因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

日本のラジオ 『ココノイエノシュジンハビョウキデス』

2023-06-03 | 舞台
*こまばアゴラ劇場主催プログラム 屋代秀樹作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 4日終了(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17)  
 2015年秋、東中野・RAFTの初演は今でも心に残る(因幡屋通信52号)。今回は鶏組と犬組のダブルキャスト。後者を観劇した。
 
 どこかの町の古本屋の暗がりで息をひそめているかのような東中野・RAFTでの初演から8年、今回のこまばアゴラ劇場は舞台と客席が分離されているが、上手の店の入り口、下手の店主夫妻の部屋へつながるドアの向こうの様子をさまざまに想像させる。閉塞感はもちろんあるのだが、別の場所の情景や、人々がこれまで生きてきた時間へと劇世界が広がり、深まってゆく感覚を得たのである。

 このたびの再演は鶏組、犬組のダブルキャストである。4人の登場人物のうち、ふたりが女性から男性に変わったところが特色だ。鶏組は川上献心(夫。古書店の店主)、宝保里実(その妻)、沈ゆうこ(客)、田久保柚香(夫の妹)の配役で、男女の組み合わせは初演と同じである。犬組は宮崎雄真(アマヤドリ)、日野あかり夫婦の店に、澤原剛生が客として現れ、時折訪れるのは神山慎太郎(ガガ/くらやみダンス)演じる(夫の)弟になる。おそらく物語の設定や流れは両座組で変わることはなく、男性の客、弟ともに自分のことを「ぼく」や「おれ」ではなく「わたし」と発語するなど、ことさら性の違いを強調する造形ではない。

 作り手の目論見はどこにあるのだろう?

 パン屋で働いているという客は、初めて訪れた古書店に対する緊張や驚きもあるのだろうが、店主の問いかけに構わず一方的に話し続けるなど少し変わったところがある。犬組の澤原は店に入ったときから明らかに奇妙な足取りや表情で、客席にある種の情報を与える。それは二度めの来店の際、夫が留守をしており、目の悪い妻がやむなく対応したときの口調にも強く表れている。病的と言っても良い。初演の田中渚は話しぶりや動作は普通だが、話を聞くうちに次第に彼女の奇妙な気質が伝わる造形であったため、今回の澤原の強烈な演技には少々困惑した。

 女同士の気安さから妻と女性客が仲良くなることは想像でき、夫に「わたし、お友達ができました」と嬉しそうに報告する妻の喜びや、それをあまり快く思わない夫の気持ちも理解できる。しかし深掘りすると、女性客と夫が秘密を持つ可能性がある。それが男性客の場合、妻と彼が親しさの方向性がずれると、可愛らしく「お友達」とは言えなくなるかもしれない。澤原演じる客の様子から色事は想像しづらいが、それゆえにいっそう夫の不安や不快感を掻き立てるとも言えよう。

 妻が義妹とおしゃべりする場面は、義理の姉妹という距離感と「女同士」の親しさ、相手への疑いやためらいが入り混じった複雑な空気がある。妻と義弟になると「女同士だもんね」というところは封印せざるを得ないが、それとは別の、何らかの危険な展開になる可能性もある。

 わたしは先ほどから「可能性」という言葉を何度も使っている。ダブルキャストは人物の組み合わせによって、関係性や人物の心象の変容の可能性を想像する楽しみを与えているのではないだろうか。

 ダブルキャストにすることで、作り手が何を目論んだのかはよくわからず、むしろそこが日本のラジオらしいと自分は思う。台本の内容は、おそらく初演からほとんど変わっていないと思われるが、8年前とは違う場所へいざなわれる70分であった。劇作家は原因と結果を明確に示さない。観客はそれを不十分とはせず、余白と余韻を大切に帰路に着くことができるのである。
鶏組のチラシはこちら
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