して弟子入りし、脚本家デヴューを目指す女性たち、そして彼の妻と娘をめぐる物語である。何かを表現し、発表しようとする行為が危険を孕むこと、関わる人々を否応なく襲い、時には人生を台無しにするほどでありながら、そこから逃れられない磁力、望みを叶えるためには尊厳を差し出すほどの魔力を容赦なく描く。自分の書いた脚本をドラマにしてほしい、自分の名を世に出し、優れた者として承認されたいという自分自身の欲求を飛鳥井は誰よりも知っている。それゆえ弟子の女性たちの上に君臨し、世に出すことを餌に身も心も支配しようとする。そこに身をゆだねる者、頑として拒む者、新参の若手やテレビ局のプロデューサー、飛鳥井の愛人である女優が繰り広げる愛憎劇である。

 冒頭で飛鳥井の娘・忍(未浜杏梨)が語り、当日リーフレットの[作者の言葉]にあるように、登場人物や設定、ストーリーは「すべてフィクション」であり、特定の誰かがモデルになっているわけではなく、「似ているとしたら偶然」であることは救いである。飛鳥井のパワハラ、セクハラは言語道断の犯罪に等しく、たとえフィクションとは言え、俳優のメンタリティーを考えれば、ハラスメントを受ける女性たち役の俳優はもちろんのこと、言いたい放題の飛鳥井役の俳優にも相当のストレスがあるはずだ。それくらい極端な人々が登場し、耳を覆うばかりの罵詈雑言が繰り返され、とんでもない展開を見せる。なのに笑いの起こる場面もあり、ブラックな喜劇というのか、まさに鵺的な劇世界に圧倒される110分であった。

 前記の作者の言葉は、「けれど核にあるのは『真実』です。なにがどう真実なのかはご想像にお任せします」と結ばれており、これこそが『デラシネ』の魅力である。終演後から心身には鈍い痛みのような感覚が続いており、むしろ心地よいとすら思う。

 弟子たちのなかで断トツの実力を持ちながら、師匠のゴーストを強いられている酒匂早苗役のとみやまあゆみが観客の目を奪う。極限まで感情を排した前半から盟友と語り合う中盤の柔らかい表情や口振り、激情を溢れさせる終幕の絶叫など、ともすれば振り幅の大きさを示すための類型や凡庸になりかねないところも辛抱強く、あざとさが見えない。演技の構成には自分自身だけでなく、物語の流れや他の人物とのバランスも十分に考慮しなければならず、緻密な計算と試行錯誤があったと想像されるが、その手つきを見せないところが気持ちよく、酒匂に成功してほしい、飛鳥井を打ち負かしてくれと願いながら、もっと不幸になったら、この人はどんな表情をするのかという残酷な妄想まで抱かせる。実際、スキャンダルを暴かれて社会的生命が終わった飛鳥井との関係がどうなるのか、酒匂のこれからは全く想像できず、そこが面白いのである。

 激高して声を張り上げる演技がいささか戯画的な人物もあり、もう少し抑制した造形で、この人物の歪み様や裏設定を覗き見たい場面もあったが、女性たち一人ひとりにスピンオフ作品があり得ると思わせるほど、それぞれのキャラクターが際立つ。『デラシネ』の何がどう真実なのか、客席に投げかけられた課題は重いが、前記のように自分はそれを心地よいと受け止めており、その理由を探ることが鵺的の次なる舞台へ臨むエネルギーになっているのである。
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