因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演『カストリ・エレジー』

2023-05-27 | 舞台
*鐘下辰男作 シライケイタ演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 6月4日まで シライケイタ関連観劇記事(1,2,3,4
 スタインベックの小説『二十日鼠と人間』を基に、太平洋戦争後の日本社会を描いた本作は、鐘下辰男が主宰するTHE・ガジラが1994年初演、1998年には新国立劇場で再演された。自分はいずれも未見である。

 改めて鐘下辰男関連の観劇blog記事を追ってみると、もっとも間近で文学座公演『寒花』(2019年3月 西川信廣演出) 、グループる・ばる公演『高橋さんの作り方』演出(2010年5月 土屋理敬作)、『死の棘』構成・脚本・演出(2005年7月 島尾敏雄原作)に留まっている。話題作を次々に発表し、多くの演劇賞を受賞した90年代以降の観劇の記憶をたどってみると、演出のみも含めて『闇の枕絵師』、『寒花』(文学座アトリエ公演)、『女中たち』(ジャン・ジュネ作)、『貪りと瞋りと愚かさと』、『レプリカ』、『華々しき一族』(森本薫作)、『藪の中』と出るわ出るわ。いずれも当blog開設前で、わずかに残る感想メモを読み返すと、演劇界を席巻した鐘下作品に対する戸惑いや違和感が少なくない。かろうじて2000年上演の『レプリカ』については因幡屋通信7号に「カーテンコールの効用」のタイトルで劇評を掲載しているが、20年以上も前のこと!このたびの劇団民藝『カストリ・エレジー』が、自分の演劇歴にどのような変化をもたらすのか。

 「民藝の仲間」第749号掲載の今回出演の齊藤尊史(ケン)、阪本篤(客演/温泉ドラゴン ゴロー)、飯野遠(黒木の女房)の鼎談、演劇評論家の西堂行人の公演パンフレット寄稿に記されているように、鐘下戯曲のト書きは文学的でロマンチックであり、かつ精妙で具体的である。舞台美術や照明、音響、小道具などの指示指定を越えて、劇世界の空気感、息づかいがこちらに迫って来るようである。

 そのト書きに応え、舞台美術は細部まで精巧に作り込まれ、照明や音響は繊細で微妙。演出部はもちろん、演技部からも助手として多くが関わっていることから、戯曲に対する誠実な取り組みの姿勢が伝わる。

 ただ演出面には違和感を覚えるところがあった。たとえば性的な内容、性的なからかいのニュアンスの台詞を発語するとき、人物は必ずといってよいほどト書きに記されていない下卑た仕草をしたり、ケンと黒木の女房のある場面において、非常に濃厚な演出が施されていることなどである。後者については、もしかすると戦場での過酷な経験の記憶によるものかもしれないが。

 吉岡扶敏演じる「シベリア」が興味深い。原作の『二十日鼠と人間』ではスリムという人物に当たるのだろう。橋の下で暮らす男たちのリーダー的存在で、仲間からの信頼も厚く、安定感のある人物である。黒木の女房がシベリアに執心するのは、彼の男ぶりもさることながら、シベリア抑留中に妻が他の男の下に去ったことによる心の傷、彼が身に纏う影や何となし感じられる隙間のためではないだろうか。基本的に穏やかであるが、横暴な雇い主黒木(本廣真吾)に向かって「関東軍仕込みのヤキ入れをとっくりと味あわせてやる」と凄んだり、黒木の女房を力づくで拒んだりなど、闇の深い人物でもある。

 戯曲には短い「エピローグ」があるのだが、「このエピローグに関しましては、あくまで戯曲上のエピローグであり、実際は上演されません」と書き添えられている。悲しい結末のその後の情景であり、非常に短いものだ。リアルな景なのか、あるいは幻想であるのかもしれない。実際に上演されると、結末が痛ましいだけに甘くなりがちであろうし、最終的にどう幕を下ろすのかが難しいと想像される。しかし劇作家は戯曲にこのエピローグを記したのだ。

 緊張の糸がぷつんと切れたように音も光も消える舞台の終りに、心の中で戯曲のエピローグを思い描いてみると、自分だけの大切な『カストリ・エレジー』が誕生する。そんな心持になるのである。
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