<<ブログ 329>>
組織のリーダーは「遺憾」の言葉を使っては
「イカン」のでは。
経営者・組織長そして国会議員の先生・・組織のリーダーは
「遺憾」と言う「魔法の言葉」「便利言葉」に
心を奪われることなく
しっかりと自分の責任で「自分の想いを自分の言葉」で
語りませんか、語って欲しい
& 原稿読むため
ずっと下向いて「遺憾」と言っても伝わらない
~私の変わらない想い~ by入道
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今回も東京秋葉原のアトリエを基地として
世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達
画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。
拓馬さん、ありがとうございます。
田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。
http://www.takumatanaka.info
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KYODOオンライン2022年6月4日 19時27分配信
中国の海洋調査船が沖縄県・石垣島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)で同意なく科学的調査を実施した可能性があるとみて、中国側に抗議したと外務省が発表した。(中略)
政府は外交ルートを通じ「日本の同意を得ておらず、海洋の科学的調査を実施しているのであれば極めて遺憾だ」と通達し、即時中止を求めた。
(一部中略そして一部大文字は入村によるものです)
●私自身が会社組織在籍の時、今から35年ほど前に「使うのは止めよう」「使わない」と自分自身に課してきた言葉があります。
★その言葉、それはブログタイトルにもしました「遺憾」と言う言葉です。
★「遺憾です」。
★昔から使われている言葉であり、そして近々でも対韓国・対ロシア・対中国・対北朝鮮等の「困った動き」に対しての怒り表明の記者会見の場、記者からの質問に対しての大臣答弁そして不祥事を起こしてしまった企業トップのお詫び・釈明会見の時に「遺憾です」「大変に遺憾です」と聞こえてくることが多くなってきている言葉です。
★近々を昨年からとしても
2021年開催のオリンピック直前の森さんのセクハラ発言の時に大会大口スポンサーの社長発言、佐渡ヶ島金山の世界文化遺産登録申請に対しての韓国の動きに対しての大臣等の発言・・・・・今年に入ってからも北朝鮮の相次ぐミサイル発射、近いところでは竹島周辺の海洋での韓国の海底調査に対する大臣・国会議員先生方の発言・・・「遺憾」と言う言葉が頻繁に使われています。頻繁に用いられています。
●この「遺憾」の言葉への私の想い。なぜ自分では使わないようにしてきたのか・・・。
●「遺憾」の二文字の言葉に対しての私の想い。
●それは「訳の分からない」「どっちつかずにもとれる」『その場対応』『その場しのぎ』の魔法の言葉であり、「どれくらい怒っているのか」「どれくらい悪いと感じているのか」を「自分で表現することなく」、この「遺憾」と言う言葉を使えば、「とりあえず」は「怒っている」あるいは「謝っている」状況を形作ることはできる「魔法の言葉」「その場しのぎの言葉」だとの私の想いから生まれてきています。
★不思議ですよね。不思議だと感じませんでしょうか。
★「遺憾」と言う言葉は「相手に対しての『非難』」の時に使うだけでなく、自らの「謝罪」の時にも使う、使える言葉なのです。
私は怒っている →→「まことに遺憾です」
私は謝っている→→「まことに遺憾に存じます」
「まことに遺憾です」
挿絵は田中拓馬画伯 画
★不思議な言葉ですよね。同じ言葉なのに意味合いが全く違います。
★考えると「遺憾」と言う言葉には「怒っている」とか「ごめんなさい」の意味合いは全くない、のでは、と単純に想うのです。
★「遺憾」は単純には「残念だ」の意味しかない。のです。
★「遺憾」には本来、「怒り」も「謝罪」の意味はない・・・・使う側が都合よく勝手に解釈拡大して「使っているだけ」なのでは、と感じ続けています。
遺憾 : ①残念 ②気の毒 (新小辞林 三省堂)
遺憾 : ①思い通りにいかなくて残念な様子
②きのどく
③申しわけない (新選国語辞典 小学館)
★そして、この言葉からは『怒っている』時の「怒りの大きさ」、謝罪している時の「謝りの大きさ」を感じることは全くできません。
★なんとなく「怒っているんだな」なんとなく「謝っているんだな」位をその場の雰囲気全体からは感じてもらえる「不思議な言葉」なんです。
★「怒っている」「非難する」ことを「形式的に表現する」と
たぶん
⇒⇒「遺憾です」。
「悪い申し訳ないと思っている」ことを「形式的表現する」と
たぶん
⇒⇒「遺憾です」。
同じなんですよね。
●「遺憾です」。本当に不思議な言葉だと感じてなりません
★しかも日本の場合・・・・この言葉だけでなく、「遺憾ですと語る人の「しぐさ」にも「形式的」に怒っている・謝っているんだな、と感じさせるものがあります。
★それは、ごく短い答弁であっても「原稿に目を落としている時間がほとんど」「ほぼ原稿を読んでいる」のしぐさです。迫力はなくなります。迫力なんて感じられません。
★発言者の「その人らしさ」が全く感じられず、ですから発言者に対して「共感」「信頼」なんて絶対に産まれません。ありません。
●単純に表現します。相手に対しての怒りを表す時の「遺憾」の言葉には「迫力」は全くない、そう思います。
●「ばか野郎・いいかげんにしろ」相手に対する『非難』そして「ごめんなさい・本当にすみません」の自分からの『謝罪』が同じ一つの言葉「遺憾」で済んでしまうのですから使う側からしたら本当に「便利」な「言葉」ですよね。
●怒りの大きさ・非難の大きさを「正直にあらわさずに」「大人の対応?」的に用いる「大人的な表現言葉」?なのです。私はそう想います。
●この「遺憾」の言葉で怒られた「相手」は「そうか、私のやったことを残念だと思っているんだな」、とは感じる程度・・・・しかもどんどん行動が重なっても使うことばはその度ごとに同じく「遺憾です」・・・全然、「怒りの大きさ」「怒りの程度」は相手には伝わらない、伝えられはしないのです。
★だから、単純、「その場対応」「その場しのぎ」の「言葉」でしかない、のです。私はそう思いそう感じて前々から自分で使うことを禁じてきている言葉なのです。
●そんな私の変わらない「遺憾」と言う言葉に対して、と言うか・・・・違いますね、「遺憾砲」を連続発射しておられる人たちの答弁をニュース等で見聞きしていると思わず「また遺憾」だね、「遺憾」の魔法に頼って、何度も何度も「遺憾」ばかりを使っていては「いかん」「イカン」だろう・・・・そんなダジャレが出てくる気持ちになります。なっています。
今回も最終行までお眼をすすめていただきまして
ありがとうございます。
遺憾です・・・・改めて不思議な言葉
そして
「怒っているあるいは「すまないと思っている」ことを
形式的?にでも伝えようとする人たちには
とってもとっても便利な言葉なのかな、と感じています。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)