幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「女たちの武装解除」小島慶子著 ”諦めることで得られること”

2020-09-22 00:28:22 | 本の紹介
・母には「綺麗な花にしか、いい蝶は寄ってこないのよ」という玉の輿志向を伝授されました。娘を思ってのことだったのでしょう。財産はないけど、一部上場企業のサラリーマンだった父が捻出してくれた高い学費で、中学から伝統一貫校にも通わせてもらいました。

・本当に「幸せの形」から自由になるのには、まだまだ時間がかかりました。今だって道半ばかもしれません。でも、15歳の私にも、23歳の私にも言ってあげられるのは、「他愛ないことで世界は美しいって思えるよ。とるに足りないことで、生きていて良かったって思えることがあるんだよ。それで十分、仕合せになれるんだから、そんなに苦しまないで」ということです。(この時40歳)

・ずっと前から、負けないように生きてきた。これからは、絵にならなくてもいい、人と違っていてもいいから、目の前の人と他愛ない日常を分かち合えるように。

・津波の前、岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、高台に避難するための非難道路を作った市議がいました。市議は3年以上前から繰り返し「津波が来たらすぐに高台に逃げられるように、校舎の2階とすぐ横の崖に出る道路をつなぐ橋をかけてほしい」と訴え、非常用通度ができたのは昨年(2010年)の12月でした。今回の大津波でその通路を伝って逃げた71人の児童は全員助かりました。繰り返し津波被害に遭ってきた地域とはいえ、400万円もの予算をかけて万が一のための通路を作るには、粘り強い説得が必要だったでしょう。用心深さは勇気です。

・私は次男を産んだあとに「不安障害」という病気になりました。
次男を産んだ病院には、育児カウンセリングの先生がいました。意外なことが分かったのです。
私が子どもに向けていた怒りは、ずっと抑圧してきた、家族への怒りでした。娘と自分を同一視する母への怒り、家族と向き合おうとしない父への怒り、妹をストレスのはけ口にする姉への怒り。その怒りを自分のわがままだと思って強い罪悪感を抱き、自分に向けてきた怒り。その全てが、思うように愛情を受け取ってくれない子どもを目の前にして、爆発したのです。
でもその気づきは、パンドラの箱を開けてしまいました。抑えていた感情が溢れだして、次男が臨月のころ、母に「私はあなたの作品じゃない、人間なのよ」と摑みかかったことも。それでも母には悪気がないのですから、私の怒りは伝われず、孤独は深まるばかりです。
そして次男出産後に、体調の変化と仕事復帰に向けた緊張も相まって、不安障害を発症してしまいました。過呼吸と動悸、焦燥感が襲うパニック発作と、消えることのない不安感。明日が来るのが怖くて、何度か窓際に立ったこともありました。私にこんなことが起こるなんて!
でもそれから根気強くカウンセリングを続け、心療内科の医師に処方された薬を飲むうちに半年ほどで症状はおさまりました。そして、私は一度、家族を諦めたのです。家族だから愛し合わなくちゃいけない、理解し合えているはずだという思い込は、全員を不自由にすることがある。だから私は、家族を諦めよう。私の家族はみなそれぞれに、家庭に夢を持っていた。だけど、欲しがりやさんの集まりだったみたい、だから結局、奪い合ってしまったんだなと。

・私たちはいろんな欲望に悩み、ジタバタ努力して、撫様に挫折します。そんな経験を重ねて、物事が思い通りにならないことを受け入れてからでないと、思いが通じる時のしみじみとした喜びと周囲への感謝は味わえないのかもしれませんね。自分だけがこんなひどい苦労をしていると僻むより、周りの人もそれぞれに辛いことがあるだろうなと思う方が思いやりが持てる気がします。私たち、みんな平気な顔しているけど、ほんとはちょっとずつかっこ悪いよね。うまくいかないのは私もあなたも同じかも、って。

感想
小島慶子さん、カミングアウトされ、今はいろいろと活動されています。
きっと周りにいろいろ気を使うよりもご自分を大切にされているのでしょう。
ご家族をオーストラリアに残し、日本で働くために、家族と離れ頑張られています。
家族のためとの思いが頑張るエネルギーになっているのでしょう。

「女の七つの大罪」林真理子&小島慶子対談 ”嫉妬、強欲、色欲、憤怒、傲慢、暴食、怠惰”

最新の画像もっと見る

コメントを投稿