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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

親鸞聖人の三重廃立とは何か

2021年11月27日 | 仏教・親鸞聖人

 親鸞聖人の三重廃立とは何か

三重廃立というのは、3段階の廃立ということです。廃立というのは間違いを廃して正しい教えを立てるということで、間違いを正すことです。

なので三重廃立というのは、3段階で正しい道に入れるように導いてくれるものです。詳しく言うと、こうなります。

(1)内外廃立 (ないげはいりゅう)

(2)聖浄廃立 (しょうじょうはいりゅう)


(3)真仮廃立 (しんけはいりゅう)

それでは1つ1つ、詳しく解説していきます。

1.内外廃立とは

内外廃立(ないげはいりゅう)というのは、"外道(げどう)を捨てて内道に入れ"というものです。

外道というのは因果の道理に反した考えのことで、内道というのは因果の道理のことです。なので内外廃立というのは、

因果の道理に反した宗教や迷信から離れて、因果の道理を信じるべきだ。

ということになるでしょう。因果の道理に反したものには占いや神社、有無の見などがあります。

占いは無関係なものにその人の運命を結びつけて、未来を知ろうとするものです。例え占いが当たっていたとしても、因果の道理を踏みにじっていることは間違いありません。

占い師は数々の人々の人生を狂わせ、間違った方向へ向かわせるものです。なので占いをしないことはもちろん、占いを受けないようにも注意しましょう。

占いは危険ですが、神社も同じようなものです。自分でそれ相応の行いをせずに結果を求めているわけですから、因果の道理に反しています。

神社に本気で依存している人はいないと思いますが、パワースポット巡りで躍起になる人はいます。そうやってどんどんスピリチュアルにハマっていき、自分の行いを変えようとはしなくなるのです。こうなるとどうしようもないでしょう。

神社だけでなく、寺院も同じようなものです。仏像が置いてありますが、あれはただの金属の塊です。金属に頭を下げても何も起きませんし、むしろ仏教をバカにしているということで謗法になるでしょう。仏像と仏教は何も関係ないので気を付けてください。

有無の見というのも、危険な考え方です。

(1)死後も変わらず魂が残り続けて、どこかで一生暮らす。

(2)死後は存在しない。

こういう考え方をしていると仏教は分からないので、気を付けてください。

こういうものから離れて、因果の道理を信じていきましょう。因果の道理というのは

善因善果、悪因悪果、自因自果。

良い行いをすれば良い結果が返ってくるし、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくる。例外なく、自分にふりかかってくる結果はすべて自分の行いのせいである。

というものなので、これに従って良い行いをしていけば必ず幸せになることが出来ます。このことを親鸞聖人は、

悉能摧破有無見 宣説大乗無上法

(しつのうざいはうむけん せんぜつだいじょうむじょうほう)

龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)という方は有無の見などの外道を容赦なくぶち破り、本当の仏教を明らかにしてくださった。

と言われています。

ですが、私たちは生き物を殺したりしながら生きています。自分で良い行いをして、そして本当の幸せになるのは限界があるのではないでしょうか。

2.聖浄廃立とは

聖浄廃立(しょうじょうはいりゅう)というのは、"聖道(しょうどう)仏教を捨てて浄土仏教に入れ"というものです。

聖道仏教というのは自分で修行して本当の幸せになろうとするもので、浄土仏教というのは阿弥陀仏のお力によって本当の幸せになろうとするものです。なので聖浄廃立というのは、

自分で修行することを辞めて、阿弥陀仏のお力を信じるべきだ。

ということになるでしょう。自分で修行する宗派には天台宗や真言宗、禅宗などがあります。

天台宗などの教えは、確かに仏教です。ですがそれらの教えは修行が出来る人向けのものであって、私たち用の教えではありません。

あなたが今日中に家を出て出家し、山にこもったとしても難しいでしょう。時には命をかけた修行もやるので、現代の人でそういうことが出来る人はいないでしょう。

もし出来たとしても、それで本当の幸せにはなることは出来ません。雑念を交えずにひたむきに努力し続けて、初めて少し目標に近づくぐらいです。それでは修行を終える前に死んでしまうでしょう。

これでは誰も助かることが出来ないので、聖道仏教は捨てるように言われているのです。それに対して浄土仏教は、自分の力は関係ないものです。阿弥陀仏の本願は

どんな極悪人をも、必ず無条件で信楽にしてみせる。

というものなので、必死に修行する必要はありません。本願に従えば、誰でも必ず信楽になることが出来ます。このことを親鸞聖人は、

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入

(どうしゃくけっしょうどうなんしょう ゆいみょうじょうどかつうにゅう)

道綽禅師(どうしゃくぜんじ)という方は聖道仏教では助からないことを言い切られ、ただ浄土仏教のみが助かる道であることを明言してくださった。

と言われています。

ですが、阿弥陀仏の本願を誤解してしまえば信楽になることは出来ません。

3.真仮廃立とは

真仮廃立(しんけはいりゅう)というのは、"仮を捨てて真に入れ"というものです。

仮というのは例えば「念仏を称えていれば極楽浄土に往生できる」といった誤解のことで、真というのは阿弥陀仏の本願の正しい理解です。ですがもっと深く言えば、仮というのは自力のことで真というのは他力のことになります。なので真仮廃立というのは、

自力を捨てて、他力に入るべきだ。

ということです。捨自帰他と言ったりもしますが、これは非常に重要なことです。

自力の心を自力の信心とも言いますが、自力の信心というのは本願を疑いながらも必死に信じ込もうとしている信心です。

それに対して他力の信心は、一念で本願への疑いが破れた信心です。周りから見れば同じように見える2つの信心ですが、天と地ほどの差があります。

自力の信心の場合、何かあるとすぐに疑いが出てきます。あるときは信楽になれるように思ったり、またあるときは信楽になれないように思ったりするので、非常に不安定です。

往生一定の心にもなれていないので、自力の信心だと不安が絶えません。一方で他力の信心は、全く変わることがありません。ダイヤモンドのように硬いので、金剛心とも呼ばれます。

周囲からどんな誹謗中傷を受けようが、他力の信心は曲がることがないのです。なので、自力の信心とは全く違います。このことを親鸞聖人は、

偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深

(へんきあんにょうかんいっさい せんぞうしゅうしんはんせんじん)

源信僧都(げんしんそうず)という方は浅い自力の信心を捨てて、深い他力の信心を獲るように勧めてくださった。

と言われています。

三重廃立の目的

三重廃立の目的は、私たちを導いて他力の信心を獲させるためです。内外廃立、聖浄廃立、真仮廃立と3段階に重なっていますが、目指すべきは最後の真仮廃立です。

確かに内道や浄土仏教は間違っていないものですが、そこが私たちの目的地ではありません。信心決定して他力の世界に入ることが、私たちの目的です。

以上はPCで検索しました、高校一年生のK,Azusaさんのコピーです。素晴らしい文章で在り私は感服しました。   END


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