ヂッケンス

奥書に昭和十二年とあって、この全集が戦前のモノらしいことがわかる。
「中央公論社」の児童向けの物語集であり、作者は西洋人と思われる「ヂッケンス」という人物だ。
父が所有していたもので、父が本家の高安家から京都の横山子爵家に養子に出された以降、子爵家が没落し、父が「横山姓」のまま世間に放り出された折に手荷物に含まれていた本だと聞いた。

何があったのか、もはや私は知る由(よし)もないが、この古い本が歴史を物語っているのだった。

私が小学生の頃にはすでに、このかび臭い本が本棚にならんでいて、読めないながらも私はページを繰っていたものだ。
カラーの口絵もあり、児童向けらしいことは幼い私にも感じることができた。
ただ、昭和十二年の版だから文語体の講談調で、おまけに漢字が旧字体で、とても読めたものではなかった。
無謀にも私は、五年だったか、六年だったかの夏休みにこの本の読破を試みた。
逐一、母に漢字を教えてもらいながら…

母も「ヂッケンス」という作家を知らなかったらしく、そういう作家がいたのだと疑問も持たずに私は『開拓者』と『漂泊(さすらい)の孤児』を読んだ。

どの作品も、登場人物が日本人の名前に置き換わっている不思議な物語だった。
巻末にそれら登場人物の和名と実名(英語名?)の対照表が載っていることから、そうしないとならない時代背景があったのだろうと母が教えてくれた。
しかし昭和十二年には、まだ日本帝国では英語が敵性語になっておらず、いささかうがちすぎではと思ったのはずっと後の事。

小学生の私が『開拓者』を読んで読書感想文を書くことになった。
夏休みが済んで、感想文を提出したところ、担任の中村操(みさお)先生に呼ばれた。
それも私だけ。
「先生ね、横山さんの感想文を読んで、とても良く書けていると思ったんやけど、このヂッケンスという作家を、先生の方で調べても分からんかったの。もしよかったらこの本を貸してくれないかな?」
とおっしゃったので、私はあくる日に、三冊とも持っていった。
「わぁ、こんなに古い本を読んだの?大変だったでしょう」と先生は驚かれた。
「漢字だって、先生でも読めないよ」とおっしゃる。
「お母さんに教えてもらって読みました」
「へぇ…」
そう言って、先生は『開拓者』の最後の方のページ、登場人物の対照表に「ニコラス・ニクルビィ」とと書いてあるのを見て「ああ」と声を上げられたのである。
「横山さん。わかったよ。この作家はチャールズ・ディケンズといって、とても有名なイギリスの作家です」
「はぁ?」
「あなたの感想文を読んで、『ニコラス・ニクルビィ』に似た話だなと思っていたら、やっぱりね」
私は、何のことだかさっぱりわからなかったが、「ヂッケンス」とは「ディケンズ」という作家のことだと知ることになった。

そして『漂泊の孤児』の主人公が「織部捨吉(おりべすてきち)」であることから捨て子の『オリバー・トゥイスト』だと謎解きをしてくれたのだった。
残る『鐵の扉』は『鉄の扉』であって、対照表によれば『ドンビィ・アンド・ソン』だということがわかったものの、先生もこの作品は知らないようだった。
主人公のポール・ドンビィが「土肥太郎(どいたろう)」に変えられている。フロレンスは「不二子」、ドンビィの息子のリトル・ポールが「小太郎」、ハリエットが「針江」など当て方が秀逸だった。

夕暮れの職員室で中村先生と二人で、かび臭い本を広げて盛り上がり、先生はたいそう面白がって、本の好きな私を励ましてくださった。

その頃から私は漢字の旧字体に興味を持ち、書道も習っていたこともあって、塾の師範に中国の拓本などを見せてもらい、旧字体の美しさを感じて悦に入っていたものだ。
唐代の虞世南(ぐせいなん)や歐陽詢(おうようじゅん)の楷書を練習させられたのも中一の頃だった。