元来柔和な性格であり、他人様にも丁寧な人間であると、自分では思っています。

 

この事件でも極力穏便に物を進めたいと、自分なりに歯を食い縛ってやって来た積りです。

 

しかし、、

 

それでは余りにも弊害が大きく、今回は相当程度に突っ込んだ内容、私の真意と言ったものを書かせて頂きます。

 

 

それでも、一つ一つ内容を吟味・配慮しなければならないことは、依然確かなことであり、

この為、以下の内容は「事実の羅列」と言ったものになりますので、その上で読み理解し「解釈」をして頂ければ幸いです。

 

 

 

 

今年に入り、次々と衝撃的なことが起こりました。

 

 

特に大変衝撃的だったことは、本年六月八日に起こったある報道です。

 

仙台上空で起こったある怪異な出来事に関する地元テレビ局(並びに系列の東京キー局)の報道です。

 

 

その報道における自称専門家への様々な点での奇異なものを私は否定できませんでした。

そして、その内容が余りにも無茶な内容で、決して科学的論理的なものでないことにも、かなり驚きました。

 

 

この出来事を起こして下さったかも知れない有力な組織が、何時か事件を解決して下さるであろう、、と言う希望・期待が打ち砕かれ、
またそれらの方々に対する強烈な恩義の想いから、絶対に絶対に行動は起こすまいと己に誓っていたものが、雲散霧消した時でもありました。

 

 

── この日から、私に取り、この事件は全くの別物になりました。

 

 

 

 

更に非常に驚いた事が起こりました。

 

財閥関連と思しき人間と常にやり取りをしているのですが、この人間が繰り返し、「新司令は生きている」と言い出したのです。

 

これは昨年までは決してないことではありました。

 

 

 

母のああ言う最後は、人によっては、もしかしたならば錯乱・狂気に陥る程のことなのかも知れません。

 

私が正気を保ち、場合によっては笑顔ですらいられるのは、偏に「親の仇は取って頂いたのだ。」と言う事実であり、年中自分自身に言い聞かせて来たことでもあります。

 

しかし、、私も色々と考え、今では確かに新司令は生きている、と思うに至りました。

 

 

 

 

 

時間は大分遡りますが、、当時私は大変に驚きました。

 

母が亡くなってから翌年の六月まで様々な方法で、私は恫喝・侮辱を受け続けたのですが、

 

『この強固極まりなく見えるものの中でも、自分が行動を起こすと成果が上がるからこそ、こうして恫喝・侮辱を受けるのだな。』

 

と言う想いでした。

 

 

思考盗聴に引っかからない思考法を私は身に付けているのですが、それで繰り返し考えたものではありました。

 

 

 

私が立ち上がる時、、それは一般に思われている様に「自分が安全だ」と考えてやることでは、決して決して決してありません。

 

自分が安全だ、と考えられる時はそれらの強力な力で何時か事件が解決するかも知れないと、希望を持って忍耐を続ける「だけ」のことなのです。

 

 

様々なやり方により、一秒一秒私は「緊張」し苦しみ続けています。
金銭面でも何らの助力も絶対に無く、、このままでは「破滅」しか私の将来には待ち受けては居りません。

 

 

『どうせ苦しみ抜いた果てに滅びるのなら、彼らに一矢報いてから滅びようではないか?』

 

── これが私の真意なのです。