短編小説「タクシードライバー・ジョッキーの竜」第6話『ジョッキーの竜は、まだ青い!』音川伊奈利

 タクシー運転手が仕事の合間に一服する飲食店というのは、うまい安いは当然としてももう一つ、過酷で孤独な労働を癒してくれるような店が絶対条件になっている。若いだの美人だののと贅沢は言わない。「いらっしゃい!」と明るい笑顔で迎えてくれる店員のいる店が何より好まれる。この京都市内にもそんな店が何軒もあり、そこは運転手仲間の憩いの場でもありお互いの情報の場でもあった。
 百万遍の喫茶店「らんらん」もそんな一つだ。ここの女主人(大ママ)は、店名と同じ「蘭」という。この大ママの娘で実質的に店を取り仕切っているのは「愛」という小ママがいる。店では「愛ママ」と呼ばれているが、見た目には三十代後半に見えるが本当の年齢は43歳になっていた。

 この蘭ママも愛ママも男運が悪くてそれぞれ二十歳そこそこで結婚をしているが、娘を一人産んでは離婚していた。愛ママの一人娘は「静香」というがまだ21歳で京都大学法学部の学生だった。「らんらん」から大学へは百万遍交差点の信号を一つ渡るだけの近さにあり昼時にはなにかと店を手伝っていた。
 この自称3姉妹のいる店のランチタイムには京大の学生やら常連のタクシードライバーでごったかえしていた。店のカウンターでは静香がコーヒーを煎れているためか静香目当ての学生に占領されている。タクシー運転手は4人掛けのテーブルにそれぞれ相席で色白で京美人の愛ママが運んでくれる日替わりランチを待っていた。
 ジョッキーにすれば、愛ママより若い静香に感心があって当然でカウンターに座るとするがその度に静香から、
「竜さん、ここはドライバー席でないの、ほら!シッ!皆が竜さんの競馬の予想を待っているから」といつも追い払われていた。竜が元JRAのジョッキーだったことは運転手の誰もが知っているから競馬の予想紙をテーブルいっぱいに広げて竜の予想を待っている。
 ジョッキーは馬券を一度も買ったことがない、そればかりか他のギャンブルにも一切手を出さないが、いやそれだからこそ竜の予想の的中の確立は高かった。竜は静香に追っ払われてやむなくドライバー席?座ると真っ先に声をかけてくる洛北タクシーの和田一馬がポケッ~とした顔でコーヒーを飲んでいた。竜は、
「一馬ちゃん、何をしているんや~腹でも痛いのか?」
「あぁ~ジョッキーか…」と目も合わしてこない、とこれを見た一馬と同僚の川田が、
「ジョッキー、こいつ…女に恋をしているんや~ケケケ」
「ん?一馬さん?ほんまに~キャハハハハ」
「そ、それも、20歳も年下の若い子持ちに女に…ハッハッハッ」

 和田一馬は50歳で10年ほど前に離婚をしていた。その時に家族と住んでいた古い民家の借家に今でも一人で住んでいた。その一馬の話しによると一週間ほど前にJR京都駅八条口から一目でヤクザとわかる男と30歳前後の色白の美人とその娘の3人を乗せた。行き先はまず五条壬生川下がるのマンションに寄ってその親子のトランクを部屋に入れた。それからタクシーに戻ってそのヤクザはその女に、
「いいか!このマンションを4時20分に出て、ここでこうしてタクシーを拾って乗れ!そして運転手に「団栗橋(ドングリ)東入る」と言え」といってから俺にも団栗橋東入るにいけといってきた。で、そこまで行くと俺にヤクザはまた待っとけというので待っているとその3人は民間の夜間託児所に入っていった。そしてでてくるとヤクザはその女に、
「いいか!明日からはここで娘をここに預けてここから店まで歩いてこい!ここからは歩いて5分だ!」
 一馬のタクシーは縄手通りを北上して祇園歓楽街の北側の端のテナントビルの前でストップを命じられまた待っとけという。その3人が入ったのはピンクサロン「お色気姉妹」だった。やがて10分ほどででてきたがヤクザは俺にタクシーチケットを渡してさっきの壬生川のマンションまでこの親子を送っていけと命令してきた。
 娘はまだ2歳前後で可愛いかった。いやそれよりもその母親は透き通るような白い肌で小顔の美人だった…それで俺はおもわず声をかけてしまった。
「お客さん、もしかしてあの店に勤めるのですか?」
「はい、色々事情があって…」
「でもあの店のサービスは京都では超過激な店で俺たち客には嬉しい限りだが…その…お客さんには…」
「はい、さっきの方にだいたい聞いています…でもこの娘を育てるには…」
「し、しかし、よく事情はわかりませんが、母子家庭としての市の援助もあるし…」
「はい、それも考えましたが…それをするには京都市に住民票を移さなければなりません。そうすれば色々な人達が押しかけてきます」
「借金ですが…」
「はい、夫が商売に失敗してアチコチで借りて…その借金のほとんどに私が連帯保証人になっています。私の両親は早く他界して兄弟もいません…」
「それで、その夫は?」
「はい、夫は店のパートの人妻と逃避行して連絡は取れません」
「し、しかし、そうであってもあの店は…ほらさっきもらったタクシーチケットにも「荒川興行」のゴム印が押してあるでしょう。ここは関西の広域暴力団の傘下のヤクザで主な資金源は売春です」
「でも、売春はしなくてもいいといっていました。それに…」
「それに…」
「当面の生活費として10万円、それにあのマンションの保証金や家賃、京都までの旅費ももう立て替えていただいていますから…」
「あそこの店は完全歩合制だから指名がつかなければ一円にもならない。その前借というのは絶対に返せずさらに増える仕組みになっています。それに奥さんは夫以外の人と~その~~あの~」
「いえ、私は…そんな…夫がはじめてでした」
「奥さん、あそこの店は触り放題指入れ放題、花びら三回転、素股に生尺ゴックンをウリにしています。汚いおっさんのナニをナニしてナニをできますか?」
「………」
「奥さん…」
「でも、いまさら…」
 一馬のタクシーはもうとっくにマンションの前に着いていた。そろそろホステスの出勤時間か次々と厚化粧の女がタクシーを拾っていた。一馬は、
「奥さん、東京の借金取りから逃げてきた根性があるのでしたら、どうですここも逃げませんか?」
「に、逃げるって?」
「そう丁度、俺は独身で部屋も三部屋ある。俺はタクシーでほとんど家にはいないからとりあえずは俺の家にこないか?」

 一馬はここまで一気に話しをしていたが、この「らんらん」のBGMは消されてジョッキーの座っているテーブルの周りには7~8名の運転手が集まって真剣に聞いている。ジョッキーの真後ろには「静香」がどこからか移動させた椅子に座り、欄ママも愛ママも腕組みをして次の展開を待っていたが、ついにこの店の探偵好きのジャジャ馬娘の静香が口を挟んできた。
「か、一馬さん、そ、それでどうなったの?その綺麗な奥さんって30歳なの~いやだ~20歳も年下?私と竜さんでも15歳も違うからおっさんなのに~で…?」
 一馬は誰にいうでなしにその静香の質問に答えていた。
「それから俺は半分強制的にその奥さんからマンションのキーを取り上げてさっきのトランクをタクシーに乗せて俺の家まで運んだ、もちろんこの親子も…ところが今日会社に出勤すると同時に岩田という男から電話があった。その岩田は俺があの親子を乗せて走ったいったと断言した上で、今晩話がしたいといってきた」
 ジョッキーが、
「おいおい!その岩田っていうのはあの荒川興行の若頭の岩田のことだ!それで一馬さんはどういったのだ!」
「もちろん知らないといったが…あのマンションの前で約10分ほど「ひとみ」さんと、いやひとみさんというのだその奥さん…キャハハハ」
「こら、こら!テレるな一馬さん」と静香がジョッキーのマスコットのステッキ(鞭)を取り上げてテーブルをバンバン!たたいて話の続きを催促していた。一馬はテレながらも真剣な眼差しで、
「岩田は、ひとみさんにもう100万円もの前借を渡しているから、それを返すかひとみさんを差し出せといっている。それでその話しを今夜したいといっている」
「か、か、か、…一馬さん、いいよまかして~なにせこっちにはジョッキーの竜がついているからこのステッキでヤクザをやっつけてひとみさんを解放しょう!「エィエィオー!」と静香は一人で興奮していた。

 午前4時、岩倉にある洛北タクシーの車庫の前には黒のベンツが、そしてその後ろ10メーターの場所に赤のミニクーパーが停車している。このミニクーパーは自称私立女探偵の静香のもので助手席には愛ママが…。一馬のタクシーとジョッキーのタクシーが車庫に入っていった。そして4時20分にはジョッキーのタクシーに乗って一馬が車庫から出てくるとベンツの4人がバラバラと降りてきてジョッキーのタクシーに止まれと両手を広げているがジョッキーはそれを無視して急発進するとさすがヤクザも退いていた。もちろんベンツはジョッキーのタクシーを静香のミニクーパーはベンツを追跡していた。
 ジョッキーは岩倉の実相院の駐車場にタクシーを停めると一馬と二人でベンツに歩いて近づいていった。静香のミニクーパーがヘッドライトを上目にして照らしている…愛ママは「キャー東映のヤクザ映画と一緒やん!」と奇妙な興奮をしていた。
 そのベンツの岩田が車の中で葉巻を吸いながら、
「こら!お前らいい度胸をしている!どっちがどっちや?」
「俺が和田一馬で、こっちがジョッキーの竜や!」
「お前が和田か!で、どうするのや、100万かひとみを差し出すのか?」
「ひとみさんは、たしかに10万円と新幹線代を借りたといっている。それにあのマンションは荒川興行の社宅になっているしそれに一日も住んでいない。ここに12万円あるからこれで解決をしてほしい」
「ほう~なんか二人ともタクシーの運転手にしくとのはもったないが、こっちも男を売る商売をしている、タクシー運転手風情になめられたらメンツが立たんのや!」
 そこでジョッキーが、
「そやねん、こっちもそっちのメンツを考えて会社の前では恥をかかさんとこと思ってわざわざここまで連れてきたんや!感謝されるのはこっちや!…岩田はん、12万円で解決したほうが…」
 この時「なにを~!」と叫びながらチンピラ風の若い男がジョッキーになぐりかかってきたが、ジョッキーはスーツの背中に潜ましていたマスコットのステッキを「ピュー!」と打ち下ろすと、チンピラの右耳が真っ直ぐ3メートルほど上に上がって一瞬停止した後、蝶々の片側の羽のごとくヒラヒラとゆっくりベンツのウインドーガラスに落ちてきた。チンピラはそれが自分の耳だとわかるのに数秒もかかり手で右耳を触ってから何も言わずに気絶していた。このステッキは競馬の勝負鞭というが人間の何倍もの体を持つ馬でさえ、それを目の前にかざすだけでも恐れを成して狂ったように走る出すという代物なのだ。これを人間に使えばたとえ軽い一振りでも、転げ回り背中には一生もののみみず腫れがくっきりとできるほどの強力武器になっていた。

 それを見ていたベンツの中の3人も飛び出してくるのかと思えば岩田は悠然と葉巻を吹かしながら、
「お前か!ジョッキーの竜というのは、どっかで聞いたことがあるとこいつに調べさせたら…ノートパソコンで返事があったは!」
「岩田はんといったな!それで?」
「あんたK市でも派手に暴れまくって同じ傘下の「山梨組」の組員20名のうち13名の耳をそのステッキでそぎ落としてK市では山梨組のことを「耳なし組」と笑われて解散したとある」
「俺はどこでもかしこでもこのステッキを振り下ろしてはいない、弱い人間をいじめるからだ!」
「ジョッキーの竜、そらあんさん~まだ青いは!あの女そう「ひとみ」だ!あの女をなにもこっちから北朝鮮のように拉致をしていない、あの女の方からこの条件で働きたいと電話してきたのだ!女の武器を最大限活かして第二の人生の成功を求めたのだ!それをお前らの安物の同情で…」
「何をいっている、お前らは女を食い物にしている!」
「ジョッキーの竜、今日のところはお前の顔を立ててやる、その12万円もひとみもお前らにくれてやるからもううちの組に近づくな!」

 こうしてヤクザから無事に「ひとみ」を救出したジョッキーと一馬は「らんらん」でもタクシー会社でも時の人となっていた。そこで運転手らの興味は一馬とひとみの同居の話しに集中していた。
「一馬さん、そ、それで夜の生活は…ケケケ…いいやろ~30歳の新妻は…キャハハハ」と同じ質問を仲間から浴びせられていた。それに気をよくした一馬もランチタイムには、ひとみ親子をタクシーに乗せてやってきては仲間に披露していた。
 あれから一ヶ月がたって一馬が「らんらん」に現れたがなぜか元気がないので静香とジョッキーが顔を合わして一馬を質問攻めにしていた。静香が、
「さすが、20歳も年下だと色々…あるの?」
「いや~そうじゃない…」
「どないしたん?~白状しなさい~この静香さまに~一馬さん」
「じ、実は…ひとみ親子は荒川興行のマンションに帰った!」
「えっ!えええ~~~!」
 
 一馬はこの新しい生活のために毎日4~5時間の残業をこなし休日も月に2回しかとらないで働いてはいたが、なにせこの不況では思い通りには売り上げが上がらない、それでもやっとこさ手取り20万円の給料をひとみに手渡していた。その20万円から俺の昼食代と煙草代、それに晩酌の発泡酒一本代として4万円を差し引いてた残り16万円で家賃と光熱費、それに食費にしてほしいというと、ひとみは、
「一馬さん、私の人生はこれで終わりです。後は娘の「まゆみ」に命をかけています。まゆみには一流の幼稚園に入ってもらい「ピアノ」「ダンス」「英語」も習わしたいのです。でもこの16万円では何もできません…」
「し、しかし、まゆみを保育所に入れてひとみさんも働けばなんとかなる!」
「いやです、そんな食べてチョンの生活なんて私には…」
「では、どうしたら…月々いくらぐらいいるのだ!」
「そう、少なくても30万円なければやってはいけません…ですから私は覚悟してあの店にと…あの店では月々40万円が保障されています」
「それは売春をしてのことだ!売春をしたお金でまゆみちゃんを育ててもまゆみは喜ばない!」
「ですから、まゆみが何もわからないうちにお金を貯めたかったのです…これでは生殺しです、もう一ヶ月も損しました…」
 その話が終わらないうちにひとみはあの店に電話をした。そして30分もしない間にあの岩田のベンツがきた。そしてその岩田が俺を見て笑っていた!チクショー!
「おいおい、一馬さん、それでひとみさんはそのベンツに乗っていったのか?」
 一馬は黙っていたが、その通りだと推察がてきる。今この話を周りで聞いているのはそもそもこの話を起こした最初のメンバーとまったく同じで静香などは涙ぐみながら、
「一馬さん、この一ヶ月一つの家であんなに綺麗な奥さんの手料理、そして甘い~生活を考えれば得したと思わなくっちゃ!」というとジョッキーも、
「そや!何回したかは聞きとうはないけろ~キャハハハハ」
 一馬が、
「ジョッキー、静香、それに皆も聞いてくれ!俺も男だからひとみさんを何回も誘惑をした。ところがひとみさんは、娘と同じ屋根の下ではそんなふしだらなことはしたくないと拒み続けていたから俺は~俺は…ひとみさんとはキスどころか手も握ってはいない」
 この話しを聞いて一瞬静まりかえったが誰かが小さな声で「バンザイ!」というと同時に全員が吹きだしていた。一馬もテレ隠しに笑っていたが、ジョッキーの脳裏にはあの岩田の言葉が浮かんでいた。
「ジョッキーの竜さんとやら、そら~あんさんはまだ青い!」だった。
                                   (おわり)
この小説の1〜5話は紙の本になります。⇩この小説は東映シネマにノミネートされたことがあります。