美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

フェルメールと17世紀オランダ絵画 10/8〜11/27 宮城県美術館

2022-11-15 20:38:25 | レビュー/感想

 

修復後のヨハネス・フェルメール「窓辺で手紙を読む女」が見れるとあって、いつもはガラガラの美術館は平日の火曜日にも関わらず人で溢れていた。絵の前に張り付いてぞろぞろと人の列が続くが、自分はゆっくり見る時間がなかったので、後方から見渡してこれぞと思う絵だけに絞って見ることにした。

17世紀オランダの経済的繁栄とそれがもたらした文化遺産の豊かさが十分感じられる展示会となっていた。肖像画、人物画、風景画、静物画と、お馴染みの典型的な西洋絵画のジャンルが総登場している。

宗教的主題であっても、そこにはカトリック国のような三位一体の厳密なイコノグラフィーによる縛りや宗教道徳のストレートな絵解きはもはやない。むしろ超越的な神にかたちを与えることを偶像礼拝として忌避するプロテスタントの信仰が、多様な世俗的な生活の様を見つめることへと絵画を解放したのだろう。ヤンステーンの「ハガルの追放」や「カナの婚礼」などを見ても分かるように、聖書の登場人物たちも市井の人々の生活シーンの中に、溶け込むように人間臭く描かれている。

この絵画展の目玉となっているのが、修復後のフェルメールの『窓辺で手紙を読む女』である。修復前のおなじみの作品(複製)も展示されており、両作品を比べることができる。前者には後方の壁面にキューピットの画中画が描かれている。私は正直、前者の方がいいなと思うのだが、これがフェルメールが描いた本来の姿なのだそうだ。

謎であった主題の意味はよりはっきりしたように思える。だが、ほかの教訓的な意味合いを込めた風俗画の延長で見えてしまう。フェルメールであっても絵画に分かりやすい意味を認める当時の顧客への配慮が必要だったのだろうか。やはりこの作品を時代のパラダイムを超えた純粋な絵画につながるものとして見たいと思ってる自分には素直に喜べない感じがする。キューピットの画中画自体がやたら大きくて薄ぺらい印象で、リアルな前景の女や静物へと集中する眼差しにとっては邪魔になるように思える。後世、これを塗りつぶした画家(あるいはそれを依頼した所有者)も同じ思いであったのではなかろうか、と想像する。

この絵は確かにフェルメールによって描かれた。その最初の状態に戻すのはオリジナリティ信仰の学者にとっては重要であろう。一方、絵画の「価値」は見るものによって歴史的に作られていくものである。その絵画に動かされた人々の感動体験が重なり合って国の至宝とも称される傑作になったのである。確かに元の価値を台無しにする付け加えもあるだろう。しかし、この改変は、やがて絵画が過剰な言葉による意味づけを離れて絵画としての自立性を獲得していく近代絵画の道(具体的に印象派や抽象絵画の登場を指すが)を図らずも示唆している点で、自分には当を得ているかのように思える。

次に目を引いたのはレンブラント・ファン・レインの「若きサスキアの肖像」だった。この二点の天才の作品には、当時の歴史的フレームの中で、類型化された油絵技法と流行の主題処理の中で卒なく描かれた作品とは違う何かがある。目に見えてるものを超え出てリアルを成り立たせているもの、それを掴もうと志向している画家の営為は、長い時間を越えて現代の私たちの心も揺り動かす。

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