東アジア歴史文化研究会

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上海ロックダウンは何が目的だったのか 上海派つぶしは明白だが、外国人の半分が中国を去った(宮崎正弘国際情勢解題)

2022-05-28 | 中国の歴史・中国情勢

江沢民派の牙城といわれた上海は、殆どの中国人から見ると「外国」である。ハイソで、知識人が多く、エリート意識をぷんぷんさせた上海人、じつは中国全土からは嫌われ者である。とくに二昔前の香港では広東人と上海人はお互いに口もきかず、縄張りのレストランは決まっていた。

ところが1989年から2013年まで、江沢民、朱容基、胡錦濤(生まれは隣の安徽省)らが政権の中枢にあって、中国経済の高度成長をしめし、中国人は賃金が上がり、自家用車は持てるし、子供は大學へ行かせられるほどに生活が向上した。このため、それほど露骨な上海嫌いを公言する政治家はいなかったし、いまも少数派である。

習近平は、その上海派の親分=江沢民と大番頭だった曽慶紅に胡麻をすって近づき、上海書記から党総書記、そして国家主席に抜擢された。

政権発足前に最大のライバルだった薄煕来がつぶされ、幸運が転がり込んだものの、習近平政権の初期は江沢民の院政が継続しており、黒幕は曽慶紅(国家副主席)と言われた。

習近平は猫をかぶっていた。型破りの政権強化の陰謀が展開された。

朋友の王岐山を使って、だれも反対できない「汚職追放キャンペーン」を開始し、江沢民派幹部を片っ端から逮捕、起訴し、気がつけば江沢民は孤立していた。

さらにはアンタッチャブルの軍幹部の政敵排除に動き、徐才厚、郭伯雄、房峰輝、張陽らを追い落とし、公安系のボスだった周永康も逮捕して、政敵をほぼ刑務所にぶち込んだ。

さらに追いうちをかけて胡錦濤の番頭だった令計画も逮捕し、共青団幹部にも手をつけ、李克強らを敵に回した。

その総決算が、上海派を壊滅させる作戦だ。

ゼロコロナと銘打った上海封鎖は3月28日に突如開始され、2ケ月となる。この間に日本人もふたり死亡した。外国人の半分は中国を去った。

都市封鎖の厳密な対象が1500万の都心、行動範囲に制限のある管理区域が178万人。そして「防御区」とは、郊外の480万人を対象とした。同時に武漢、西安、長春、吉林などが封鎖されたが、すでに解除された。

上海浦東地区にある工場は一部再開といっても、部品供給のサプライチェーンは機能せず、コンテナ船の沖合待ちが一ヶ月以上、荷揚げしようにも港湾労働者がいない。上海は世界有数のコンテナターミナルであり、貨物取扱量は、東京港の九倍もある。

5月16日に上海副市長の宗明が記者会見し「六月には解除する」としているが、SNSでは「江沢民の時は野菜が配られた。朱容基市長の時代は誠実な対応がとられた」等と婉曲に習近平のやりかたへの不満が述べられている。

セロコロナはカーボンセロと同様に逆立ちしても実現不能であり、げんに中国の石炭大手は増産へ転換している。脱炭素は口約束でしかなく、実現不能なことは最初から明らかであり、中国共産党が本気で取り組んでいる気配はない。

となると、いったい上海封鎖とは何だったのか?

政治的意味は習近平の政敵全滅を狙った一種政変だろう。全家庭に防護服をきた係官が無理やり進入し、消毒液をまき散らし、家財を破壊し、貴重品を取り上げ、ついには上海市民の外国渡航を禁じる措置を講じた。

恨み骨髄の上海市民は書記の李強を非難する。これで李強の出世は望めないとする観測が強いが、それは世界的な判断基準であっても、中国基準ではない。ゼロコロナはノルマ暴走の側面がある。

李強は浙江省瑞安出身。第十九期党大会で、政治局員に出世し、韓正の政治局常務委員への栄転にともなって上海市書記となった。

「よくぞやった」というのがゼロコロナを標語とした習近平の宿題を忠実に実現したのだから、次の飛躍が望まれるのであって、失脚の可能性は薄い。

文革の折、行政単位ごとに千名の死刑がノルマ化された。このため毛沢東の写真の入った新聞でモノをくるんでいただけの理由でも老婆は銃殺された。それが中国である。

(註 朱容基の「容」には「金」篇) 


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