ここまで以下二点を私なりに懸命に訴え続けて来た。
「通路の出入りを私が検知できることはない。」
「通路の出入りへの攻撃能力は全く保有をしていない。」
事件の全ての記録、、私の視線動画並びに私周辺の音声記録を参照すれば、上記二点の真実性は簡単に証明できるはずである。
(もっとも私の「超能力」の一件、並びに私個人が必死に分析を行って得た事実群、、この二点に関しては未だきちんと弁明を行ってはいない。)
残念ながら訴えを聞いては貰えず、(財閥の御嬢さんが愛し合って結婚をした歯科医の旧宅の床に設置された)天井からの電磁波攻撃は、未だ全く止むことはない。
「多数の」電磁波装置が拙宅天井上に設置を続けられているのである。
この事件は超科学だなんだと、「信じ難い」世界をその背景に持っているものである。
だから、上記のことも百歩譲って致し方が無いことなのかも知れない。
だが、どうしても受け止めることが出来ないことが以下二点ある。
自分が苦しいから菅原親子も苦しめてやる、「拷問」をしてやる、、果ては殺してやる。
── これが俺達の交渉方法なのだ。
この新司令倶楽部の考え方が第一点。
もう一点としては、
「仲間が何時帰って来るか解らないから、ずっと菅原を苦しめて、仲間を守るのだ。」
この新司令倶楽部のやり方が第二点である。
午前四時半辺り頃に仙台駅近くに深夜バスが帰り着く姿を、何度も私は目撃をしている。
これで仲間が帰宅する、と言う論法なのであろう、、早くも『午前四時頃』から「酷い苦しみ」は始まるのである。
ここから翌日午前三時過ぎ頃まで、『一日の殆ど全てで』苦しみが続くのである。
今年の六月も随分と暑さ攻撃をやられた。
窓から入ってくる冷たい外気、扇風機からの風は寒く、、それでいて(体内に食い入って来る)暑さ攻撃は暑い。
自律神経が乱れるのであろう、、六月は毎日体が酷くだるくて仕方が無く、まるで体が鉛の様であった。
ふとした時に突然、苦しみ抜いて死んで行った母の姿が鮮明に浮かんで来る。
一日に何度も何度もその姿が目の前に現れる。
その都度に、極限の苦しみが私を襲う。
──母が亡くなって二年近くになるが、、その苦しみが減ることは些かもない。
(俳優のエナリカズキに似ている)階下の男のお母さんが幸せに毎日を送っていることが、皮肉ではなく羨ましくて仕方が無い。
私がトイレに立つと、強めの暑さ攻撃を受けることが、少なからずある季節となった。
トイレで苦しい暑さに襲われていると、、嫌でも必ず思い出されるのだ。
二年前の八月、気温三十五度の中、、
やせ細り切った母が(自室に戻る元気も最早なく)、「猛烈な」暑さ攻撃の中うなだれて便器の上に半時間も座り続けている姿が、思い出されるのだ。
快適な冷房の中、弁当も毎日来、管理費なども全て面倒を見て貰え、大切なお母さんとの未来も有るエナリ君が、羨ましくて羨ましくて仕方がない。
≪追記≫
たまに程度ですが、今後このブログ記事に対し「私自身が」コメントを送って行きたいと思います。
そのコメントをもって記事への「追加・修正」と致したいと思います。
興味を持たれる方は御覧になって下さい。